アリアドネの鎖

ミナトマチ

アリアドネの鎖

「マッチングアプリを使って、今まで実際に会った人は5人です」


「………へ、へぇ……」


木目もくめの温かさが照明と合わさって、とても柔らかな時間が流れる喫茶店。

カウンター席で隣り合う男女の、右側に座っていた男の体の重心が、さらに若干右に傾いた。


「1人目は31歳の人でした。結婚願望がすごく強かったですね。悪い人ではなかったんですけど、なんか俗に言う年収アピール始めちゃって…安心感を与えようと考えたのかな。自分の貯金とか話し始めたんですよ!温度差感じて、連絡はやめちゃいました。

2人目と3人目は同じ24歳の人。とくにパっとしなくて、あんまり覚えてないです。4人目は26歳の会社員。正直この人が一番きたんですけど、なんか次会う約束しようとしたらいつも仕事仕事っていうんですよ。

そこで!私ピンときて。実は私、昔の元カレとのやりとりで『あわない人を自分から遠ざける力』に目覚めたんですよ!

そして5人目!もう……その人がホント人としておかしくって!その人は21歳の大学生で……」


なるべく相手の目を見て話を聞こうと、真島鋼清ましまこうせいは相槌をリズムよく打ちながら傾聴しようと努力を続けたが、4人目に入る手前でやめて目の前のコーヒーを啜ることに専念した。


「完ッ全に遊び目的でした。なんか目つきもいやらしかったし、何より考えが軽薄でまるでデリカシーがない!なので私、コウさんみたいな歳下の方と、あまりお話したことがないんですよ」


「……んぁ、そ……そうなんですね。……なら僕は、通算5人目になるわけですか?」


「あ、いえ。6人目ですね」


「……すいません」


鋼清はバツが悪そうに顔を伏せて、またコーヒーを啜った。

やってしまった。

しかしちょうどそこに、鋼清たちが注文した料理が運ばれてきた。

渡りに船、いや渡りにパンケーキだった。

彼女が注文した大きめのジビエバーガーと鋼清が2秒で決めたパンケーキが、先ほどを噛み殺していたのが見えた女性店員によって淡々と並べられていく。


接客態度にはあまり感心しなかったが、その時ばかりはウェイトレスが女神に見えた。


ウェイトレスは切れ長の涼しげな目元に、長めの黒髪ポニーテール。

右手には細い鎖のブレスレットがあまり主張せずに巻かれていて、よくみるとキレイな人だった。


「…へぇ~ジビエバーガーもおいしそうですね!」


先ほどのこともあってか、鋼清はかぶりをふって気をとりなおし、努めて明るく振舞ってみせた。


「私は前にも食べたことあるんですけどね。コウさんはパンケーキ……あ、プロフに甘いものが好きだって載せてましたね、だから!……なんか私、めっちゃ大食いみたいで恥ずかしいですね……っていうかコウさん、アプリで実際に会うのって私が本当に初めてなんですか?」


「え…‥あ、はい……そうですけど……なにか?」


さすがにこの歳になると、彼女ナシ=年齢が恥ずかしくなってきたのである。


そして、いいかげん街ゆくカップルを恨んだ眼で見たくなかった。

いいかげん……食事に出かけるたびに見かけるカップルの…向き合って座る彼らの頭を掴んで、おもいっきりテーブルに叩きつける……そんな逆恨み式の暗い妄想しかできない自分が情けなかった。

いいかげん……休日に家に引きこもり、映画三昧で時間を浪費し、寝る前に開いたSNSで、カップルたちの眩しいほどの休日と比較して大きな虚無感をもう味わいたくなかった。


