新競技! スポーツマウンティング
□ある朝のテレビ番組
アナウンサーと評論家が真面目な顔で
「さあいよいよ開幕が近づいて来ました、史上三度目の東京オリンピック! 停滞する日本経済が成長する起爆剤になり得るのか、世間の評価も割れていますが……やはり気になるのは新競技となるスポーツマウンティングですね! 進藤さん、まさかマウンティングがスポーツに、という驚きがありますが、これはスポーツ界ではどう受け止められているのでしょうか?」
「そうですねぇー、これはまぁ、あのー、スポーツという言葉をどう捉えるかなんですね。マインドスポーツって言葉がありまして、例えばチェスとか、バックギャモンとか、あと最近だとeスポーツ、こういうものが含まれてるわけですねぇ。ま、あのー、瞬間的な判断力であるとか、それによる体の動きとか、そういうものをフルに使う競技なんだ、ということですねー」
「なるほどぉ、体を動かすからスポーツだ、ということではないんですね。それで、やっぱり新競技スポーツマウンティングの選手の皆さんも注目はされていますが、やはり国際競技として試合は英語で行われるということで、マウンティング通訳の方も注目を集めています。進藤さん、やはり競技の性質上、通訳の方の重要性は高いものになりそうですか?」
「それはそうですね。やはりマウンティングという競技の性質上、文脈に沿って、ニュアンスを正確に伝える必要がありますからね。しかしこれで私が思うのは、やはり日本は……柔道や空手みたいに発祥国ではあるけれどルールメーカーになれなくて、欧米の国にいいようにされてる面がありますよねぇ。本当だったらマウンティングの公用語は日本語だ! ぐらい主張したっていいと僕は思う……もちろんまあ、その、大変ローカルな、ある種マイナーな言語ではあるけども……」
――――――――――――――――――――――
スポーツマウンティング日本代表を決めるこの場において、私はなんとか精神的な優位を保つ材料を探していた。
どんな競技でも、あるいはどんな試験でも、己を疑ってしまっては勝てない。
とはいえ根拠のない慢心は猛毒だから――なんとか自分が納得できるもの、偏見でもいいから、自分の中でロジックとして成り立つ自信を持たないといけない。
マウンティングの本質は、虚栄だ。
虚栄ならば根拠なく張れるだろうって?
それは、素人が最初に陥る罠だ。
SFにしても、ファンタジーにしても、超技術の宇宙船や不思議な魔法をそれらしく描くために、あるいは実際の政治や軍事ではありえない演説や奇策を格好良く見せるために、膨大な量の緻密な設定をしているのだ。
そうして初めて、デカい面して大嘘を、あるいは荒唐無稽な大見得を押し通せる。
マウンティングもそうなのだ。
本質的には優劣のないものに優劣を与える――この一つの嘘をつくためには、千の理屈が必要になる。
そういうものだ。
さあ落ち着いて、呼吸を整えて、対戦相手の顔を見ろ。
山本彩子、二十五歳、幼稚舎から大学までの生粋の慶應卒で、語学力を活かしてドイツ資本の大手医療機器メーカーに勤務、ついでに美人。
なんてこった、マウンティング設定資料でも読んでる気分だ。
私が、この二十九歳の中堅電気メーカー勤務、かろうじて清潔感は保っていると自負するファストファッション中心の装いの男が、こんな生まれながらのマウンターに勝てるのか?
いや、勝てる。勝てるさ。
マウンティングは生まれじゃない、技術だ。
むしろ天然のマウンティング要素に恵まれた彼女のことだ、技でひっくり返す経験に乏しい可能性だってある。
やってやる。
何だぁ? その無駄に高そうなスーツは。
スーツは実用品だ。
実用品に求められるのは
はい! 私の服の方が優秀!
私の心は整った!
