16

 幼子達を許せ。我に来たるを止むるな。

 天の国は、かようなる者達の国である……。



 俺には、死ぬ資格がない。


「……!くっそ、」


 俺はムシャクシャしながら、オヤジをぶちなじり潰した。


「おい!アイツはいつから、どうして!出てきたんだ!あの魔物だよ!」


「えっ、えっ……。」


「吐け!」


 早くしろ。手遅れになる前に。


「さあ、お、お、俺は何とも……。」

「だが、お前は娘に発現した力を利用して、暴れようとした!無関係であるはずがないだろう!」


「いや、ど、どういうものか、は俺も……」

「じゃあお前は!一日何べん子供を殴る!?」

「え、え、えーー」


 絶対に逃さない。俺にも、ウグイス野郎の光が注がれている。振り払うことができるならそうしたい俺は、暴虐の限りを目の前の酒飲みにぶつける。こいつが娘にそうしたように。


「い、一回、だけ……」


「昨日は!?一昨日は!?その前は!?!?」


「毎日、一回だけですよ!!教育も兼ねて!お、俺だってな、あんなバケモノ相手にしたくないんだ……!!」


 ……力が発現した後も、この男は魔女を殴っている。


「あのマガイアにやり返されたことは……!?」


「え、あ、いや、さ、最初に見たとき。し、死にかけたぜ。」


「お前は、」


 俺が今尋ねることは、力の正体だ。不釣り合いな、魔法の正体を突き止めるために。


「お前はどう、娘のあの力を制御しているんだ。」


「子が、親の言うことを聞くのは当たり前でしょう。」


 この線では無理か。


「じゃあ、お前が初めて見たとき、どう生まれたんだ。あの生き物は。」


「あえ、え、酔っぱらってて、何とも。」


「おい!!お前しかソレを見てないんだろ!!しっかりしろ!!」


 俺は最後の望みをかけて全力で威嚇した。


「お前、俺にさっき何て言った!?仲間にしてくれだ!?ナメてんのか!!答えろ!!忘れてるなら思い出せ、……逃げられると、思うなよ!!


 お前は娘を殴ったんだろう!!拳でも!言葉でも!


 殴りながらどうした!殴られたときに、娘はどんな顔をしていた!?傷つける言葉を吐いているとき、どんな顔をしている!?嘲りへの怒りか!?無理解への悲しみか!?不条理への嘆きか!?絶望か!?呆れているのか!?別の何かか!?おい!


 どんな時にソレは現れるんだ!?答えろクソ野郎!!さもなくば、さもなくば!!さもなくば!!お前は今日というこの日に、『親』でなくなる!誰もお前を親と認めない!」


「俺は……、『親』じゃなくなる……」


 さあ、どうだ。途方に暮れた男は、雨のように、ぽつりぽつりと言葉を繋いだ。


「あいつは、あいつは、あ。あいつは、殴ると出てくる。凄んで出てくることもある。な、殴るふりをすると、もっとよく手懐けられる。殴りすぎると、良くない。」


 震えながら、男は言った。


「あいつは、心が不安定になればなるほど、悲鳴を挙げれば上げるほど、腕っぷしが強くなる……。はっきりとは、分からねぇが。」


「…………。」

 そんなところだろうと思った。


 つまり、あのマガイアの正体は恐怖の感情だったのだ。


 ギリギリの俺は暗い目のまま、上空のほとばしる光を見上げた。春告鳥。この男を「親という尺度に」向き合わせたのは俺の手柄だ、そんなちっぽけな刃を握りながら、俺は見上げたのだ。果たして、この緑の守護聖霊が俺の苛立ちを汲み取ることはあるのだろうか。


 被造物とやらの醜さは、このオヤジも俺も大して変わらない。神様から視たのなら。神の神たる所以は権威であり、またその力だ。魔法も、力を権威の二文字に書き換えて奇跡と読ませているだけなんじゃないか。


 確かに存在している醜さを、しかし善良な奴こそ敢えて「見ないように」するのかも知れない。首を傾げた小鳥は、何かを待っているようだった。だから、言ってやった。

「おら、行けよ。」


 みさごのところへ。俺にその力を見せてくれよ。奇跡の威力を。きっと魔女を殺す、完膚なきまでにやっつける、その残虐さを俺に見せつけてもらおうじゃないか。なあ、こんなにも生死に無沈着なんだからさぁ!


