嘘告でずっと憧れていた騎士様の恋人になりました。
椎名さえら
プロローグ
「――……経理部のエメリアに嘘告をするんだ」
王都の警備を守っている王都セントラル騎士団。
唯一平民出身の女性文官として働くエメリアは不意に自身の名前を耳にして、身をこわばらせた。
(えっ、何……、私、私に……なんですって?)
騎士団長の執務室に書類を持っていくために近道をしようと裏庭に出たところだった。
裏庭は人気がなく、彼らの声がよく響いた。エメリアは壁の影にさっと隠れて、続きを聞くことにする。動悸がばくばく鳴り響き、うるさい。
幸い、大きな木の下でたむろしている騎士たちは、エメリアの存在には気づいていないらしい。
「経理部の、エメリア?」
訝しげに彼女の名前を繰り返す涼やかな声の男性が誰か思い至って、エメリアは息を呑む。
(シュワルツ様……!)
オスカー=シュワルツ、二十二歳、黒髪の騎士。
シュワルツ伯爵家の出で身分こそ高くないが眉目秀麗、がっしりとした身体つきを持つ。誰に対しても公平に接するオスカーは、文官たちからの人気も高く、何を隠そう密かにエメリアも彼に憧れている。オスカーは間違いなく時期騎士団長候補の一人だろうし、近いうちに副騎士団長に抜擢されてもなんらおかしくはない。
「そうだよ。あのピンク色の髪の文官――平民出身のな」
さっとエメリアは自分のライトピンク色の髪に触れる。
父が金髪、母が赤毛であるエメリアの髪は、生まれた時こそ金色だったらしいが成長するについてライトピンクの色を帯びてきた。瞳は翠色で目立たないというのに、とにかくかなり珍しい髪色で彼女のトレードマークでもある。あるけれど、この騎士団に入ってからは《あのピンク色の髪の平民出身の文官》と言われることが多く、正直目立つ髪色が疎ましい。
「顔は悪くないけど、身体つきが残念なエメリアな」
「エメリア、民草のくせにお堅いだろ? 他の騎士たちがいくら食事に誘っても、来やしない。だからゲームとしてうってつけだと思ってさ」
「それに貴族令嬢だと、賭けの対象にするのはな。その点、平民だったらいいだろ」
「そそ。エメリアの地元は離れているらしいし、親が殴り込んでくる心配もないしな」
(なんてこと、ひどすぎる……)
ずきずきと胸が痛む。
勝手なことばかりを口々に述べる楽しそうな騎士たちに対し、オスカーの口調は静かだった。
「どうしてこんなことを?」
「どうしてもなにも、つまらない日常のスパイスってだけだよ! 賭けるのは、俺達の第三騎士団のみ、元出の金は俺が出す。もしお前が仕掛け人としてのってくれたら、儲けた金はお前にもちゃんと分配するよ?」
オスカーは答えない。
エメリアは、ふうっとため息を吐いた。
(なるほど、あの人たち、か……だったら、こんなことを企んでても、おかしくないか)
声の主に聞き覚えがある。
一人はノワール侯爵家の三男、キーナン。身長こそ高いものの、だらしない身体つきはとうてい騎士とは思えないほどで、どうやら実家のノワール侯爵家に裏金を積んでもらって騎士団に入ったともっぱらの噂だ。もう一人は、キーナンの腰巾着である、モリス侯爵家次男のマイケル。キーナンと同じく、賭博、酒、女性問題、なんでもありだ。二人とも騎士としてはオスカーの足元にも及ばないが、家格だけは上ということだけで同僚であるオスカーに対し、こうして上から目線なのに違いない。
「エメリアに賭けだって分からせないってのが条件な。それで、半年後に王宮で夜会があるだろ? あの夜会にお前のパートナーとして連れ出して、嘘告だったとバラしたら完了だ!」
王都に住む者なら誰しも憧れる、年に一度開かれる王宮での夜会。王都に住む貴族とそのパートナーならば誰でも参加をしてよいという、貴族のみならず平民にも開かれた夜会で、令嬢たちはそこで意中の令息たちに告白されるのを夢見ている者が多い。
恋人だと信じている相手に連れられてその夜会に参加した挙げ句、嘘告だったと告げられるなんて――。幸せの絶頂から突き落とされ、まさに悪夢としかいいようがない。
(お断りになられるはずだわ。シュワルツ様はお忙しいから、私に構っているお時間もないでしょうし。だとしたら、きっと他の騎士様に持ちかけるはず――)
そう考えた矢先――。
「少し考える時間をくれるか?」
(えっ……?)
そうオスカーが答え、エメリアは目を見開いた。
「マジか、前向きに考えてくれるってか? まさかやってくれるなんてな。じゃ、適任だよ。だってこういうノリ、お前になさそうだから向こうも警戒しないだろ?」
「猶予なんていらないだろ。明日にでも――」
キーナンとマイケルがはしゃいだ声をあげる。
ここまで聞けばもう十分だ。
彼女は、騎士たちに立ち聞きがバレる前にと身を翻して、元来た道を戻った。
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