中部地方のある場所について

Sora Jinnai

そのはし、わたるべからず。わたるなって。

 バドミントン部の朝は早い。夏休みといえど午前九時までに朝食にありつき、丁寧にワックスで髪型を整えた後、練習開始の15分前には待機する。水曜の練習は午後一時から始まるため、24度の冷房が効いた2-Cの教室で、忙しいビジネスマンのようにサンドイッチをほおばるのだ。


 空には暗雲が立ち込め、うすら寒い校舎内には僕以外ひとっこひとり見当たらない。失礼、それは言い過ぎた。実際は用務員や教員がしっかりと働いている。

 一昨日から降り続く豪雨によって近隣の川が氾濫。浸水などの被害はないものの、橋が落ちるなど交通に大きな影響を及ぼしている。


 うちの高校は最寄り駅から伸びる道がただ一つ。歩いていると途中で大きな川の上を渡る橋にさしかかるのだが、今日崩れたのがそのくだんの橋である。


 それが影響してか、我がバドミントン部はなぜか体調不良者が続出し、教室で待機しているのが僕ただ一人だけという奇妙な状況が出来上がった。


 困った。外へ通じる唯一の道が閉ざされてしまった。これでは数少ない健康な部員たちは校舎にたどり着くことができないではないか。たった一人で練習というのはトレーニング内容的にも限度がある。これでは練習が成り立たないぞ。

 窓ガラスを大粒の雫が打つ。僕はたまごサンドをペットボトルの紅茶で流し込んだ。


「どうしたものか」

 頭を抱えてると、開かれた廊下から歩いてくる音が聞こえてきた。


「セーフ、間に合った」

 一人の学生がヘッドスライディングを決めて教室に飛び込んだ。黒板の上の時計はちょうど一時を刻む。


「おお、清輔きよすけか。おはよう」

「おはよう。俺、セーフだから罰走なしだよね?」

 清輔は得意げに言った。集合ではなく練習開始が一時であるため本来なら遅刻であるが、来てくれただけ喜ばしいため見逃そう。

 さて、僕は彼の姿に目を丸くした。白いワイシャツはどろ色に滲み、リュックサックまでびしょ濡れである。そうまでして練習に来てくれるとは。日頃遅刻をくりかえす清輔とは思えない熱心ぶりに僕は目頭が熱くなった。


「まだタミだけ?みんな罰走じゃん」

「ああ、今日体調不良者多いから」

 タミとは僕のニックネームである。清輔きよすけが考案したもので部活のみならずクラスでも定着してしまった。由来について昔訊いたことがあるが、「ダミ声だから」だそうだ。僕は決してダミ声なんかではない。


