燃ゆる琉球
@Amami_official
第1話 暁闇
1942年のミッドウェー海戦以降、日本は次第に太平洋の制海権と制空権を失っていった。1944年になると、フィリピン戦におけるアメリカ軍の勝利により、日本の海軍力はほぼ壊滅状態に追い込まれた。本土では連日のようにアメリカ軍の爆撃が続き、東京、大阪、広島といった主要都市が甚大な被害を受け、国内の資源は枯渇しつつあった。1945年には、日本はほとんどの占領地を失い、今や沖縄が本土防衛の最後の砦として、血で血を洗うような激戦の舞台となっていた。
1945年3月28日、突然鳴り響いた防空警報が夜の静寂を引き裂いた。鋭い警報音が夜空を切り裂く刃のように響き渡り、巨大な鉄の鳥が咆哮しながら首里城周辺の山岳地帯を震わせていた。街の静けさは一瞬にして粉々に砕け散り、空気には緊張と絶望が漂っていた。
首里市郊外の石灰岩洞窟の一つでは、薄暗い角にボロボロの服を着た一人の少年がじっと座り込んでいた。目は虚ろで、外の爆撃の轟音が雷鳴のように続いている。遠くでは、アメリカ軍のB-24「リベレーター」重爆撃機が低空飛行し、日本軍の防衛陣地に対し新たな攻撃を加えていた。洞窟内は暗く湿気がこもり、数人の人々が角に縮こまっていた。防空警報が頭上で響き渡り、終わりの見えない悪夢のように続いていた。この洞窟は島尻郡摩文仁村の山奥に位置し、主要な交通路からは遠く離れているものの、周囲では時折日本軍の巡回する物音が聞こえていた。
「もしかすると……平和が訪れるのかもしれないな……新しい生活が始められるかもしれない……」
農夫が苦笑しながら、低い声でつぶやく。
「また警報か……アメリカ軍がまた来たんだ。」
布袋をしっかりと握りしめた女性が洞窟の入り口を不安げに見つめながら、震える声で言った。「こんな日々、一体いつになったら終わるのかしら?」
その夫は洞壁にもたれかかり、できるだけ落ち着いた声で彼女をなだめるように言った。「今や沖縄は彼らの標的だ。上陸作戦の準備をしているだけだ。ここに隠れていれば、何とか乗り越えられるかもしれない。」
「アメリカ軍はすでにマニラに進軍し、硫黄島の日本軍もほぼ全滅したと聞いた。もしかすると、この戦争も終わりに近づいているのかもしれない。」
眼鏡をかけた教師がしばし黙考した後、静かに言葉を発したが、その声には深い不安がにじみ出ていた。
「もしアメリカ軍が本当に上陸してきたら、私たちはどうなるのかしら……殺されてしまうの?」
若い女性が唇をかみしめ、震える声で尋ねた。「私たちは蛮族を追い払ったのに、次は別の強盗がやってくるなんて……」
「少なくとも、こんな爆撃はもうなくなるだろうな……無限の恐怖もこれで終わるかもしれない。」
彼女の声はかすれ、目には強くこらえた涙が光りつつも、どこかに一縷の希望を感じさせた。
角に座っていた一人の農夫が苦笑いを浮かべ、再び低い声で答えた。「そうだな……平和が本当に訪れるのかもしれない……新しい生活が始められるかも……」
「平和」という言葉が口にされたものの、洞窟内の空気は依然として重苦しかった。誰もが言葉にできない恐怖と絶望を抱え込み、戦火の影がその希望のすべてを容赦なく飲み込んでいた。
角に静かに座っていた少年の名は西郷海(さいごう うみ)。爆撃に巻き込まれた際に両親とはぐれ、その生死は未だ分からない。外の世界が今どうなっているのか、彼には全くわからなかった。彼の心には深い恐怖と不安が渦巻いており、それは目に見えない鎖となって彼を縛りつけていた。数か月前の正月、両親と一緒に過ごした日々を思い返す。貧しい生活ながらも、両親はサトウキビを育てて生計を立て、辛いながらも愛と温もりに満ちた暮らしだった。その温かさは、厳しい時代を生き抜く彼の心の支えだった。
