或る作家、流行の悪魔と斯く戦えり
或る冬の日、帝都のアパルトマンの一室で
その音が癇に障ったかの如く、彼は
――やめろ、読みにくい表現をするな
そんなに顔を顰めて何をしているのかと
顔を顰めているのもこれと云って機嫌が悪いと云うことでもなく、文学者とはそう云うものであると頭から
――改行を増やせ、漢字を減らせ、美女を出せ
彼は再度その安く強い酒を飲み下すと、
――やめろ、その感じは流行らない
彼が熱心に書いているのは、明治から大正、昭和の中頃の文学への憧れは垣間見えるも、文学的な感興は一切湧き起こさない小説であった。かの大漱石の三四郎の如く今一つ精彩を欠く大学生の内面を描く物であったが、凡夫の才が描き出す情景は、単に学生が延々と無責任な社会批判を肴に酒を飲む様な退屈な物ばかりであり、更には彼が文学は筋ではないと
「やめろと言ってるだろ」
彼が突然耳に飛び込んだ声に驚いて顔を上げると、小豆色の袴を穿いた痩せぎすの書生風の男が睨むように彼を見下ろしていた。
「そんな流行らないもんやめちまえ。見ろ、この馬鹿みてぇな格好を。今時こんな古臭ぇもん、誰も喜ばねぇ」
珍客に驚きながらも害意は無いと見て取った彼は、丁重に素性と来意を問うた。すると男は歯を剥き出しにして笑い声を上げ、怖いものだと口にした。
「悪魔だ。お前が怖くて怖くて仕方がない流行の悪魔だよ。お前があんまり怖がるからよ、出てきちまった。いいか? 俺はなぁ、お前が書いてるようなもんが大嫌いなんだよ。特にそういう自己満足の、奥深くて難解なテーマがあるわけでもない、単に退屈で読みにくいだけのやつはな。二度と小説を書けなくされるのが嫌だったら、さっさと文体を改め……おい、なんだ、何をしている」
まさかと思ってちょっと文章を打ち込んでみたが、
俺の思ったとおり、ヤツの見た目は古臭い着物姿から、革の鎧を着て剣を持った少年に変わってやがる。
見た感じは中坊ぐらい、†
「やめろ、その、なんて言うんだその、黒いの」
俺の右手に封印された
「お前、上手いとでも思ってるのか? 切り刻むのと時を刻むのをかけて……恥ずかしいとか、そういうのはないのか」
黙れ! お前は必ずここで倒す。セシリアは俺が護る! 汝邪悪なる流行の悪魔よ、その身に忘れられし刻の黒き歴史を刻み、
「クソがっ、何がヘルだ、誤訳だ誤訳! 煉獄と地獄の区別もつかないマヌケが! 煉獄は、お前が思ってるような物じゃねーんだよ!」
俺がそのくだらない言葉を華麗にスルーすると、ヤツはのたうち回りながら第二形態に変化した。その身に纏うのは、無駄なベルトが何本も付いた†漆黒†のレザー。
ククッ……流行からズレた文体に、流行から取り残された格好。これがヤツの
ま、いずれにしてもこれでジ・エンド。
ククッ、そのまま
だが、どうやらそうは問屋が卸さねぇ。
さすが流行の悪魔なんて
なんだって? 下町人情物なんざ流行らねぇからやめろだぁ? てやんでぃこのべらぼうめぃ!
そらオメェ流行りゃしねぇよ。こんな世知辛ぇ世の中じゃあ人情なんて絵空事だし、江戸弁なんてろくすっぽ聞いたこともねぇや。こうして俺が
でもよぉ兄ちゃん。あれ、
ま、んなこたぁどうでもいいんだ。悪魔だかサクマのドロップスだか知らねぇけどよ、いきなり人様のもんにケチつけて、流行りじゃねぇから書き直せってなぁ
オメェの言う通り、確かに世の中には流行り廃りってもんがあらぁな。ちっとも流行りに乗ってなきゃ、そら見向きもされねぇよ。
でもな? 流行りなんざしょせん世を映す鏡じゃねぇか。こちとら日銭稼ぐために本書ぇてんじゃねぇや。
ってなもんでさぁ、ってかさ、ウチらアソビで書いてんだから、流行とかマーケティングとかより、好きってことが大事なんじゃないかと思う。
そうやってパソコンに打ち込んでると、アイツは舌打ちしてアタシを睨んだ。
え? お前ケータイ小説なんか読んだことないくせに、イメージで書いて失礼? 様式が違う?
関係ねーから笑 そーやってカタにはめんのよくないよ? タヨーセーっていうでしょ。
ってかなにそれ、何持ってんの? うわ、ガラケーじゃん! なつかしー! ヤッバいよねパカパカパカパカ、今の高校生見たことないかんねそんなん。
アイツはすごく苦しそうな顔でアタシを見て、ガラケーで何回も床を叩いた。ガマンできないぐらいダサいってことかな。
カーテンの隙間から月明かりが差し込んで、アクマの青白い顔を照らしてる。涙が頬を伝って落ちて、真珠みたいで綺麗だった。
アタシが死んだら、誰かがこんなふうに悲しんでくれるのかな。
くれたらいいな。
いきなり現れて、なんどもぶつかったアクマとアタシだけど、この思い出はForever……ずっと忘れない。
震えるみたいに動く唇をよく見ると、やめろって言ってるみたく見える。
命乞いとかしても無駄ンゴwwww
誹謗中傷は逝ッテヨシ定期
もまいらの好みじゃないかも知れんが、もれの好きなのはこれなんだ
折角マターリしてたのに邪魔しに来たんだから、痛い目見るのは自業自得
ぬるぽ。
ガッ!
ガッシ! ボカッ! アクマは死んだ。
それの体は雲散霧消し、銭湯の脱衣所の如く湿り気を帯びた生温い風が、彼の頬を軽く撫でる。
その風は、どこへ流れていくものか。風というものは一見すると自由な様でいて、その実気圧の低い所に流れるのが天然自然の理であるから、件の悪魔もまた低きに流れ、流行の体現者然とした作家連中に後ろ指を指される事を非道く恐れる卑屈な作家の
だがそれは彼の知った事ではない。風船の様に丸々と膨れ上がった彼の自尊心と羞恥心は、彼が他人に関心を持ち、他人の作品を優れた物と認め、自らの作品を正当な評価の下される場に曝す事から彼を遠ざけており、ただ彼の信念に沿って書かれた作品を
強固な恥の
所で、悪魔とは元は神に仕えし者である。大悪魔ルシフェルは天使の長たる
〜Fin〜
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