 と、知ったかぶりをかます俺に、目障りな光は言った。


「「お手柄、だな。魚骨ササル。

 じゃあそのまま、魔女を無力化しなさい。」」


「…………?」

 何を言っているのか分からない。


「……いや、俺が?」


「「御前様が。」」


 「…………。」


 ウグイスは真面目な顔で言いくさった。こいつは、こいつはシラフで言っているのか。後ろのオッサンみたいに酩酊しているんじゃないのか。


 みさごは、奇跡少女の義務感にしがみつきながら、ずっと戦い続けていた。スタミナ切れからだろう、ダメージを受け始めた。集中力も薄れている様子だ。杖を打撃ではなく、上体を支えるという本来の用途に使い始めている。


「くっ」


「やれ!とどめをさしちまえ!」


「そうは、いかな……」


 マガイアのタックルに少女は柄物を合わせる。致命傷には至らないが、彼女は体重差で容易く吹き飛ばされる。


「おい!奇跡は、お前が、呼び込んでるんだろう!俺の回復なんか一旦やめて、お前が行きゃあ、それで済む話だろうが!それを俺にまかせるのか?恥知らずめ!」


「「何を躊躇うことがある?みさごを案ずる余裕などあるまい。もしこの光を脱いだなら、たちまち死にかける御前様が。」」


 マガイアは、みさごを殴りつけた。フェンスに少女が飛ぶ。


「「借りを作りたくない、のだろう?なら相応に働くがいい。幸い、御前様には余が付いている。ただ歩いて、あの魔女に口を開け。」」


「何を言えばいいんだよ。」


「「言葉は、主が教えてくれる。」」


 猛る小さな火は、俺の選択肢を燃やし尽くす。


 今度は、いよいよマガイアの斬撃が入った。振り払う前足、奇跡少女の悲鳴。


「「さあ、うかうかしていると、中二ヶ原みさごがやられるぞ。」」


「……俺が奴に求めていたのは、こんな残酷さだったか。」


 視点が反転し、俺は呟いていた。やるしかない、らしい。


 ……女の子に冷静になるように促す、それだけでいい。あの女の子は劣勢に回った奇跡少女を仕留めようと躍起になっている。しかし、恐怖で強まる闇の力は、高揚した使役主の元では上手く働くはずもない。決め手にかける連撃が、鞭のようにみさごを打つ。痛みに身を噛まれる少女を見て、あの女は何を思う。



「なあ、お前、さん。」


 ちょっぴり、聖ヴィッテンベルグの呼びかけ方が移ってしまった。名前の知らない人に呼びかけるなんて、俺の陰キャ人生、そうそう多いことではないから。


「それ以上の乱暴は、やめてくれないか。」


「……!」


 魔法少女は引きつった顔で、俺を凝視する。さもありなん、俺といえば、吐血によって真っ赤に染まったシャツ、おまけに、今まで敵として殴り合っていたウグイスレーザーを照射されている。娘の反応なんて想像に難くないではないか。またマガイアの動きは機敏になったんだろう。


「お前さん、何でそんな暴力を、人に振るうんだ?」


「……暴力に、」


 女の子は、言葉を絞り出した。それは簡潔な疑問だった。


「暴力に、理由が必要なの?」


「見てくれ。」


 俺は指差した。


 崩れた奇跡少女と、殴りかかるハクビシン。


 流血。応戦によって剥がれ落ちる黒い肉片。


「あれはお前さんが親父から受けた痛みなんじゃないのか。」


 また、女の子は怯える。


「お前さんは、暴力に耐え続けたんだ。強いよ、強い。

 だから、敵の姉ちゃんや、あの黒い奴の受ける痛みにも、慈悲をかけてやれるくらい、強くなれるはずなんじゃないかな。だって、誰よりも強いんだもん。」


「……。」


 映画を見ているみたいに、女の子は戦いを注視している。痣だらけの両腕を、体の前に畳みながら。今になって身がすくんで動けないらしい。戦いの渦中に巻き込まれて、そして否応なしに力を振るう魔女は、目の前の、小さな、無力の、虐げられた、ひとりの女の子なのだ。


 俺からできることなんて、これくらい。守護聖霊さんよ。俺は説教できるほど偉くないんだ。


「「…………。」」


 なんで、黙っているのだろう。まだ何かを満たしていないのか。


 ふと、パトカーのサイレンが近づいてくるのに気が付いた。ウーウーと、頼りなさげに鳴くそれらは、到着までもう秒読みだ。いつの間にか、公園の外にギャラリーがいる。


 ……、もう後戻りは効かない。


「いや〜〜、魔女っ娘さん。何とか、あれ、鎮めてくれないでしょうか。魔女っ娘さんにしかできないことなんですよ。お願いしますよ〜〜。ね?ね?」


「……もういい、もうやめて!ハクビシン!」


 暴走するマガイア。勢いはどんどん強くなる。


「ねえ、やめて!やめてよ!」


 吹き飛ばされる奇跡少女。


「と、止まらない。」


「ねえ、言うことを聞いて!ねえ!」


 まずい。

 マガイアが、人間の手を離れて、その力が形となる。


「ど、どうすればいい!?ヴィッテンベルグ!!」

「「…………。」」


 ヴィッテンベルグは答えない。答えないのだ。何かあるはずだ!何か手はないのか!戦えない俺にでもできる、何か、魔法のようなものが!または、奇跡が。


「ねえ、どうしよう!?どうしようお兄さん!?わた、わたし、もしあのお姉ちゃんを倒しちゃったら、わたし!!」


「一緒に考えよう!悲劇を、塗り替える作戦を!」


 女の子は、パニックで涙ぐんでいる。


 また、闇の爪。今度こそ鋭く深い攻撃がみさごを切り裂いた。勢いあまって、公園の外まで吹き飛ばされたみさごは、到着したパトカーの後ろまで転がっていく。制服を着た集団が、拳銃と警棒を握っててんやわんやだ。


