第1話 エメリアの事情
その夜。
王都の外れにある自宅に戻ったエメリアは、どさあっとベッドに身を投げ出した。しばらくしてから仰向けになり、天井を見つめる。
「嘘告、だって……はぁぁぁぁ」
あんな意地の悪い、思いやりの欠片もない賭けの対象に自分が選ばれるだなんて、正直にいえばとても傷ついた。
『エメリア、お堅いだろ? 他の騎士たちがいくら食事に誘っても、来やしない。だからゲームとしてうってつけだと思ってさ』
「人の
ぐっと口元を歪めて、エメリアは唸る。
王都の警備を守る王都セントラル騎士団には、選りすぐりの騎士たちが入団している。格式高い騎士団だから、騎士たちを支える文官たちも貴族階級出身で占められている。エメリアのように平民の、しかも地方出身者はいない。
つまりエメリアは異例中の異例で、それだけ優秀だったということだ。そういう意味で、雇われた当初からエメリアはある意味目立っていたのである。
『それに貴族令嬢だと、賭けの対象にするのはな。その点、平民だったらいいだろ』
『ああ。エメリアの地元は離れているらしいし、親が殴り込んでくる心配もないしな』
平民だからいいだろ。
地元が遠いから親が殴り込んでくる心配もないしな。
後腐れない相手だと思われるのか、入団当初から騎士たちに食事に誘われることが多かった。その気がないためその誘いを全部断ると、今度はそれがお高く止まってると反感を買った。同じ部署の女性の――貴族出身の文官である同僚に毛嫌いされてしまったのである。
彼女たちが口を聞いてくれないことはもちろん、手がかかる仕事をわざと押し付けられたりすることもざらだった。
(あああもう、やっと最近、ようやく嫌がらせが減ってきたってのに……! シュワルツ様みたいな人気がある方に嘘告されたりしたら、逆戻りじゃない……?)
エメリアの実家はその地方では名の通った商家であり、主に布と布製品の流通に携わっている。十六歳の時、父に連れられて王都にやってきたエメリアは、そこで生まれて初めて騎士という存在を間近で見た。
『誰か、手伝ってくれっ……! 馬が、泥濘にはまってしまったんだ!』
往来の真ん中で、馬車の御者が叫んでいた。前日の大雨のせいで、道が最悪のコンディションだった。泥濘からなんとか抜け出ようともがく馬が、ひひんと叫び続けている。
『エメリア、ちょっと待っていてくれ。手伝ってくる』
『わかったわ、お父さん』
エメリアの父だけでなく、わらわらと男性たちが集まるが、暴れる馬を恐れて近寄れない。そんな中、颯爽と現れたのが一人の若い騎士だった。
ダークグレイの短髪に、冴えた印象を与える銀色の切れ長の瞳、そしてすっと通った目鼻立ち。周囲の男性たちよりも頭ひとつ分は背が高く、がっしりとした身体つきだ。
(あの方、騎士様なのだわ……!)
エメリアの生まれ育った地方都市には、騎士団はないのだ。彼女の視線が、騎士服を身につけた青年に引き寄せられる。
『手伝おう』
涼やかな声は、冷静そのもので、頼りがいがあった。
『あ、ありがとうございます、騎士様……!』
『ああ。君はまず、馬を落ち着かせることに集中しろ』
それから騎士は的確に指示を飛ばし、周囲の人達の手も借りながらあっという間に馬を助け出し、馬車を安全な場所に移動させたのである。
『ありがとうございます、騎士様……!』
『たいしたことはない』
『本当に。えっと、王都セントラル騎士団の……お名前をうかがっても?』
『気にするな。それより、皆も手伝ってくれてありがとう。君たちの手助けのお陰で、迅速に助け出すことができた』
それだけ言うと、騎士は後ろを振り返ることなく去っていった。
(すごい、本当にかっこよかった……! 皆を守る、ヒーローみたいだった……!)
たった一度の邂逅だったが、すっかり心酔してしまった。
(ああして街を守る騎士さまの、お手伝いを私もしたいっ……!)
決してあの騎士だけではない。
彼女は街を守る騎士たちの手伝いをしたいと切望したのである。
戻ってきた父に、王都セントラル騎士団で文官として働きたい、と告げると、仰天していた。
『お、お前が、王都の騎士団で働くって!?』
『うん。文官としてなら雇ってくれるかも。だって私、一応文字読めるし』
エメリアは商家の娘として、読み書きをすることができる。
『一応というか、得意中の得意だろうが。だが駄目だ』
『なんでっ!?』
『お前にはこれと思う男性を婿に取ってもらう必要があるから、無理だ』
父がそんなつもりだったとは知らなかったエメリアは、ショックを受けた。
『でも家には、お兄ちゃんもお姉ちゃんもいるよ!? アンジェだって』
アンジェとは、エメリアの年子の妹である。
『だがお前が一番、事務作業に向いている。書類の間違いもまずないし、それに計算だってめちゃくちゃ得意だろう? だからこうして王都にも連れてきたんだ、俺の仕事を手伝わせるために』
『え、えぇ……!?』
父はそこで話を切り上げてしまった。
だがエメリアも諦めなかった。王都から自宅に戻ってからも、根気よく言い続けた結果、ようやく父が折れた。
『二十歳まで自由を与える。二十歳になったら戻ってきて、俺の言う通りの婚約を結ぶんだ』
期限付きの自由だったが、エメリアは了承した。
数年でもいい、あの騎士団で働けたらその思い出をよすがに、その後の人生を生きていこう。
そうして胸を期待で膨らませて王都にやってきたのはエメリア十八歳の春。今から一年半前のことだ。無事に王都セントラル騎士団の文官の試験を突破した彼女を待っていたのは――あの一目惚れをした騎士、オスカー=シュワルツとの出会いだったのである。
◇◇◇
エメリアは数字が得意だったため、経理部に回されることとになった。仕事は性に合っていたし、直属の上司である子爵家出身の男性は親切で、彼女は順調に仕事を覚えていった。
優秀な、平民出身の文官の女性が入ってきた、と噂になるのは直だった。
だが騎士たちに食事に誘われるようになっていくと、途端に状況が変わってしまう。
『やーね、男漁りにくるなんて』
『ほんっと、田舎もんはこれだから』
『男のたぶらかし方だけよーくご存知なのね』
(……なんなの、この人たちっ……)
エメリアにとって不幸だったのは、彼女が配属された経理部に、いわゆるお局のような存在の令嬢がいたことだった。
彼女ともう一人の同僚は陰口をたたきつつも、決して周囲の人々にそれを悟らせない狡猾さがあった。周到な手口で振られる面倒な仕事のせいで、エメリアは残業する毎日を過ごした。
(我慢我慢。私が働くのは期間限定だし……それに、前向きに考えたら、仕事をたくさんするってことは、騎士団の役に立っているってことだしね)
そうしてエメリアがその夜も一人きりで残業していると、前触れなく経理部の扉が開けられた。
『誰かまだ残っているのか?』
『――!?』
この声は。
驚いて振り向くと、そこには確かにあの日、御者を助けていたダークグレイの髪の騎士が立っていた。
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