だが、そのすべては戦争の煙と炎に引き裂かれてしまった。真珠湾攻撃以降、太平洋戦争が泥沼化し始めた頃から、少年の生活は悪化の一途をたどった。日本軍は大規模な労働力と食糧の徴発を始め、防衛工事を建設するための徴用が進み、さらに兵士の募集も拡大していった。食糧は日に日に不足し、生活はますます厳しくなった。しかし、そんな日々の中でも両親の愛と少年の無邪気な夢想だけが、彼の唯一の精神的な寄り所だった。
今、両親の行方は分からず、生死も不明だった。少年は両手で服の裾をぎゅっと握りしめ、涙が止めどなく頬を伝い、洞窟の冷たい土にぽたぽたと落ちていく。この暗い洞窟の奥深くで、彼の孤独な姿は一層小さく見えたが、まるで戦争の痛みそのものを背負っているかのようだった。
外ではまだ爆撃の音が続いており、戦争の大波がこの土地を無情にも呑み込み、罪なき命を次々と深淵へ引きずり込んでいた。
湿った洞窟内の空気は息苦しく、ここ数日、食糧も水も補給されないまま、小さな子どもたちですら奇妙なほど静かだった。泣く力すら失われたように。ただ、人々は石壁にもたれ、頭を垂れながら、まるで知らぬ間にやってくる裁きを黙って待っているかのようだった。
「水がもう尽きかけている……」
眼鏡をかけた教師が手に持った水筒を振ると、中にわずかばかりの水がカラカラと金属音を立てた。その声はため息のように小さかったが、この静寂な洞窟の中では妙に耳障りに響いた。
「水がなくなった、食料ももうすぐだ……」
女性が低くつぶやきながら、幼い子どもを腕に抱いていた。声は震えていたが、彼女は平静を装おうと必死だった。抱かれた子どもの顔は青ざめ、母親をじっと見つめていたが、一言も発しなかった。
「外へ……本当に出られないのか。」
女性は顔を上げ、目には恐怖の色が宿っていた。「アメリカ軍が近づいている。上陸してくるわ……爆撃される……それに日本軍も……日本軍に捕まったら私たちは殺される!」
洞窟内の人々の顔に、一瞬、微かだが暗い影が走った。
「そうだ。」
壁際に座る年配の男性が静かに言葉を発した。「日本軍は俺たちを信用しちゃいない。こんな風に隠れて助け合おうとしている俺たちを、連中は“裏切り者”だと見なす。捕まったら……何を言っても無駄だ。」
「爆撃なんてもってのほかだ。」
女性は唇を噛みしめ、声を震わせた。「爆弾が落ちるとき、場所なんて選ばない……外に出れば行き場を失うだけよ。」
再び空気は沈黙に包まれた。女性は俯き、抱えた子どもをさらに強く抱き寄せた。外界の恐怖を少しでも遮断しようとしているようだった。
「だが、このままじっとしているわけにはいかない。」
壁にもたれていた農夫がついに口を開いた。彼は立ち上がり、服についた埃を払い落とすと、洞窟の中を見渡しながら言った。「水も食料もないまま、ここで待っているのは、生きるためじゃなく死を待つだけだ。」
この言葉に対し、洞窟内の誰もが口を閉ざしたままだった。農夫の目には、燃えるような決意が宿っていた。
「外の状況がどれだけ危険かはわかっている。」
農夫は言葉を続けた。その声には抑えきれない怒りと焦燥が滲んでいた。「アメリカ軍は爆撃を続けている。日本軍は容赦なく殺す。だが、俺たちに他にどうしろと言うんだ?ここでじっとしているだけで解決するのか?あの子どもたちが明日まで持つと思うのか?」
彼は女性が抱く子どもを指さし、声をさらに高めた。「このまま見殺しにする気か?餓死させる気か?」
女性はびくりと身体を震わせ、子どもを抱きしめ直したが、顔を上げることはできなかった。他の人々も黙り込んだまま目を伏せ、誰も反論しようとはしなかった。
「だから、俺は外に出る。」
