くずかこが口を開けて待つ

17

 神様。どうか、魚骨ササルくんの傷が、早く治りますように……。


 報道部、五月房ミフネには、お見通し。週明けの今日も、学園一帯の街の平和は彼女によって完全に守られている。隣りの教区の奇跡少女とは、出来が違うのである。


******

 夢を見ていた。


 俺は緑の木の葉が眩しい、小さな境内にいた。いつものセミの鳴き声。


 夏祭りでもあったのか、そこにいる人々の晴れやかな顔や、雨風知らずのピカピカな組み水なんかが、俺の目を引いた。中でも台形の木材飾りは、色々な人の思いが文字で読み取れて、こっちまで楽しい気分になる。


 お正月こそメインなのだろうが、訪れた人々の願いや祈りが飾られているそれらは、神様へのお手紙として、「絵馬」なんて名前で親しまれている。


 その絵馬という名前も、生贄として軍馬を神に献上していた名残だ、とかなんだとかいう説があるらしい。生贄と聞くとギョッとするが、まあ説は説だし、俺も詳しくはないので、有平棒の脇にでも置いておくことにしよう。



 「交通安全」とか、「学業成就」とか、家庭の「無病息災」とか、ありふれて目に付く願いの内容は決まっている。何を願うかは、自分がその一年、何に気を配るかの整理整頓だ。お正月という一年の始まりに立ち会い、例えば志望校への注力や、健康管理に責めを負うことを、第三者に誓うのだ。


 もしかしたら、身の周りにいる人も、当人がこんな願いをした、という事実を知ることで、願いそのものが履行されるように動くかも知れない。「車に気をつけて」、とか「体を壊さないように」なんて、人々の営みを彩る中でも、実に健全な声かけである。そして、その大人の姿を見て、子どもたちも成長していき、倫理性は育つだろう。


 願うこと、思うこと、これらを通して、人間は自らの行動を規律する。


 ついぞかくのごとくにして、願いが顕在化することは、ナポレオン・ヒルやジェームズ・アレンなどが詳しいのかも知れない。でも俺達は、その願いの眩しさに身を委ねながら、実のところ、仄黒い心がこうも思っている。


「ああ。せっかく願いの場が与えられたのに 、俺は、自分の利益を願うのか。」

「おい。自分のことより、より大きなもののために願いを使おうとしないのか。」

「世界に流れる涙を減らすよう、なぜ祈らない?」

「……。」


 善いことか、悪いことか。他人の幸せを願うということ、願いの質を高めるということ、これらにこだわり続けてきた一群が、俺達の中にいる。「信者」だ。本来、そういった人々は善良な存在のハズであり、いわゆる「無私」という美徳を持っていると言えるだろう。


 しかし、問題は上記の場合だ。即ち、もし「神頼みに、注意喚起以上の価値がない」というのなら……。願いを聞き届ける神様が、世界のどこにもいないというのなら……。


 俺は今から怖い考え方をする。


 非難するがいい。謗るがいい。俺でさえ答えを知らないんだ。



 それらの他人を思いやる気持ちは、「人知れず」という特性がついただけで、すべて捨象されるゴミになっちまうんだ。


 存在意義が全くないと喝破され、有存在は無存在へとカテゴライズされる。俺は、それが怖い。それをこそ、怖いと思うのだ。これを「不要な臆病さだ」とか、「きっと幸せが訪れる」とか、そう励ましてくれるのは、この世界の誰であろうか。もっともらしい事を言うなら、それは僧侶や神官という名の詐欺師であったり、それらに染められた奴らなのだろう。


 それが「慰め」によってしか回収されないのなら、それはムダだ。個人単位では「しない方が良い」行動だ。……うむ。しない方が良い、行動なのである。生産ではなく消費であり、本来の用途や、本来得らるる効果を減衰させてしまう。


 食べようとも食べられず、残して捨ててしまった苺味の酸味が、俺の舌に込み上げてくる。夏祭り、さざめく葉擦れ、セミの声、楽しそうな大人達、無邪気な子供、夜まで続く灼熱、決して認識されることのない時間、あの日駅ホームから問いかけた月、そして気持ちの悪い自分が、一緒くたに混ぜ込まれて、俺の意識を辱めるように暴力的に引き倒して、そして……。……。



