公園の女
小林勤務
第1話
人の善意というものは分かり易い。
この前、電車に乗っていた時――
まあまあ混んでいたので、一般、優先関係なく席は全て埋まっていました。暫く電車に揺られていると、とある停車駅でどっと乗客が増え、足腰が悪そうなお年寄りが乗り込んできたんです。すると、一般席に並んで座っていた男女(恐らく夫婦)がその存在に気付いたんでしょうね。
ちらちらちらちら。
旦那さんの方が、足腰が悪そうなお年寄りを横目に見ながら、下を向いてスマホをいじっている奥さんに目配せしていました。
多分、席を譲ってあげるんだろうな。
ドア付近の背もたれに寄りかかりながら、そう推測していると、私の読み通りに二人は立ち上がり、どうぞどうぞとお年寄りに席を譲りました。
赤の他人の私でさえも、人の善意はなんとなく雰囲気で推測できます。
自分に向けられている好意ってのも分かり易いですよね。現実社会では鈍感系なんてものはありません。
じゃあ、悪意はどうでしょうか。
これはよくわからない。
自分に向けられた悪意ならば、ある程度危険を察知できそうなものですが、自分に向けられていない、つまり――赤の他人が赤の他人に向けている悪意になると、なおさら分からない。
悪意の対象は人間だけとは限りません。
例えば、無差別的な動物虐待とか。
悪意は誰にも気付かれることなく、静かに日常を侵食していくのでは。
そう思った出来事をお話しします。
これは昼下がりのとある公園で遭遇した出来事です。
住宅街の公園って、平日のお昼時になると仕事中の大人たちがちらほら休憩しています。
都市部の公園ならわかるんですよ。
だって、公園は都会のオアシスですから。近くに会社があったり、元々人の往来が多い場所だったり、自然と人が集まる場所なんです。
でも、住宅街の公園ってそうじゃない。
駅から遠いし、周りにお店や会社なんかもない。つまり用がなければわざわざそこを訪れない。近所の子供以外アクセスが悪い場所なんです。
それにも関わらず、案外会社員を見掛けます。
もちろん園内にいるのは、大人たちだけじゃないですよ。
近所の子供たちもいます。野良犬なんかはいませんが、カラスとかスズメとかも見掛けます。よくある光景に、余所者ぽい大人が紛れ込んでいるんです。
特に平日。
何故だと思いますか?
これには理由があります。
住宅街の公園って大抵植林されてるので、公園の周りに日陰ができる。これがポイント。その周りで、大人たちがいわゆる営業車を停めて休んでいる、というわけです。
都市部ではそもそも道が狭いので、路駐できるスペースがない。
人通りも多いので落ち着かない。
必然的に道幅が広く、静かな住宅街の公園に流れ着く。
日陰に路駐して、車内でスマホをいじって、昼時はコンビニ弁当ぶらさげて、公園のベンチでランチというわけです。
案外穴場なんですよ。
しかも、自然の中でご飯食べるって格別ですから。
公園の周りに住んでいる住民からしてみれば、迷惑この上ないんですが、明確に路駐禁止という標識がなければ、こんな理由で平日の公園には会社員――外回りの会社員――が結構たむろしています。
その日、私も彼らのように公園のベンチでコンビニおにぎりを食べていました。
絶妙な曇り空で、日差しも弱く、秋の風が心地良い。
休憩するにはうってつけの気候。
こんな中、食べるおにぎりって旨いんですよ。特に塩気があるようなものって、とりわけ旨く感じてしまう。
そんなわけで、園内はまあまあの賑わい。
砂場やブランコで遊んでいる子供たちもいれば、私のような大人たちもベンチに座って昼食をとっていました。
大人は、私含めて三人。
ガテン系のおじさん、黒いスーツの若い女性。
皆、一定の距離を空けて、ベンチ、石段に座りながら、昼食をとっていました。
公園って時間を止める魔力があります。
居心地が良いので、いつまでもこの場に留まりたくなる。
仕事に復帰したくなくなる。
少々愚痴ぽくなっちゃいましたが、皆そういうわけにはいかない。
ガテン系のおじさんは一足先に弁当を食べ終えて、石段から立ち上がり、黒いスーツの若い女性も食事を終えて、ベンチを後にしました。
私も彼らに促されるように手早くおにぎり、総菜のから揚げを平らげ、缶コーヒーを飲んで、さあ行くかと立ち上がろうとした時――妙な事に気が付いたんです。
ベンチにゴミが放置されていました。
そのゴミとはコーラの空き缶です。
ベンチに座っていたのは黒いスーツの若い女性。
彼女が飲んでいたコーラを片付けずに、そのまま置き忘れていたわけです。
何故、ゴミの放置が妙な事なのかって話ですが、これは後で説明します。
その時は、なんとなく引っ掛かりを覚えたんです。
結果として予感は的中しました。
最近、公園にゴミ箱って設置されてないですよね。
