第5話 赤い貴婦人は、漆黒の瞳を私に向ける
夕食へと向かう最中、リンがフィーネがに声をかける。
「フィーネ様、本日は大奥様がいらっしゃるとのことです」
「大奥様……?」
(大奥様ってことはつまり……)
「ああ、私の母上だよ」
心の中の疑問に答えるように、オスヴァルトは微笑んで言う。
フィーネは彼の表情や口ぶりから、大奥様が悪い人ではないように思った。
しかし、婚約者時代にも会ったことがなかった彼の母親に会うということで、一気に緊張で鼓動が速くなる。
緊張で少し顔をこわばらせたフィーネに対して、オスヴァルトはそっと彼女の肩に手を置いた。
「オズ……?」
「大丈夫。怖い人じゃないから、安心して。もし何か困ったら、私の目を見て合図をしていいから」
オスヴァルトは自分の目元に人差し指を当てて、ふんわり優しい笑みを零した。
そんな彼の気遣いによって、フィーネはゆっくり落ち着きを取り戻していく。
「ありがとうございます、粗相のないように気をつけます」
「全く……君はほんとに……」
自身の育ちゆえかフィーネからは「遠慮」や「謙虚」の色がよく表れる。
公爵家の人間として、自信家な人間とよく付き合うことが多かったオスヴァルトは、フィーネの持つ純真さに心を打たれた。
(しっかりご挨拶しないとだわ)
伯爵令嬢であった頃を思い出して、彼女は頭の中で何度もお辞儀やマナーの復習をする。
フィーネの頭の中がマナーで溢れた時、ダイニングの扉の前に着く。
「フィーネ様、こちらがダイニングになります」
「ここが……」
フィーネは必死に今来た道とダイニングのある場所を覚えようとする。
彼女が懸命に場所を覚えようとしていることを感じ取ったリンは、柔らかな声で言う。
「大丈夫ですよ。私がきちんと毎日ご案内いたしますので」
「あ……すみません。ありがとうございます!」
返事の代わりに微笑んだリンは、振り返って扉をゆっくりと開けた。
(この中にオズのお母様が……)
どんな人なのだろうかという緊張で思わず息を呑む。
(オズは怖い人じゃないって言ってたけど。公爵夫人だった方だものね。マナーに厳しいのかもしれない。それに、オズのお母様ってことは、とてもお美しい方そう……)
フィーネは目鼻立ちがしっかりしてすらりとした女性の姿を思い浮かべる。
(寡黙そうで……気品のある人で……)
そんな風に思い描いていると、扉が大きく開いた。
リンが入室するフィーネとオスヴァルトに頭を下げると、オスヴァルトがフィーネに向かって声をかける。
「おいで」
「は、はい!」
彼の声に促されて一歩前に踏み出すと、リンが頭を上げて言う。
「大奥様、オズ様、フィーネ様をお連れしました」
その言葉にさっきまで落ち着いていたフィーネの心臓はもう一度ドクンと飛び跳ねた。
緊張から頭が真っ白になってしまったフィーネは、ふと我に返る。
(いけない! ご挨拶をしなければ!)
急いで声を出す。
「よろしくお願いいたし……」
「ます」という言葉よりも先に、とんでもなく大きな衝撃がフィーネの体を襲った。
あまりの衝撃と何が起こったのか理解できないことで、声にならない。
数秒後、ようやくフィーネの頭が状況を把握してくる。
(私……抱きしめられてる……!?)
自分よりも背の高い誰かに抱き着かれたことを理解するが、どうしてそうなっているのかはわからないまま。
ようやく少しずつ感覚の情報がフィーネの頭に届いてくる。
(え、顔にむ、胸が当たってる……!?)
豊満な女性の柔らかな胸に包み込まれていると、ようやくフィーネの頭は理解した。
(え……え……!?)
理解すればするほど状況により戸惑っていく。
そんな感覚に襲われる中、ようやくフィーネは抱きしめている彼女と目が合った。
(き、綺麗な方……)
フィーネを抱きしめている女性は、可愛いというよりは綺麗で凛々しい顔立ちだった。
真っ赤なドレスに身を包んで、淡い茶色の長い髪、そうして瞳は漆黒。
そんな彼女はフィーネの両頬をむにゅっと手のひらで包み、紅の濃い形のよい唇を上げた。
「きゃ~!! 会いたかったわ~!!」
「……え?」
どうしていいかわからず目を泳がせているフィーネの様子をオスヴァルトが心配そうに見つめた。
そうして、フィーネを抱きしめている女性に声をかける。
「母上、フィーネが驚いております」
オスヴァルトの言葉によって、ようやくフィーネは解放された。
「え……じゃあ、もしかして……」
フィーネがオスヴァルトの言葉に驚くと、嬉しそうに笑顔で女性は言う。
「ようこそ、フィーネちゃん。私はエルゼ。オスヴァルトのママよ!」
嬉々とした声色でそう告げたエルゼに、オスヴァルトはため息をつきながら抗議する。
「その言い方はよしてください」
「だってええ~!! ママはママだもの~! いいじゃない~!!」
「はあ……」
呆れた様子のオスヴァルトには目もくれない様子で、エルゼはフィーネを見る。
「やっぱり、オスヴァルトから聞いていた通り! 可愛い子だわ!!」
「そんなことは……」
フィーネがそう口にすると、エルゼは実に不満そうに口を尖らせた。
「ダメよ! 『そんな』なんて言葉を使っちゃ! いい? 女の子はみんな自信をもっていいの。言葉には力が宿ってるの。だから、フィーネちゃん。これからは『私も!』とか『こうしたい!』って言葉を使うようにしてごらんなさい。そうしたら、きっと神様がその通りにしてくれるわ!」
「私も……?」
「そう、私も! フィーネちゃんは可愛いと私は思うわ。今すぐは難しいかもしれないけど、少しずつでいいわ。自分を大好きになるといいわね!」
(自分を好きになる……)
今まで自分の存在に価値を見出せなかったフィーネにとって、目の前の景色が一気に広がったように感じた。
「さあ、一緒に美味しいお食事をしましょう!」
「は、はい!」
フィーネは、ふと今までの生きてきた毎日を思い出した。
頭をよぎった暗くて痛くて、冷たくて、怖かった日々が、この家に来たことで変わるような。
そんな心地がした──。
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