 そして目を覚ますと俺は病室にいて、まどろみの浅瀬で聞いたセミの声は、コンクリートを叩く雨の音だった。


「おう、起きたか。」


 と、久しぶりに親父の声が耳に届いた。


「……仕事はどうしたよ。」


「ん?ああ。ま、流石にな。」


 親父は暗い顔でスカした笑い声を上げた。家には入れ替わりでプロテインのシェイカーが立ててあるので、かねてのジム通いは辞めてないのだろう。だが久方ぶりに顔を合わせてみれば、随分と老け込んだものだ。背もこんなに低かったろうか。


 最後に会ったのがいつかは覚えていない。別に入学式や授業参観に来てくれとも思わないし、採り挙げて話すこともない。結局のところコイツもお袋も、家に帰ってくることのない、ほとんど他人なのだ。


 仲が悪いんじゃない。言うならば疎遠だ。今回来たのは、まあ、警察関係で話が回ったこともあり、世間体的に「来ざるを得なくなった」のだろう。お前のとこの子供が事件に巻き込まれたらしいぞ、とか。久々に会ったのがこれじゃあ、俺も格好がつかない。で、俺は言葉を探す。


「あの、すまんな。心配はいらないよ。母さんはなんか言ってた?」


「うん。心配してた。」


「ゴメン。」


「ゴメンじゃなくてさぁ。」


 親父はぬっ、と顔を近づけた。笑顔ながら、日に焼けた険しい顔に、光る眼が縫い付けられている。


「何処のどいつにやられたんだぁ?お前。」


「……って、言ってもなあ。」


 俺は敢えて飄々と応えた。暗い病室に雨の音が心地よく響く。


「ご存知なんだろ?俺を攻撃したのは動物で……」


「刃渡り二十センチのサーベル状のもの。防御痕なし。傷は刺し傷、深さ百数ミリ。内臓に到達。ひざには小さな擦り傷だけ。しかしこの派手な傷跡に関わらず、出血は何故かごくわずか。傷口は熱処理でふさがれているが、そのせいで正確な時間の特定ができない。血圧測定から逆算すると、この傷は三〜七日前にはできていたとかいう、フザけた数字が出やがった。」


 公安クソ親父はつらつらと喋り、俺は目をつぶって穏やかに微笑む。本日は雨、もう一度眠ることとしたい。おやすみなさい。


「なあササルよ。宇宙人にでも会ったのかぁ?オイ。答えろよ。父ちゃんそんな、バカじゃねえんだけど。」


「いや、俺は馬鹿だから分からねえわ。」


 空返事を返した俺は、寝返りを打とうとした。が、ビビるほどの激痛が腹筋に走り、まるで自分のものでないかのような身体に、思わず笑っちまう。


「っはは。俺はどうでもいいけどさ、現場ではどうなってたんだ。答えようにも、記憶が曖昧でさ。調書かなんかないの。」


「……『一般人』には、開示できねえ。俺も指揮を執ってるわけじゃねえし。いくら身内だからって、捜査班は教えちゃくれねえよ。」


「……そう。」


 俺が思い出されるのは、公園の外の目撃者たち。現場で薙ぎ払われていた警察。酔っ払いのオヤジ。そして超常的な幻影である「消えたマガイア」。何より倒れている奇跡少女と魔法少女の二存在だ。


「……そうだ、みさごは?」


「なんだ、ソレは。輸送機かなんかの名前か。」


「いや……」


 下手に答えると、こいつの敵視するフルーエル教会のツテであることがバレちまう。特徴は、私服が若葉色のワンピースで、でも彼女が奇跡少女の姿で搬送されているならば、その装いは修道服。身を挺してマガイアを倒して、……と。こうしてワードを組み立てていくと、俺は何も言える言葉がないことに気付かされる。



 いつの間にか、ウチ側にいる。外部からの力によって押し込められているのではない。きっかけは俺が作ったが、しかしこうなるとは思わなかった。

 

「言ってくれなきゃ、分かんねえぞ。」


「うーん、いいや。『それ』、概要どうなってんの?」


「いいやってお前……。獣害事件、表向きはな。小雨が降る中、見つかった血痕は『二人』前。お前のと、身元不明のものだ。ほか、気絶した少女が一人と、酔っ払い……少女の父親を名乗る人物が現場の公園にいた。だが支離滅裂で、身元確認を進めているトコロだあなあ。」