「よく来れたな。橋落ちてただろ」

「ああ、まあ厳しかったけど泳いで渡ったよ」

「すげえ。お前アレ泳いで渡ったんだ」

 半笑いで僕は言った。だが普段の清輔とはなんだか雰囲気が異なるような気がする。僕はそれとなく質問をなげかけてみた。


「お前なんか髪型キモくね」

「嘘、どこが変かな」

 焦った様子で訊き返してくる。鎌をかけるつもりだったのだが目論見が外れた。仕方ない、ここは適当に指摘しよう。


「なんか肌はナメック星人だし、シャンプーハット被ってるのはダサいし、爪汚いし、口臭いかも」

 しまった、口が臭いのはいつもどおりだ。清輔は図星をつかれた様子で胸の前で手を振る。


「いやいや、それじゃ俺カッパじゃん」





「いやカッパだったわ」

 確かに。僕も指摘しているうちになんか似ているなとは思った。

 一体どうして清輔はカッパになってしまったんだろう。昨日までの彼は、爽やかなドレッドヘアーの似合う口の臭い優男だったはずなのに。


「タミ、なんでこうなったか知らない?」

「いや僕が知るわけないでしょ。口臭いのはたぶん歯を磨いてないからだと思うけど」

「待って、思い出したわ。あれは歩いてる最中のこと」

 そういうと清輔の頭頂部からホワホワという音とともに雲が沸き立った。僕は驚いて身を退く。


「橋が落ちてこれじゃあ遅刻だって絶望していたんだ」

 白い雲に橋の前で膝をつく清輔の姿が映し出される。それどういう構造なんだ。


「すると川の上流から、うんとこしょどっこいしょって具合に魔法のランプが流れてきたんだ」

 それ『おおきなかぶ』の方だな。ロシアの昔話の方だな。


「俺はランプを拾い上げ、よく見るとそれは」

「それは」

 清輔はもったいぶって言う。僕は食い入るように顔を近づけた。どうせカレーの器だったとかだろうけど。


「カレーの器だったんだよ。まあ擦ると魔神が出てきてくれたから別に良かったんだけどさ」

 ほらね。うわなんか口臭。あ、これカレーの匂いだわ。こいつ朝食間違いなくカレーだったわ。僕は正気を疑った。


「そこで俺はお願いしたわけよ。川の向こう岸に渡れるようにしてくださいって」

「でカッパ?」

 清輔は大きくうなずいた。魔法のランプとは眉唾物であると考えていたが、こうして清輔がカッパに変わったのだから信じざるを得ない。僕は魔法のランプに興味がわいてきた。


「で、その時使ったランプがこちらです」

「おお、料理番組みたいに出てきた。それ僕も使っていい?」

「ええ?これ俺が見つけたやつなんだけど。使うなら金払えよ」


 口臭いだけに飽き足らずがめついヤツめ。僕は仕方なく財布から新五百円玉を取り出し、清輔の顔面に投げつける。清輔は大喜びでランプを僕に渡した。

 馬鹿め。校舎内の自動販売機はすべて型落ち。新五百円玉なんて使えるものかよ。

 しめしめと口元をほころばせ僕はランプをこすった。


 甲高い破裂音の後に紫の煙が教室を包み込んだ。段々と視界が晴れていき、そこにはカレー容器から上半身だけをのぞかせる大男がいた。いやに筋肉質な体に紫色の肌、金色のブレスレットがかちかちと音を鳴らす。


「初めまして。私、ジーニーと申します」

 千夜一夜物語に登場する魔神の名前と一緒だ。丁寧な言葉遣いに僕は思わず頭を下げて挨拶した。


「あなたはランプを擦りましたね。一つだけ願いをかなえて差し上げましょう」

 ジーニーさんは得意顔で腕を組んだ。叶えられる願いは一つだけか。これは慎重にならないといけないな。僕は欲望に序列をつけていく。お金、女性、名誉。永遠の命とかは流石に要らないだろう。


 しかしここで僕は思い出す。清輔は川の向こう岸へ渡らせてほしいとお願いしてカッパにされた。おそらくカッパになったことで濁流と化した川も泳いで渡ることができたのだろうが、提案された要望からは少しずれているではないか。果たしてこのジーニーさんが言葉通りに願いをかなえてくれるかどうか疑わしい。


「タミは何をお願いするの?」

 清輔が僕の顔をのぞきこんでくる。カッパらしい緑色の肌はカエルのようにねっとりと光沢をまとっている。

 普通に気持ち悪い。何かの間違いで僕までカッパにされるのは御免だ。


「ジーニーさん、お願いする前に質問よろしいですか」

「はい、なんでしょう」

「大金持ちにしてくれって頼んだら何をやってくれるんですか」

 ドキドキと胸が高鳴る。固唾をのみこんで返答を待つとジーニーさんはにっこりと笑みを作った。


「もちろん、この場でお金をお渡しします。紙幣でよろしいですね」

「信じていいんですね」

「もちろんです。なぜランプの精であるこの私が嘘をつくとお思いになったのか、どうも解せませんね。風貌が不審だったからでしょうか。けれどもそれはあなたの感想ですよね。千年前でしたら私の服装についてジロジロみたり、あまつさえ文句を言う人なんていませんでしたよ。まず自分がおかしいかも、と一歩立ち止まって考えてみることをオススメします」