相手の表情を伺ってみると、薄っすらと細めを開けて無表情に私の方を眺めている。
なるほど……
しかし、その冷静さが仇になることもあるのが、この競技の難しさでもある。
理由は簡単。
本来、知的で冷静な人間はマウンティングなどしないからだ。
「プロファイルリーディング! オン・ユア・マークス、セット、スタート!」
審判の掛け声に合わせ、私と彼女はテーブルに伏せられたプロフィールシートをめくる。
そこには競技用に与えられた自分の住宅や学歴、職歴、年収、趣味等のプロフィール設定と、相手の性別と年齢が記載されている。
これで自分の社会的なステータスを把握したうえで、会話を通じてプロフィールシートに書かれていない相手の情報――つまり性別と年齢以外の全てを聞き出しながらマウントを取る。
これが、スポーツマウンティングの大枠だ。
さて、今回私に割り当てられた
そして、女――そう、自分と同じ性別のペルソナが与えられるとは限らないのが、スポーツマウンティングの面白さだ。
その他にも食べ物の趣味や飲酒、喫煙、宗教など、様々な設定が書き連ねられ、それを頭に叩き込む。
相手側の情報は性別と年齢だけが書かれていて、二十八歳の男であることしかわからない。
そう、できる限り公平を期すため、私が異性のペルソナなら、相手も異性のペルソナを与えられるのだ。
「ネクストステップ! ルーレット、ゴー!」
設定読み込みの制限時間が過ぎ、審判が赤黒二色のルーレットを回す。
これで、プレイヤー二人の内どちらが先に話し始められるかを決めるのだ。
結果は黒――相手の先行。
試合開始の笛の音。
相手の顔には、余裕の笑み。
「こんばんは、お一人ですか?」
初手、人数確認。
今回のマウンティングフィールドは東京、丸の内のバー。それを考えると……悪くはないが、少しばかり不思議な手だ。
例えばナイトクラブや喫茶店、あるいは街中のどこかであれば、後から連れ合いが来る可能性が高い。だから、人数確認は大した効果は無いものの、様子見系の自然な手といえる。
しかし、今回のフィールドはバーだ。
確かにバーで待ち合わせることも無いとは言い切れないが、比較的一人でゆっくり過ごすことに違和感が無い場所だから、一人であることを前提としてもマイナスは少ない。
だからマウンティング界ではもっと積極的な一手、何を飲まれてるんですか? がバー定石として好まれる。
初手何飲みは相手のペルソナが酒を飲めるかの確認はもちろん、回答する飲み物と付随する会話には趣味嗜好や経済状況等が反映されるから、相手のバックグラウンドや社会的ステータスの類推に必要な情報を引き出すのに有効な手だ。
また、酒や茶、コーヒー等が絡む定石は、会話の流れ次第でテイスティングバリエーションとウンチクバリエーションに分岐する。
その際に、初手何飲みから始めれば先に相手の得意分野を探れる。
だから、バーでは初手何飲みが定石になる。
定石外しには、意図か弱みのどちらかが潜む。
ただ単に酒が飲めないペルソナなのかもしれないが……理想的なパターンは、酒が飲めるペルソナなのに、対戦相手自身に十分な酒の知識が無いパターン。
さあ、お前はどっちだ。
「こんばんは、一人ですよ。あの、それは何を飲まれてるんですか?」
先手、人数確認。
後手、何飲み。
典型的なカウンター。
さあさあ、ワイン? ウイスキー? それとも可愛くブラッドオレンジジュースかぁ?
お前の苦手分野を見極めて、執拗に! 粘着質に! ネチネチちくちく突いてやる!
そう思っていたのだが、どうにも違和感、まとわりつくような気持ち悪さがある。
原因は、恐らくは相手が浮かべる不敵な笑み。
「ボウモアの……二十五年です」
彼女が口にしたその名は、スモーキーで豊かな香りが特徴的なスコッチウイスキー。それも二十五年といえば超が付く高級品。
酒を知らない人間から出る単語ではないし、かなりの高収入を予想させる回答。
こいつめ、誘って受けるとは大したタマだ。
さて、ここで眼前に開けるルートは三つ。
酒の話を続けるか、高級品の名が出た所で金の話に移るか、それとも両方から逃げて別の入口を探すか……
いや、戦場は丸の内のバー。
酒と金の両方から逃げたら、実質的な白旗だ。
「へー、ボウモア! じゃあスコッチがお好きなんですね! 私はもっとピュアな香りの方が好きなんですけど、ボウモアもいいですよね。スコッチの中でも特徴がわかりやすいし、なんか通っぽくて人気ですよねぇ」
「あー、その感じだとバレンタインとかそういうのお好きですか? それもねー、いいですよねぇ飲みやすくて」
「えー、味わいがクリアだから感じ取るにはセンスがいりますけど。でもあれですね、凄いですね二十五年なんて。やっぱりその、結構稼いでらっしゃるんですか?」
挨拶代わりのプチマウントの応酬から、収入方面に戦線拡大。
知識マウントはマウンター自身の知識量に依存するから、詳しそうな相手に下手に挑むのはリスクが大きすぎる。
まぁ……ボウモアは相手のブラフで実は大して詳しくない可能性もあるが、今は無理に攻める所ではない。
「いやいやそんな。一応二千万ちょっとですけど、まあ、総合商社なんで、社内ではフツーですよ」
に、にせ、二千万だとぉ?