普通に生活しているだけでは、もうどうにもならないから。

鋼清は清水の舞台から飛び降りる覚悟をもって。

マッチングアプリを始めたのであった。


隣に座る女性……T花とはメッセージで1か月ほどやりとりをした。

厳密には、だった。

だから間違いなく、やり取りを深めて実際に会ってみた女性第1号なのであった。


「い、いや何かあるとかではなく、その……コウさん、なんか妙に落ち着いてるなって‥…」


「そうですか?こう見えて内心バクバクですよ?」


そうして数十分ぶりに、2人の視線が交錯したのだった。

プロフィールの写真は加工が基本と熟練の友人から教えられていたが、T花は写真どおりの顔だった。


容姿やスタイルだけでいえば、鋼清に文句など一つもなかった。


ただ驚いたのは、写真の彼女は黒髪だったが、実際の彼女は金髪だったことだ。

そしてさらに、いや、それよりも驚いたのは……


「‥‥…あ、う……なんかハズイ……はぁ~~暑い暑い!!」


鼻に若干の汗を浮かべて、赤面したまま正面に向き直り、パタパタと顔を仰ぐ仕草をする彼女のその両手!


その両手で異様な存在感を放つ、シルバーアクセサリーの量の多さに、鋼清は何よりも驚いた。


まず、右手首にブレスレットが2つ。

細く綺麗に繋がるチェーンとくさび一つ一つが大きい、存在感のあるチェーン。

右手には他にも、人差し指と薬指にツタのような植物がモチーフのシルバーリングが光っていた。


左手首にも同じような細いチェーンと、おそらく「蜘蛛」であろう生き物が刻まれたゴツメのバングルが鈍い光を放っている。

指にももちろん、人差し指、中指、小指にそれぞれ指輪がはめられていた。

その内の一つはよく見ると歯車のような形で、一周回って洒落ていると思えた。


清楚でおとなしそうなイメージしかなかった鋼清は、面食らってタイミングを失ってしまい、アクセサリーのことを切り出せないままだったのだ。


「……あ……えっと、その……T花さんのその、アクセ‥…」


「あ、そうだコウさん!もしですよ?唐突ですけど……もし、


「‥‥……はい??」


鋼清の言葉を断ち切って、赤面が少し残るT花はそう切り出した。


「ほら、私ホテルで働いてるでしょ?あ、実際に遭遇したわけではないんですよ?でも、そういう話を聞いたこともあって。コウさんならどうします?こう‥…お客様からそんな内線がかかってきたら!」


「……よくは分かりませんけど、まずは状況を確認して、上司に相談すればいいんじゃないですか?」


「そうなんですけど……実は上司にはそういう場合、近づかないほうがいいみたいなことを言われてまして……現場保存のため?とかなんとか。っていうか、そもそも怖いので、確認しに行くような勇気がないので……行きたくないんですけど……」


鋼清は軽く頭痛を覚えたが、顔に出さないようにしてカップに手を伸ばした。

口に含むがコーヒーはもう入っていなかった。


「あ―――……そうですね…もちろん現場は保存をしなくちゃいけないと思いますが、かと言ってほっとくわけにもいかないんじゃないですか?やっぱり。

従業員として確認してから、しっかり警察に通報しなくちゃいけないと思います」


自分の意思なんて関係なく……ね。


最後は言わないようにして、鋼清はさっと手を挙げた。

切れ長の目元を……あいかわらず凛とさせずに眠そうなままで、さきほどのウェイトレスがやって来た。


「おかわりください」


「‥‥…はい。かしこまりました」


空いたカップが下げられるのを見届けていると、T花がハンバーガーから口を離してまた何かをしゃべりだす。


「じゃ、じゃぁ‥‥…もうひとついいですか?」


「……ええ。もちろん。いろいろお話しましょうってことでしたし。映画でもなんでも。あ、お話の前に僕からも1ついいですか?メッセージのなかで言っていた、おすすめの映画の話をもう少し詳しく聞きたいんですけど!」


「あ、ああ……あの映画のことですか。それはもちろん。あの映画のおもしろいところは、やっぱり2人のヒロインの心理描写ですよ。まだ見ていないならほんとうにぜひ見てほしいです」