農夫は冷静さを取り戻したような声で言い、教師に目を向けた。「一緒に来る者がいればついて来い。いなければ、それでもいい。」
洞窟内は再び静寂に包まれた。遠くから微かに聞こえてくる爆撃の音だけが、張り詰めた空気を震わせていた。
その時、角に座り込んでいた少年の声が静かに響いた。「僕が行きます。」
全員が声の方向を振り返った。声の主は、西郷海だった。彼はずっと隅で静かに座り込んでいたが、今、ゆっくりと立ち上がった。その顔は蒼白だったが、年齢にそぐわないほどの決意が宿っていた。
「お前が?」
農夫は彼を見上から下までじっと見つめ、少し驚いたように言った。「何をするつもりだ?」
西郷海はしばらく黙ってから顔を上げ、小さな声で答えた。「外の様子を見に行きたいんです……もしかしたら、父さんと母さんの手がかりが見つかるかもしれない……」
女性は小さく首を振り、「あなたには無理よ……外は危険すぎるわ……」と震えた声で言った。
「危険なのはわかっています。」
西郷海は大きく息を吸い込みながら言葉を続けた。彼の目はどこか不安そうだったが、その声には迷いがなかった。「でも、ここにいるだけじゃ何も変えられません。」
農夫は彼を数秒間じっと見つめていたが、やがて頷いた。「いいだろう。ついて来い。ただし、俺の言うことをちゃんと聞くんだぞ。」
「僕も行きます。」
その声は教師のものだった。
農夫と西郷海が振り返ると、教師が眼鏡を押し上げながらゆっくり立ち上がった。その顔は相変わらず冷静だったが、声には揺るぎない決意が込められていた。「道案内をする者が必要だ。それに、日本軍の目をどうやって避けるか知っている人間も必要だ。私も同行します。」
農夫は少し驚いたようだったが、すぐに頷いた。「いいだろう。お前がいれば心強い。人数が多ければ、それだけ知恵も出る。」
「では決まりだ。」
農夫は布袋を手に取り、すでに覚悟を決めた様子で言った。「俺たち三人で外に出る。食料と水をできるだけ探して、夜明け前に戻る。」
「もし……もし外で日本軍に会ったら……」
女性が恐る恐る言葉を発した。その声には深い絶望が滲んでいた。
「それは運次第だ。」
農夫は淡々と答えた。その冷静な声は、まるで他人事を語っているかのようだった。
西郷海は視線を落として袖を握りしめたが、その目は洞窟の出口をじっと見つめていた。外の闇は静かな深淵のようで、すべての光を飲み込んでいたが、彼は一歩前へ進み、農夫の後に続いた。
教師は最後に立ち上がり、洞窟の中の人々を一度振り返った。彼は何か言おうとしたが、結局何も言わず、ただ一つため息をついて眼鏡を押し直し、素早く二人の後を追った。
三人が洞窟の出口へ向かうと、農夫はしゃがみ込んで慎重に石をどけ始めた。外からは冷たい夜風が吹き込み、土と煙の匂いを運んできた。その匂いは胸を締めつけるような圧迫感を与えた。
洞窟の人々は三人の後ろ姿をじっと見つめていた。そこには期待の色を浮かべる者もいれば、俯いて未来を恐れる者もいた。
「あなたたち……必ず戻ってきて……」
女性は子どもを抱きしめながら震える声で言った。その声には懇願するような響きが込められていた。
農夫は振り返ることなく手を振り、そして闇の中へと消えていった。西郷海はその後を追い、教師が最後に洞窟の外へと姿を消した。
洞窟内は再び静寂に包まれた。遠くから響く爆撃音だけが残り、それは止むことのない低いささやきのようだった。
黒い影がさらに近づいてくると、そのシルエットがより鮮明に浮かび上がった。影の持つ長い物体が月光に反射し、それが銃であることが明らかになる。足音は洞窟の入口のすぐ手前で止まった。
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