片翼の少女よ大空を知れ

蒲生 聖

第1話

 鶏がけたたましく鳴いている。早朝を告げる鳴き声は次第に伝播でんぱしていき、僕は目覚める。何か長い夢でも見ていたような心地だったので、ベッドから起き上がると立ちくらみがした。辺りはまだ暗いが、日課の散歩に出かけると近所の老夫婦が犬を散歩させていた。


 彼らは夏を先取りするかのような服装で、犬にはアロハシャツを着せている。昨晩の夢の内容を思い出せずに悶々としていたが、歩き始めるとそのことを忘れられた。悩みや疑問を忘れられる散歩は良いものだ。それに何より挨拶をするのが心地よいと感じる。「おはようございます。」と言うと「おはようございます。」と返ってくる。それは人の温かさを感じさせるものだろう。僕の生活はここから始まる。


 初夏の風が体の間を吹き抜ける。僕は海岸沿いの道にひとりで立って波の音を聞きながら深呼吸する。青い空と広がる海が心を落ち着かせてくれる。


 ここは僕だけの特別な場所なんだ。学校や日常から離れて自分と向き合える場所だ。生活の煩わしさが吹き飛んで心がクリアになる。


 そうやって、心を落ち着かせた後に意外なものを見つけた。それは浜辺で倒れている少女だ。不思議に思い、近づくと彼女の姿に驚いた。彼女は左の肩甲骨けんこうこつの下あたり、背中の中央の骨に平行に純白の翼がついていたのだ。


 しかし、片翼しかない。彼女に問いかけても反応はなく、意識もないようだ。何者なのか、何があったのか、どうしてこんな状況になったのか。脳裏をよぎるものは疑問ばかり。僕や彼女の周りには誰もいない。父が村で唯一の医者であることから僕は彼女を家に運ぶことにした。


 140cmもない小柄な少女は背中に穴があるワンピースを着ていて透き通るような澄んだ亜麻色の髪をしている。まるで天使のようだ。背中に広がる白い翼や閉じた瞳を守るまつ毛がとても美しいと思った。


 帰り道の挨拶を交わす通行人は心配そうに僕らを見ている。その度「大丈夫ですよ」と答えるが、僕自身、本当に大丈夫とは思えない。少女の意識が戻るかどうかとても不安である。


 家に帰ると僕の両親は目覚めていて、母は背中の少女と運び疲れた僕を見て驚いていた。父は状況を飲み込めてはいないものの緊急事態であることを悟ってか「すぐに診察室へ連れてこい」と言った。折りたたんでいた少女の翼が広がる。その姿を見て父も母も腰を抜かした。今まで翼の生えた少女なんて聞いたこともなかったからだ。


——


 少女の状態はわからない。僕は不安を抱えたまま学校へ向かった。父の手腕を信頼していないわけではないが、非現実的な姿の彼女への不信感が募っていたのだ。風が吹いて少し肌寒い。左のポッケに手を入れながらいつもの通学路を歩く。


 当然、学校の授業など集中できるはずもなく、どこか上の空でぼんやりと黒板を眺めていた。お昼間になり、友人と昼食を取る。


蒼空そら…今日はずっとボケッとしてたね。」


「俺も気になってたよ! 真面目な蒼空くんが授業を聞いてないなんてね」


 僕の態度に追及する2人は友達のおさむ諒輔りょうすけだ。2人とも浜ヶ丘中学校の剣道部に所属していて、大柄な修と変人の諒輔と言われるくせ者たちだ。


「あぁ、実は今日さ…」


 2人に今朝の出来事を話してみた。2人は半信半疑といった様子であるが、僕の話を最後まで聞いてくれた。また、その子を見てみたいと言ったので僕はうんっと頷いてやった。


 僕たちは教室の窓際で机を合わせて座っているのだが、ちょうど雲が去ってお天道様がチラリと見えた。見上げると高い空の青さに心洗われるような感覚が広がる。


 雄大な青空を鳥たちが飛び交う。自由な鳥たちが羽ばたく姿を見て僕も自由に羽ばたきたいと願う。学校や悩みなど全て忘れて、ただこうやって空を眺める時間が至福である。空は限りなく広がり、僕の思いもそのように広がってゆく。青い空は永遠に続くように感じられてその中に自分の未来を見出す。今日の空のように透明で清らかな気持ちで生活したい。


 しかし、現在は政府によってこの村でダムの建設や発電所の設置、森林伐採などが行われている。生物が生きるために必要な生息環境が壊されて、種が絶滅の危機に瀕している。これでは人間も動物も幸せになれない。僕たちは自然と共存し未来のために環境保護に取り組むべきだ。


 僕らの生活によって誰かの生活を奪うことは絶対にしてはしてはならない。


 やけに長かった授業を終えて、帰路につく。

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