「……。」


 現場に残った少女は、ひとり。じゃあ、どこへ行った?奇跡少女は。無事ならば何よりだが、しかし、大勢がその奇跡少女の戦闘を視認してしまっている。それにみさごの振る舞いから見れば、彼女は父娘に厳しい制裁を加えていそうだが。


「その酔っ払いは、何て言ってんのさ。」


「それは知らねえな。精査中で公表待ちよ。だが被害者親族には『この事件を引き起こしたのは自分だ、申し訳ない』と。だが、おかしい。おかしいんだ。目撃者達も警官達も、この事件を討伐済み、ということにしたいらしいんだ。獣の屍体なんて一つも出てきてないんだぜ?」


「じゃ、じゃあ、でも解決でいいじゃねーか。」


「そうもいかねーよ。お前に残された傷口が言ってるんだ。ただの事件じゃねえ、怪事件だってな。」


「ないない!不自然なところなんか、ない!ただの事故だ!血だって、鼻血かなんかで……」


「テメエの着ていた服を持って来ようか?流血が少ないとは言ったが、それでも母さんが洗濯をイヤがるくらい汚らしいぜ。」


「お、俺はただヤラレただけさ!」


 遮った。その推理は聞きたくない。俺の身に近すぎる。近すぎるのに、俺の見た内容と離れすぎている。状況を俺自身が整理しなければ、きっとボロを踏み、捜査線上に中二ヶ原みさごが浮かぶ。仮にも命の恩人だ、警察ごときに近づけさせるものか!


 俺は祈った!早くこの嵐が過ぎ去るように!


「そうか、じゃあこっちから聞くわ。答えろよ?」


「は?」


 ガッ!!

 と、親父はベッドの足を蹴った。


 仮にも俺は病人だし、ベッドは病院のものだ。しかし、当の本人にとって、それらの名実は些細なことだった。


「お前、さっき『みさご』って言ったよなあ。それ、血痕の残っていた身元不明の女のことだろう。お前、ソイツのなんだ……?何故、名前を知っている?」

「ぐ、」


 俺には全力でしらばっくれるしか術はない。この男と真正面にやり合うのは危険だ。逃げるに越したことはない。いや、逃げ「なければ」ならない。


「さ、さあ?俺には関係のない話だ。俺はその獣害事件に巻き込まれただけだろう、それしか知らないな。それが今の俺にできる全力の証言だ。第一、やられたからってそれが何なんだよ!俺はくたばったワケじゃない!」


「凶器が見つかってねえんだよ!凶器が!こっちはガキ一人刺されて、それが俺の息子だったんだぞ!それだけでもクソほど腹立ってるんだよ!!ふざけんなよ!


 で、命助かりました、目を覚ましました、ああそうかい。だがテメエがおねんねしてる間にも、犯人はそのへんをウロチョロしてるんだったら、それはハナシがちげぇだろうがよ!まだ俺みたいに、いや今度こそ、子供を失う親や、家族を失うかもしれねえ人間が大勢いるってことだろうがよ!そこんとこどうなんだ、ササル!」


 俺は、息を呑んだ。マトモだったから。


 俺が怪我人であるというのと同じ理で、奴は治安屋であり、親であった。スバリ、俺を叱責する権利がある。


 俺は寂しそうに冷風を浴びるみさごを思い出しながら、「そんなこと、俺に怒鳴られてもねえ。」と絞り出すのが精一杯だった。


 実際の所、その推理は間違っている。「凶器」、即ちマガイアはもう失われてしまっただろうし、もう魔法少女に抗う力は残されていないだろう。


 どういう仕組みかは分からない。警察も、目撃したギャラリーも、これを獣害事件としてしか認識できていないらしい。だから客観的証拠がすべて食い違っている。


 実態と認識が矛盾している。当事者である俺が、気味の悪くなるほどに……。


「……お前がクチを割らねぇなら、俺は自分で動くだけだ。」


 傷、直せよ。そう言い残した親父は席を外したが、俺の身体はすぐに回復し、週明けには何のこともなしに登校している。包帯まみれで体を強張らせながらではあるが、医者は俺の状態を指して、「奇跡だ」とか言ったらしい。

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