「すっごいしゃべるじゃん。滅茶苦茶キレてるし」


 清輔が手を挙げて僕とジーニーさんの間に割り込む。

「今は円安だからドルの方が得するよね。貰える紙幣はどこのやつなの?」

 清輔の口調はとても柔らかい。一度お願いをしているから仲良くなったのだろうか。

「どこの紙幣かですか。それはもちろん」



「ジンバブエのですけど」

「ジンバブエドルじゃねえか」


 ジンバブエドル。かつてジンバブエ共和国に存在した通貨で、ハイパーインフレーションが進んだ結果1ドル3.5京バブエ・ドルで取引された事実上の紙クズである。ちなみに京とは兆の次に大きな位で、3.5京といえば吉田沙保里のA特化鉢巻ギフトタックルの火力指数に匹敵すると古事記にも書かれている。


「それは、うーん、なしですね」

 僕は熟考を重ねた結果、お金持ちにしてくれという要望はやめることにした。


「でしたら、ほかのお願いになさるということですね。何になさいますか」

「急に接客みたいな対応になった。ええと、じゃあ僕をモテモテにしてくれたりは」

「できますよ。その場合は男女問わずあなたのケツの穴が四六時中狙われることになりますが」

「なんでとんちきな方向でしか要望を叶えられないんですか」


「いやいやジーニー、もうちょっと譲歩してくれてもいいじゃない。せめてお尻を狙うのを女性だけに限定できないの?」

 清輔は鼻をほじりながらジーニーさんに言う。指に水かきがついたせいか、なかなか指を入れられず躍起になっている。


「女性だけだとしてもアナル狙われるのは嫌だよ」

「まったくすぐ女女と言って。どぶろっくですかあなたたちは」

 どぶろっく知ってるんだ。ランプの精といえど、意外と現代日本の情報も仕入れているんだな。


「ジェンダーイキュアリティを重視する現代で女性だけを対象にすることは不平等です。そもそも女性は交際相手に気に入らないところがあるとすぐに浮気して開き直るくせに、男性が浮気すると烈火のごとく怒り狂う矛盾した生き物じゃないですか」

 ジーニーさんは話題を関係ない方に飛び火させていく。最後の一文に関してはただの女性卑下である。これがホントのミソ”ジーニー”ってやかましいわ。


「これがホントのミソジーニー」

 清輔が笑顔で言った。僕は彼を男子トイレに連れて行くと、洗面器にたっぷり水をためてそこに清輔の頭をつかんで突っ込んだ。目鼻口と穴という穴に水をしみこませ、清輔を二度と喋れないようにした。


 トイレから教室に戻るとジーニーは不思議そうに僕たちを見た。

「ずいぶん長かったですね」

「ああちょっと、うんなんて説明すればいいかな。要するに清輔をスケキヨにしたってだけなんだけど、伝わらないならそれでいいよ」

「………」

「そうですか。で、願い事は決まりましたか」


 僕はあごをさすって頭を回す。このフィクション大魔王にどんな願い事をすれば得をすることができるだろう。

 そう考えているうちに五分が経過した。段々とジーニーさんも表情も曇っていく。海外ならたんまりチップがもらえそうな笑顔もはがれかかった。


「まあ後々文句を言われるくらいならじっくり考えてもらった方がこちらもうれしいです。この前も雨を降らせろって言われて、次の日にはなぜか晴れにしろって怒られましたから」

「ん、なんだか気になりますねその話」

 僕は机に腰掛けて先を促した。


「これは一昨日のこと、ここより川上にある町で雨を振らせてくれっていうお願いをされたんです。どうしても今日は部活をさぼりたいからってことらしくて。ですから世界中で一つでも部活がある日は雨を降らせることにしました」

「何してくれてるんですか。世界中まで範囲広げたら毎日雨ですよ」

「どうやって願いを叶えるか聞かないほうが悪いです。あなたたちはあれですか、利用規約とか『私はロボットではありません』とかをよく見ずにチェックを入れるタイプですか」


