第2話 彼が求める理由と彼女の涙

 オスヴァルトの綺麗な青い瞳は、フィーネを捕らえて逃がさなかった。

 馬車の扉が閉められて二人きりになった車内に、緊張した空気が流れる。


「私を、妻に……でしょうか?」

「ああ」


 フィーネはどうして目の前の彼が自分を身請けするのか、と理由を考えた。


(妻っていっても、まさか本妻ではないわよね? だって、公爵様ですし、それに……)


 考え込みながら自然を下を向いていた彼女は、ゆっくりと目の前の彼のほうを見上げる。


(こんな見目麗しくて優しそうな方、それにまだお若そう……。そんな彼が私を身請け……?)


 そう思っていた時、馬車が大きく揺れた。


「わっ!」


 フィーネは思わずよろけて、オスヴァルトの胸元に飛び込む形で倒れてしまう。


(いけないっ!)


 彼女はすぐさま自らの体を離し、深く頭を下げた。


「も、申し訳ございませんっ! エルツェこうしゃ……」


 フィーネは謝罪の途中で彼の異変に気づいた。

 思わず息を飲んで黙ってしまった彼女とオスヴァルトはじっと視線を合わせる。


(犬歯が長い……まるで牙みたい。それに目が……赤い……)


 オスヴァルトはそっと目を閉じると元のサファイアブルーの目に戻り、フィーネに優しく微笑みかける。


「気づいたかい? そう、私は吸血鬼だよ」

「吸血鬼……」


 この世界で吸血鬼は、伝承や絵本の中でしか出てこない。

 そんな存在が今目の前にいる。


「まさか、吸血鬼だなんて……」

「信じられないかい? 実はね、いるんだよ。この世界には確かに」


(信じられない……)


 そう彼女は心の中で思うも、本能が人間ではない何かだと感じ取っている。

 やがて、彼女は自分が疑問に思っていたことの答えがわかった。


(あ……そうか。私はこの方に食べられるために身請けされたのね)


 それならば合点がいく。

 そうでなければ、自分のような神秘力も低く、罪人聖女と言われるような貧相な聖女を身請けするわけがない。


(そうよね……当たり前よね……。こんな高貴な方が私を欲しいだなんて……)


 フィーネは自分の行く末を想像して、虚無感漂う表情になる。


(これまでもたくさん辛いことがあったし、何度も身請けがうまくいかなかった)


 そう心の中で思いながら、フィーネは目を閉じて今までのことを思い出す。


 虐げられて食事もまともに与えられてなかったことでやせ細り、体目当てだった貴族には失望された。

 また別の貴族には翡翠の目が気持ち悪いからと、その場で断られ雪の降る寒い外に置き去りにされた。

 それにある貴族の家に行ったときには、うまく食事が用意できずに熱いスープをかけられてやけどをした。


 頭の中にあの頃に浴びせられた言葉たちがこだまする──。



『黙って俺の言うことを聞いていろ!』


『そんな貧相な体で、この俺が満足できると思ってるのか!?』


『なんだその目は、気持ち悪いっ!!』


『近づくな、この偽聖女が!』



 フィーネはゆっくりと目を開けて、目の前にいるオスヴァルトを見上げて微笑んだ。


(そうね……。私なんか吸血鬼に食べられちゃうくらいがちょうどいいのかもね)


 突然何かを悟り、自分の死を覚悟したような笑いを浮かべたフィーネに、オスヴァルトは真剣な面持ちで尋ねる。


「君は、もしかして私に食べられると思っているのかい?」

「え……?」


 きょとんとしたフィーネの顔にオスヴァルトは優しく手を添えた。

 とても優しい瞳で彼女のことを見つめながら、そっと頬を撫でる。


「そんなことしないよ」


 オスヴァルトはゆっくりとフィーネの髪を撫でると、ちゅっと唇をつける。


「私は君のことを食べたりしない。安心して」


 低くて甘い言葉にフィーネの体温は徐々に上がっていく。

 目の前にいるこの若い公爵に自分は食べられるのだと、そう人生の終わりを覚悟したフィーネだったが、返ってきたのは甘い言葉とそして優しいぬくもり。

 思わず自分の頬に添えられた温かい手に両手を重ねてしまう。


「フィーネ……」


 彼女は思わず涙を流していた。

 その涙が止まることはなく、雫が二人の手を濡らす。


「なんででしょう……どうしてか、涙が止まりません」

「フィーネ……」


 感極まった彼女を、今度はオスヴァルトが力強く抱きしめた。

 彼はフィーネの髪に愛おしそうにゆっくりと指を滑らせていく。


「私は君を虐げたりしない」

「……」

「君のことを大事にするから」

「エルツェ……公爵……」


 そのフィーネの絞り出したようなか弱い言葉に、オスヴァルトはある願いで返した。


「これからは毎日名前で呼んで?」

「え……?」

「オスヴァルト」


 そう耳元で囁かれたフィーネはさっきよりももっと体が熱くなる。

 少しの間、二人は無言で馬車の揺れに身を任せていたが、とても小さな声で彼女が呟いた。


「オ、オスヴァルト様……」


 思いのほか彼女の名前呼びは強力な武器になったようで、オスヴァルトは彼女を抱きしめながらびくりと身体をはねさせる。

 そして、顔を少し赤らめて目を泳がせたが、彼女にはその様子は見えていない──。


 やがて、少し落ち着いたのを見計らって彼女を解放すると、変わらず優しい表情で彼女を見つめる。


「君は今日から私の妻になるんだよ。それでもいい?」

「私でよろしいのでしょうか?」

「食べたりしない。本当に妻として一緒にいてほしいんだ。いい?」

「……私でよければ」

「君がいい。フィーネ」


 フィーネは馬車の揺れで体が倒れそうになりながらも、目の前に座るオスヴァルトに深く礼をする。

 狭い馬車の中でお辞儀する彼女の頭は、オスヴァルトの膝につくのではないかというところまで深く下げられていた。


「そんな私に礼を尽くさなくても大丈夫。気軽に接してほしい」

「ですが……」


 その様子にオスヴァルトは頭をかき、唇を少し噛みながら悔しそうな表情を浮かべる。


「まだ気づかない?」

「え……?」


 フィーネはその言葉を聞いてはっとした。


(もしかして、知らない間にご不快な思いをさせていたのでは……!? もしかして涙を流したから? 目の前で女がめそめそなんてしてたら困りますよね!? いえ、もしかしてさっきの礼がうまくできてなかったから、怒っていらっしゃるのかしら!? どうしましょう……)


 フィーネは目をぱちくりさせながら顔を上下左右に細かに動かして、慌てた様子を見せる。

 取り乱す彼女を見たオスヴァルトは、ふっと笑って口元に手を添えた。


「相変わらず変わらないね、フィーネは」

「え……?」


 そう言ってオスヴァルトはそっと髪の毛をかきあげると、そこに太陽の光が入り込み彼を輝かせた。


「君にはオスヴァルトより『オズ』といったほうがわかるかな」

「…………」


 彼の言葉を受けて、フィーネはじっと考え込んだ。


(オズ……)


 その名前を心の中で呼んだ時、彼女の体に衝撃が走った。

 そして、彼女は記憶の中にいた、『ある少年』のことを思い出した──。

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