ゴミ収集の人件費削減か、それとも衛生面からか、その理由は定かではありませんが、この公園にもゴミ箱は設置されていませんでした。
当たり前のことですが、自分のゴミは持ち帰る必要があります。
彼女は外見的にそこまでマナーが悪そうには見えなかったので、その時はきっと単純に片付け忘れたんだろうなって思いました。
でも、わざとじゃないにしても、ゴミが放置されるのって、傍から見て気分がいいものじゃないですよね。すぐ傍で、子供たちが遊んでいたので、100%ないとは思いますが、誤って口につけたら最悪ですし。
話は飛びますが、幹線道路の中央分離帯って酷い有様です。車内から投げ捨てられたゴミだらけ。見掛ける度に、うわあ最悪と思いながら通り過ぎてます。
そのため、大げさかもしれませんが、その時は天に祈るような気持ちで、彼女が空き缶を取りに戻ってくれたら嬉しいなと願っていたら、私の祈りが届いたのか再び彼女はベンチに戻ってきました。
ああよかった。
彼女が空き缶を片付けるのを見届けたら、ぼちぼち仕事に復帰するかと思ったのですが、それは叶いませんでした。
彼女が妙な事をしたんです。
それは、何を意図しているのか、初見では全く理解できませんでした。
彼女は元居たベンチに座り、置き忘れたコーラの空き缶を手に取ると、中身をじっと覗き込みました。
ちらっとではなく、何かを確かめるように、じっと。
私は少し離れた場所にいたので、よくわからなかった。
遠目から彼女は何をしているんだろうと、妙に気になったんです。
それに、気になっていたのは、コーラを覗き込んでいる仕草だけではなかった。
彼女を見掛けた時から、ずっと違和感が付き纏っていました。
余計な好奇心なんでしょうか。
その正体が何か確かめたかった。
でも、次の瞬間、彼女のある行動を目撃した時、私は後悔しました。
ああ、余計なことを考えずに、さっさとこの場から立ち去ればよかった。
なんか気持ち悪いものを見てしまったと。
私が見てしまったのは、こんな内容です。
彼女は、じっとコーラの空き缶を覗き込んだ後、バッグから小さい何かを取り出して、そのままコーラの中に入れました。そして、何事もなかったように、再びベンチにコーラの空き缶を放置して、その場を後にしたのです。
一瞬、何がなんだか分かりませんでした。
コーラの空き缶を回収しにきたんじゃないの?
何しに戻ってきたの?
一旦戻ってきて、再び放置したってことは――わざとコーラの空き缶を放置したってことだよな……
つまり――
何か目的を果たすために、再びベンチに戻ってきたのか……?
そう思うと、一気にいいようのない気持ち悪さが足元からぞぞぞと這い上がってきたんです。
目的って何だ?
コーラに何かを入れるため?
百歩譲って、タバコならわかるんです。吸殻を空き缶に捨てて、そのまま放置。よくないことだと思いますが、これなら理由も明確じゃないですか。
よくわからないんですよ。
彼女がコーラに何を入れたのか。至近距離にいたわけじゃなかったので、明確に何を混入させたかのか分からなかった。
得体の知れない気持ち悪さに包まれながら、段々と彼女を見掛けた時から付き纏っていた違和感の正体が分かってきたんです。
まず、コーラ。
その日は特に暑い日でもなかった。学生でも飲んでいるのを見掛けない、500ml缶のコーラをわざわざ選ぶのかな。
そして、その飲み方。
ストローで飲んでたんです。
あえて面倒臭い飲み方を選んでました。
なんでコーラなの?
しかも、そのサイズ。
しかも、ストローで。
しかも、そのまま放置して。
と思ったら、戻ってきて何かをコーラに入れて。
さらに、そのまま放置して。
私は、ぽつんとベンチに放置されたコーラの空き缶から目が離せませんでした。
そして、きゃっきゃっと子供たちの嬌声が聞こえるなか、最悪なことを思い浮かべてしまいました。
これ――
誤って子供が飲んだらどうなるの……?
いやいや、待てよ。
今のご時勢、赤の他人が残した飲みかけのコーラを口に入れてしまうような子供なんていないだろう。
そうだよな。
普通こんなの誰も飲まないよな。
だよな。
そう思ったのですが、再び最悪なことが頭を過りました。
いや、待てよ。
飲むかもしれないのは、子供だけじゃないよな。
カラスとか、犬とか。
私は暫く、その場を離れることができませんでした。
私が片付けるのもおかしいし、こんな気持ち悪いもの手に触れたくもない。
あまりにも意味不明過ぎる行動だったので理解もできず、また通報するような確証もない。
わからないんです。
ただ、何となく理解できるのは、善意ではないんです。
彼女は一体、何を期待したんでしょうか?
公園の女 小林勤務 @kobayashikinmu
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