 後者のほうは即座にチェック入れるだろ。利用規約は、うん、まあ時々見ずにやっちゃうかも。

 ジーニーさんの言葉にひっかかりを覚える。一昨日、雨。まさに昨今の豪雨が始まった時期に一致する。この雨はジーニーさんによってもたらされたものなのか。


「この雨はジーニーさんが願いを叶えた影響なんですか」

「その通りでございます」

「やっぱり。じゃあ雨止めてくれませんか。普通に迷惑なんで」

「そう言われましても。私、降水量を上げるために北極の氷とか全部溶かしてしまったのでそう簡単に戻せませんよ」


 何してくれてんだこの人は。北極の氷が全て溶けてしまったら地球に甚大な被害が出てしまうでてしまうではないか。具体的にどう影響が出るかはエヴァを見れば分かるはずだ。


「ゴボゴボゴボ」

 清輔が急に沸き立つ。何かしゃべりたいのかと思い、僕は清輔の両足をもってひっくり返し、穴から水を流してやる。うわ、なんか水も臭い。

 教室が水浸しになるくらいまで抜いてやると清輔は飛び起きた。


「地球を氷河期にすればいいじゃん」

 あまり突拍子のない意見に僕は机からずり落ちた。いやそれで氷は出来るけども。氷河期が来たら地球上が雪に覆われて温まらなくなって………つまりデイ・アフター・トゥモローの世界では人間は生きていけないだろう。


 だが北極点に氷がない以上、僕たちの生活になんらかの影響が与えられることは避けられまい。なんとか地球環境を元に戻しつつ、僕が得をする願い事はないだろうか。こんなトンチキ魔神がまともに聞いてくれるわけないだろうが。


 待てよ。トンチキ…とんちき…とんち。そうか、まともに聞いてくれないなら、それを逆手に取ればよかったんだ。

「僕は天才だ。こんな思い付きをしてしまうなんて、実に晴れ晴れとした気分だ」

「どうしたタミ。時の歯車が自分のスタンドにガッシリとかみ合ったような顔して」


 僕はパンツはき替えたばかりの正月元旦の朝のつもりで言ったのだが。いやいいんだその話は。ブンブンとかぶりを振って言葉を整理する。


「ジーニーさん、願い事が決まりました」

「マジかよ」

「ほう、では承りましょう」


「僕たちは一昨日から続く豪雨に困っているんです。ですから世界中のを雨が降る前に戻してください」

 ジーニーさんはにこりと微笑むと、両腕をぐるぐる回してからハッと力を解き放った。教室は光に包まれ、僕たちは思わず目を細めた。


 気が付くとジーニーさんは消えていた。カレーの器もどこかへ行ってしまい。それから二度と目にかかることはなかった。

 あれは夢だったのかと今でも思う。けれど願いを叶えた瞬間から雨雲は消え去り、降り続いた豪雨も止んでいた。それに清輔はいまだにカッパのままだから、ジーニーさんは間違いなく現実に存在するのだろう。


「なあ、なんであのお願いで雨も止んだんだ」

 二人だけで練習した帰り道、ハケは不思議そうに僕に聞いた。


「あれを応用したのさ、『このはし、わたるべからず』ってあれを。氾濫した川で橋が崩れたから、無論通学路の橋は元通りになる。でもそれだけじゃない。僕は『はし』と言っただけで、『橋』と限定してはいないんだ」


「つまりどういうこと?」

「ここで重要なのは元に戻す対象が、雨が降り始めたことで変化した『はし』であることさ。北極は地球の最北。つまりこれに該当する」

 清輔はきょとんとした。普通のおとぎ話の魔神ならそうはならない。だが今日出会ったジーニーさんは、とにかく願いを叶える方法がズレていた。部活のある日を、世界中で部活がある日すべてと拡大解釈するのだ。だから『はし』と言えば、橋と端に拡大解釈させることができるはずだと考えたのだ。


 結果として北極は雨が降る前の氷山へと戻り、橋が治ったことで僕たちは安心して家路につくことができている。これは大成功と言っていいだろう。

 かくしてジーニーさんによって引き起こされた非日常は終わりを迎えた。僕たちはいつも通りの日常を改めて認識し、これからも平穏が続くよう願った。


 ちなみに僕たちの通学路にある橋はその後カッパが度々目撃され、河童橋という名で一躍長野県の観光スポットになった。

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