「へぇ……心理描写ですか……サスペンス系でしたっけ?」


話が軌道に乗ってきたような気がして、鋼清は幾分か気持ちが軽くなった。

T花もどことなく楽しそうだった。


「いえ、サスペンスではないんですけど‥‥…ヒロインのうちの、陽キャの方が‥‥…そういや、あの人に似ているな。あ……同僚の女性なんですけど。実はその人のことで聞いて欲しいことがあるんですよ!その人っていうのが……」


いつのまにか、映画の話は終わってしまった。

呆気にとられていると、注文したコーヒーが運ばれてきた。


その時不意に、ウェイトレスと目があったような気がした。

なにか言いたげな顔だったが、さっと踵を返して、また厨房近くの柱……そこが彼女の待機場所なのだが……そこまでつかつかと歩いて行ってしまった。


鋼清は、そこで改めて店内を静かに見渡してみた。

和やかな雰囲気のなか、マダム達が談笑しあっている。

T花に負けず劣らずの金髪の女性が、ギターを背負って入店してきた。

すぐ後ろにいた‥‥…彼氏だろうか。彼も同じくらいの大きさのギターケースを手に持っている。

店長と顔なじみの夫婦なのだろうか……店長を呼び止めて、まだ生まれたてに見えるわが子を幸せそうな顔で紹介していた。


決して、静まり返った店内ではなかった。むしろ音があふれていた。

にも拘わらず、鋼清は自分たちがとてもような気がしてならなかった。

T花の徐々にヒートアップする語気が、変な注目を浴びていないか心配だった。


おおよそひと言も話さずに、なん十分も相槌を打ち続けるだけの……コーヒーを啜るだけの自分を他の客が‥‥…特にあの、ポニーテールのウェイトレスなんかが嘲笑っていやしないか。


鋼清は逃げ出したいような、なんともいえない居心地の悪さをずっと抱えているのだった。


「私ってほら、めっちゃ陰キャじゃないですか。で、その同僚は陽キャ。休日はいろいろな人と遊び続けているような人なんです。化粧とかもキレイ系で‥‥…とにかく私とは全然違うタイプの女の人なんです!休憩時間とか一緒になったときなんか……ぜんぜん会話が続かなくて困ってるんです。向こうもなんか私のことを嫌っているような……聞いたわけじゃないんですけど……どうすればいいと思います?」


「‥‥‥‥………っあ‥‥…え―、まずはそもそもその人と仲良くしたいんですか?」


「う~ん……そういうわけでもないんですけど‥‥…オーナーその人にはめっちゃ優しいのに、私には冷たいんです。職場で話ができるのは40代のおばさまだけ。仲良くしたいっていうか、沈黙が困るって感じかなぁ……」


鋼清はいらだつ気持ちに蓋をして、なるべく言葉を選んだ。

何分前からかは忘れたが、鋼清の心は……なにか決定的なスイッチが切り替わっていた。


「じゃ、じゃぁ……無理に話さなくてもいいんじゃないですか?確かに沈黙とか、そういう気まずさはあるかもしれませんけど……タイプも違うみたいですし、業務に支障が出ない程度に関係性を維持できればいいんじゃないでしょうか。僕なら、そういうの考えだすと疲れちゃうので、心のそこから距離を置いたりはしないですけど、ある程度の距離感は保ちますかね。‥‥…すいません長々と……」


「あ、いえ。なるほど……そういう考え方もあるんですね。たしかにその人、仕事はめっちゃできるんですよ。私は結構迷惑かけちゃったりして‥‥…仕事ができないから嫌われていたのかと思いましたけど、なるほど!絶妙な距離感。うん。気を付けてみます!いやぁ、コウさん、ホント話しやすいです!」


