第4話 謎の貴婦人現る

 東海道神奈川宿とうかいどうかながわしゅく風情ふぜいを残す新香町商店街しんこちょうしょうてんがいに三代続く、【和装わそうとおしゃれ小物の店 新香町美濃屋しんこちょうみのや】。

 そこにこつぜんと現れた、半世紀以上前の北軽井沢の別荘地から抜け出してきたような貴婦人。


「夏物でしたら、こちらのの着物と帯などいかがでしょう」

 シャモの母が提案したほおずきや柳、あさの葉が描かれた着物や帯を、貴婦人はゆっくりと吟味ぎんみしている。

「こちらの柄は娘世代でも合いますかしら。娘は高校三年生なのですが」

「そうですねえ。お嬢様の御髪おぐしやお肌の色に好みもありますでしょうが。あら拝見しても。まあ、何て典雅てんがで美しいお嬢様。これほど和装が似合いそうなお嬢様も今時珍しい」

 うつむき加減で高校の制服に身を包んだ少女の写真を見ると、シャモの母はお世辞抜きで感嘆のため息をついた。


「奥様やお嬢様のような方にこそ、着物も着られて本望ほんもうでしょう。少々お待ちを。他にもお嬢様に合いそうな生地がありますから」

 浪裏鉄骨なみのうらのてっこつ歌唱院新香かしょういんしんこら老演芸人用の着物や、近所の子供会用のハッピや甚平に既製品の浴衣ばかりを扱っていたシャモの母。


「漢太! 夏物の反物たんものをありったけ持ってきておくれ。女物の柄物がらもの。お嬢さん用だよ。うちにゃ縁の無さそうな上品な奥様がお見えだ。アンタも着替えてちゃっちゃと四代目ぶりな」

 久方ぶりに腕の鳴る相手が来たと大張り切りで店奥へと引っ込むと、シャモを呼ばわった。


「うちの愚息です。高校三年生ですが、お嬢様とは大違いで。本当に行儀が悪くって落ち着きのない子でしてまったくもう」

 シャモは無言で手早く亀甲柄きっこうがら大島紬おおしまつむぎに着替えると、普段の彼にはあり得ないほど綺麗な黙礼もくれいをして、反物たんものを運び込む。

「奥様、御薄おうすでもいかがです」

 シャモ母がシャモに目くばせをして再びしほり母と一緒に反物たんものを見ていると、とても普段からは想像のつかない所作しょさで、シャモがふすまを開けた。


「まあ、お若いのにしっかりした息子さんですこと」

 きめ細かく立てた薄茶うすちゃ干菓子ひがしを添えて出すと頭を下げて退席しようとしたシャモ。

 その軽く下げた頭に、貴婦人の声が掛かる。


「今日は娘と共用できそうな夏物を見に来たのです。こちらがうちの娘。どんな着物が似合いそうでしょう。それから娘の浴衣も仕立てようかと思っておりますが、若い男性ならばどんな見立てをなさるのかしら」

 にっこりと口角を上げてスマホを見せる客に、シャモは思わず息を飲む。ほぼ無意識で呼吸を整えたシャモは、常になく落ち着いた様子で口を開いた。


「お嬢様のパーソナルカラーは冬タイプとお見受けいたします。ですので、こちらの茄子紺地なすこんじ夏椿柄なつつばきがらの浴衣などお似合いかと。着物の方はこちらの白地に柳のに、深緑の帯に銀の帯締おびじめなどいかがでしょう。ご本人の好みもありますでしょうが、寒色かんしょくかつ深めの色を選ばれるのがよろしいのでは」

「確かに、私には思いも付きませんでしたわ。娘用だと思うとついつい淡い色や優しい柄ばかりに目が行って。やはり男性は女性と少し目の付け所がちがうのかしら。本当に息子さんはお目が高い事。いっそ娘の採寸さいすんから息子さんにお願いしようかしら」

 とびきりの上品な笑顔でとんでもない事を口走ると、貴婦人はシャモが入れた薄茶を飲んだ。

「まあ御冗談を! うちの愚息など荷物持ちでももったいない位です」

 おほほほほとシャモの母が脂汗を流しながら笑う中、シャモは深く頭を下げて店奥へと引っ込んだ。


※※※


 新香町美濃屋しんこちょうみのやに不釣り合いな貴婦人を見送る母親の、不自然に高い営業用の声。

 その声が止んで、いつものだみ声がシャモをつかまえる。

「まったく何て日だ。あのお客さん一人でうちの二か月分の売上が立っちまった。こっちは仕立ての段取りを組むから、帳面ちょうめんを付けておいてくれ。頼んだよ」

 無言でうなずいて伝票を受け取ったシャモ。


〔シ〕「やべえ、マジでやべえよ」

 店のパソコンを立ち上げて顧客台帳こきゃくだいちょうファイルに無心で客情報を打ち込んでいるうちに、もやがかかったようなシャモの意識がようやくはっきりとしてきた。


※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。

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