だめだ、八五〇万では太刀打ち出来ない。押し切られる、力で抑え込まれる。
いや、待てよ?
それならば……
「わあ! 凄いですね! 私なんか九百万いかないぐらいで、友達からはいいねって言われるんですけど」
「へぇ、お友達って、東京の方ですか?」
「いやー鎌倉の方でぇ、私今も家は鎌倉なんですけど。あ、お住いは都内なんですか?」
「そうですね。まぁ、一応港区の方でぇー。都心だと一千万あっても全然お金持ちって感じしないし、大変ですよ」
「わぁ! やっぱりタワマンとかですか?」
「そうですね! さすがに最上階とまでは言わないですけど、高層階は眺め良いですよ」
「すごーい! ウチ昔っぽい平屋なんで横に広いだけだし、タワマンなんて格好良いなぁ」
まずは相手の情報を引き出しつつ、お互いにマウンティングポイントの取り合い。
年収では負けているが、鎌倉の高級エリアで広い平屋となれば、物件次第では中古でも八千万、九千万に迫る勢いだ。
そしてそう、一代二代で金を握ったサラリーマン家庭では到底出せない、オールドマネーの香りがある。
そこをつついて、反発させて、まずは勢いを持たせてやる。
「へー平屋、なんか古そうですね」
「あ、実は新築なんですよ! 親から土地もらっちゃったんで、立てちゃいました。山本さんのお宅は、やっぱりお給料で?」
「まあ、そうですね」
「フルローンで?」
「まあ……はい」
「へーそれは、自立してて偉いですね!」
「そう……でしょう、ははっ。妻も子供もいますから、私がしっかりしないと」
来た。来たぞ、いい流れだ。
「いいですねぇ。私なんて広い平屋に一人なんで、時々寂しくなりますよ。でも本当に立派ですね。奥様はお仕事は?」
「あ、専業主婦で」
「じゃあ山本さんがお一人で家庭を支えてらっしゃるんですね? 二千万稼げるなら」
この資産家家庭対ただの給料の高いサラリーマンの構図。相手にとって、年収の高さが一番のストロングポイント
「そうですね。やっぱり男ならねー……」
来たぞ来たぞ来たぞ。
「男ならこれくらい稼いで家族を支えないと」
「チェック! コンプライアンス!」
敵の――生粋のエリートマウンター山本彩子の失言を捉えて、私は審判にコンプライアンスチェックを請求する。
スポーツマウンティングはあくまで競技であり、多様性や基本的な人権は尊重されなければならない。スポーツである以上、差別を助長してはならないのだ。
山本は――本気でいい男はそれぐらい稼いで普通と思っていそうな資産家のお嬢様は、口を滑らせた。
あろうことか男性上位の社会を支え、女性の経済的な自立を抑圧し、旧弊なジェンダーロールを押し付ける側の発言をした。
審判の笛が鳴り、山本の顔は、青白い。
「山本選手! ポリティカリー……ノット・コレクト!」
ポリコレ規定の違反は即失格。
スポーツマウンティングの品位を保つための、絶対的なルールだ。
「ありがとうございました」
「ありがとう……ございました」
こうして私は、なんとか東京五輪日本代表予選を勝ち抜くことができた。私のマウンティングが世界に通じるかはまだわからないが、なんとかメダルを取れるように頑張るつもりだ。
まあそれはさておき、長年スポーツマウンティングをしていて思うのだが……この山本さんも然り、マウンティングなんかする奴に、ロクな人間はいないんじゃないだろうか。
〈了〉
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