確信 side志那

叶人が自分の部屋に戻ってしまった後、私はその場からしばらく動けなかった。私にはどうして叶人があんなふうになってしまったのか全く分からなかった。


今日から仕事が早く終わるようになりようやく二人との時間が取れると思って高揚していた気分は今では焦りに変わっていた。


どうしてだろう。動悸が収まらない。私は…私は何かを決定的に間違ってしまった?心当たりは無い。無いのだけどどうしてかそう思えてしまって仕方がない。


しばらく呆けていたがふと我に返り隣に立っている花梨を見る。花梨も私と同じように呆け…いや違う。花梨はガタガタと震えていた。瞳孔は縮まり何かに怯えているようだった。


「か、花梨?大丈夫?」


私は花梨にそう声を掛ける。


「…だ、大丈夫…大丈夫…だから…」


…花梨は何か心当たりがありそうだ。私はそう思った。でも今の花梨にはとても聞けるような状態じゃなかった。


私達はそれから特に言葉を交わすことなく自分たちの部屋に戻った。


部屋に戻りスーツの上着を脱ぎシャツになる。


「…あなた」


小さくそう呟く。


こうしちゃ居られない。叶人と話さないと。そう思った私は軽く心を落ち着ける。


どう考えても今の叶人の状態は普通じゃない。私が知らず知らずの内に傷つけてしまったのだろうか?それとも花梨?もしそうだとしてもそれを見抜けなかったのは母親である私の責任だ。


「行かなきゃ」


そう心を奮い立たせて叶人の部屋に向かう。


そして叶人の部屋の前に立ちまた小さく深呼吸する。意を決した私は扉をノックした。


扉をノックしてから心臓の音が早くなっているのが分かる。この場から逃げだしたい。今日眠りにつき明日になればさっきあったことなんて何も起こっていなくて楽しい日常が待ってるのだと、そう思いたかった。


でもさっき起きたことは現実で叶人は私たちに土下座をしてここに住まわせてくれと言ってきた。あんなこと…あんなこと絶対にさせてはいけなかった。自分の子供にあんな顔をさせてしまうなんて私は親失格だ。何故あんなことを言ったのかしっかり理由を聞く。そして恐らく何かがあった息子に向か合わなければならない。


「はい」


叶人は不思議そうな顔をしながら部屋の扉を開けてくれた。


「どうしましたか?」


変わらず敬語で話しかけてくる息子を見て胸が締め付けられる。


「か、叶人?さっき言ってた私が叶人を疎んでいるって…どうしてそんなこと思ったの?」


私は恐る恐るそう聞いた。


「安心してください志那さん。僕のことを疎ましく思っているということを隠さなくてもいいですよ?僕は気にしてませんし花梨さんと二人で僕のことなんて気にしないで生活してください」


叶人は自分が嫌われているということになんの疑いも持っていない。ありえない!当然全ての人に嫌われないなんてことは無理だ。でも家族である私たちに嫌われているということになんの疑いも持っていないなんて…何が叶人をそうしているの?


「ち、違うの!聞いて!私は叶人のことを疎んでなんかいないの!どうしてそんなこと…」


「え?だって志那さんは僕が物心ついた頃には僕になんの関心も持ってなかったじゃないですか」


そう言われた瞬間、頭を思い切り殴られたような感覚に陥る。


「そ、そんなことあるわけないでしょ!?」


た、確かに叶人が小さい頃から今日までずっと仕事が忙しかった。構ってあげられる時間は少なかったし家にいる時間も少なかった。でも疎んでいるわけじゃ…


「ならどうして僕の誕生日を祝ってくれなかったんでしょう?」


そう言った叶人の目はどこまでも黒くその目からは感情が読み取れなかった。


「ぇ…」


そして喉から乾いた声が出た。


「僕は毎年夜遅くまで志那さんが帰ってくるのを待っていました。でも一度も帰ってきたことは無かった。最近の誕生日ではもう祝われることは無いと理解していたので先に寝ていました」


違う!誕生日を忘れていたわけじゃない!叶人は私の大切な子供だ。そんな命よりも大切な宝物の大切な記念日を忘れるわけが無かった。


「ち、違うの…それは仕事が忙しかったからで…」


私は毎年叶人の誕生日を覚えている。もちろん花梨の誕生日だって。そんな二人の誕生日にはいつも仕事を早く切り上げて家に帰るようにしている。花梨の誕生日の日にはいつも早くに帰れていた。でもどうしてか叶人の誕生日にはどうしても外せない仕事かあったり部下のミスのフォローをしなければならなかったりした。それでもできるだけ早く帰らなければならないと思いヒールで走りながら家に帰るといつも家の電気は消えていた。


「ああ!勘違いしないでください。あの時の僕はどうにかしていました。今考えれば当たり前ですよね。嫌いな相手の誕生日なんて祝いたいわけないですもんね」


嫌いなものか!私は叶人のことを愛してやまない!


「ちが…違う…違うの…私は…」


考えてみれば当たり前だった。ようやく自我を持ち始めた子供には甘えられる存在が必要だった。だと言うのにそんな大切な時期に私は仕事ばかりしていた。あの頃の私はどうにかして二人に苦労をかけないと必死だった。そのせいで最も大切であるはずの子供を疎かにしてしまうなんて…


「心配しないでください。もう僕は誕生日を祝ってもらいたいなんて言いません。それに僕のことは居ないものとして扱ってくれて構いません。その方がお二人にとっていいでしょう?」


違う…違うの…違う違う違う!本当なら私だって叶人の誕生日を一緒に祝ってあげたかった!自分のことは居ないものとして扱ってくれなんてそんなこと言わないで!どうしてあなたはそんなことを当たり前のように言えるの?


「あ、今思えば僕は志那さんに一度も愛されてるという実感がなかったな」


私はその言葉を聞いて心底震え上がった。一度も愛された実感がない?そ、そんなの虐待と変わらないじゃないか…わ、私は世界で一番大切な子供になんてことを…


ガタガタと身体を震え出す。体温が冷たくなっていく。


「だからこれまでもこれからも気にしないでくださいね?」


それが当然だと言うふうに叶人は言った。


「ぁ、ああぁぁぁあぁぁあぁあぁあぁ…」


そして私は理解した。私の今までの行動が世界で一番大切な子供の不幸に繋がってしまったのだと。



あとがき

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