「‥‥‥‥……は、はは。そうですか……」


言ってやりたかった。というより先に言ってくれれば『あなたの勤務態度を見直したらどうでしょうか?』と返せた。


冷たく、どこまでも突き放すような言葉と感情が渦巻いたが、よしんばその情報を知っていたとして、そんなことが実際に言えただろうか。


そこで鋼清の体から一気に力が抜けた。


「だいたいオーナーもいい加減なんですよ。めったにうちの店舗には来ないくせに、来た時だけえらそうに。気に入ったやつしか贔屓しない……河童みたいな顔で気持ち悪いって、ほかのおばさま達も言ってるんですよ?」


『そうなんですね。それはいけないですね。でもちょっと河童に失礼ですね……』


「ライオンって卑怯だと思いませんか?雄のライオンですよ。狩りをするのは全部雌!集団の上に立つものがそんな卑怯なのって、今の政治家と同じだと思うんです!」


『ライオンの【プライド】が政治とどう関係しているか。僕には分かりませんが、ライオンのオスもオスで大変だと思いますね』


「漫画の話?あぁ‥‥…あの有名なやつなら知ってますよ。そう言えばコウさんお好きなんでしたね。途中までしか読んでないんです。あの、バリリアンの決戦までは読みました。シルバーが死ぬとこです。序盤ですか?」


『いや、中盤くらいですよ。あとバリリアンの決戦でシルバーは死んでないです』


気がつくと、喫茶店に入って実に3時間近くが経とうとしていた。


もはや鋼清の精も根も尽き果てていた。


人の話を聞き続けるのがこんなにも大変だったとは。


喫茶店の閉店時間が差し迫っていたので、T花は話を切り上げ席を立った。


鋼清もよろよろと伝票を片手に立ち上がった。

レジの前まで行くと、件のウェイトレスが静かに立っていた。


「お会計、2350円になります」


「コウさん、すいません。私今大きいのしかなくて……あとで払うので……あ、いや待ってください。もしかしたら‥‥…」


そういってT花は財布やら鞄をまさぐり始めたので、鋼清は最後の力を振り絞って笑顔を作った。


「あ、いえ。いろいろ楽しかったのでここは僕が出します。お店にも迷惑になってしまうかもしれないので、T花さんは先に出ていてください」


「え……でも、そんな……」


「任せてください。大丈夫ですから」


鋼清は一秒でも早く帰りたかった。

なにかに気圧されたのか、T花はぎこちなく店を後にした。

鋼清は財布から3000円取り出して、トレイに静かに乗せた。


出会いが無いから始めたマッチングアプリ。

なにかが変わると思っていた。

しかし、まさかこんなものだったとは。

自分の固めた決意とは、期待とはなんだったのか。無駄だったのか。


ぐるぐるとめまいがしそうな……『迷宮』に入り込んだような気分だった。

脱出することは出来そうもない。


「お客様。……お客様?」


「っはい!あ、おつり……」


「はい。650円とレシートです」


ありがとうございましたと言って、ウェイトレスの彼女は頭を下げた。


「どうも…‥‥」


そういって踵を返し、一歩目を踏み出した瞬間。


「今日はお疲れさまでした」


小さいが、しかしはっきりとそう聞こえた。


歩き出した足を止めて、振り返ると。


ウェイトレスの彼女が、相変わらずやる気のなさそうな目つきだったが……小さく手を振っていたのだった。

そんな彼女の振る手から、細い銀のブレスレットが眩い光を放っていた。


鋼清はなにか、こみあげて来るものを必死で抑え込んで、一礼してドアを潜った。

彼女のブレスレットの輝きは、ちょうど辺りをつつむ夕焼けと同じような美しさであった。

鋼清にとっては、そう思えたのだった。


その後一度も、鋼清はT花に会うことはなかった。

だが、その後も鋼清はその喫茶店には通い続けた。

コーヒーがおいしかったのもあったが、この喫茶店に来ることが、あのやる気のなさそうな彼女に会うことが……迷宮攻略には必要だと思ったから。


「すいませーん!注文お願いしまーす!」


そう言って手をあげる鋼清の左手首には、半周ずつ形の違うで繋がれた、シルバーチェーンが巻かれていたのだった。

















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