 勝てるはずがない。あんなもので。おもちゃのように男達が薙ぎ払われる。女の子は更に過呼吸を起こし、マガイアは力を受けて雄叫びを上げる。状況が、完全に「ハマっている」。これを断ち切る為には、どうすればいい!?どうすれば!!


「……っ。はは。」

 そういうことかよ、神様。



 こんな簡単なことだから、俺に任せたのかよ。


 俺が、今、ここで、この魔女を殺せばいいのかよ。それで万事解決するじゃねーかよ。感情が暴力の根源なら、意識を飛ばせばそれがそのまま正解になる、そういうことかよ。


 でもそれしかねーのか?悲劇を終わらせるために、別の悲劇で塗り替えるっていうのか。そんなの、誰が望むんだよ。


 でも、俺にはそれしか思いつかねえ。解決策を求めに求めて、煮詰めに煮詰めて、浮き上がったのがこの回答かよ。


 神様が、望んでいるっていうのかよ。



 神様とは何だ。


 シナリオを書いて俺たちに押し付けてくる馬鹿か。こんな悪趣味な配役をさせてくるなんて、罰ゲームでも度が過ぎるぞ。でもそれが、神様なのか。


 考えようと言いながら、考えれば考えるほど、この作戦以外が思いつかない。壁となって邪魔をする。俺は、女の子の喉に手を伸ばす。呼吸をするのでやっとな女の子は、見ているだけで苦しそうだ。


「ね、ね、どう、しよ。わた、たし。わたし。」


 また、警察の悲鳴が上がる。見ている人も悲鳴を上げる。


 誰も、俺を見ていない。


「どうしようね。」


 俺は笑顔でいられているだろうか。


 ……恨むなら、神様を恨んでくれ。


「夢の中で、神様に挨拶しといてくれ。ゆっくり、おやすみ。」


 女の子の答え。

「それ、で、許されるな、ら。」


「…………。」


「死なんて、怖くない。」


 俺は、俺は。……俺は?

 

 直後、背後からストロボが炊かれた。不意を突かれた俺は、よろめいて膝をついた。ドサリ、と女の子は倒れた。


「え、何?何だ?」


「「気絶させた。」」


 ウグイスの声が聞こえる。公園の周囲は、何やら物々しい空気になった。眩惑に襲われた俺は、平衡感覚が分からなくなり、必死で地面に這いつくばっている。


 ……気分が、悪い。


「「中二ヶ原みさご。」」


「うぐ。けほ。」


「「魚骨ササルと合流。」」


「はい……。」


 ボロボロになりながら、みさごはフェンスの外側から金網を握った。人なのか、ボロぞうきんなのかわからないそれは、俺たちを守るために、そして敵を倒すために、執念で戦い続けているのだ。


「ササル……。マガイアの正体は?」


「……恐れる、気持ち。」


「魔女が学ぶべきことは……?」


「…………。分からない。」


「お前が、その少女に託したいことだ。」


「……、勇気。」


 使役主は、少し苦しみながらだが、眠っていた。黒いハクビシンは、あの閃光のあと、動きを完全に停止している。ぽっかりと口を開け、警察の方を向いている。


「『処遇』は、主がお決めになる。いや、どれほど道を踏み外したかによって決まるから、結局決めているのは、魔女自身。」


「……。」


「ササル、目を逸らしていてもいい。できれば、見ないで欲しい。」


 こんな弱音を言ってくれるようになったのか。いったいどんな心変わりだろう。でも、その目に見えぬ痛みが分かった。愛おしさも。


「戦いのために、身を変え、権威を授かります。それは、何者かが、『臆病さ』を求めるが故に、損なわれる人間性が在るからです。彼女に、『勇気』をお与え下さい……」


 再び、奇跡少女は光をまとった。ウグイスが、俺から離れ、みさごの周囲を旋回する。光もどんどん増えていき、そして……。



 光がなくなったとき、気を失った奇跡少女と、魔法少女が倒れていた。マガイアは跡形もなく消えていた。ボロボロの公園、意識を飛ばした少女二人。そして、軽傷者数名。ワンワンと泣く酔っぱらい。


 あーあ、もうすぐそこが、家なのに。

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