罪人聖女と呼ばれた私は、元婚約者(吸血鬼)の妻として溺愛されています
八重
第1話 罪人聖女の身請け
「お前はなんでまたうまくできないんだっ!!」
「──うっ!!」
フィーネは地下牢の冷たい床に叩きつけられて、深い海のような髪と傷だらけの顔を神父に踏みつけられる。
じりじりとした鈍い痛みが彼の踏みつける靴によって、さらに増幅された。
「申し訳ございません、神父様。次は失敗しません」
「神秘力も低い聖女のお前に、そんなホイホイ婚約話がくるわけないだろ!!」
踏みつける足はだんだん彼女の胸のあたりにまで下がっていき、フィーネは痛みで顔を歪める。
彼女の胸には生まれつきうっ血したような大きく赤い跡があり、それゆえに神父や他の聖女たちに気味悪がられていた。
神父は最後に彼女の身体を勢いよく蹴り飛ばすと、そのまま地下牢から去って南京錠をかける。
「お待ちくださいっ!! 神父様っ!!」
フィーネは急いで立ち上がり、扉へと駆け寄った。
「ふん、出来損ないはそこで地べたに這いつくばっていろっ!」
フィーネの懇願も虚しく、神父は扉の格子越しに嘲笑い、そのまま去っていった。
力なくだらりと肩を腕を落とし、フィーネはその場にしゃがみ込む。
小さな窓から漏れ出る光をじっと見つめた彼女だったが、その表情からは希望の色を感じない。
彼女はこうしてまた、地下牢での毎日を過ごすことになったのだ──。
フィーネは神父の監視のもと、朝から晩まで教会の掃除や庭仕事などをさせられている。
過酷な労働を強いられながらも、食事は夜にわずかなパンくずの入ったスープのみを与えられた。
夜は毛布もベッドも暖房器具もない、寒く冷たい地下牢で眠らなければならない。
彼女がこんなひどい仕打ちを受けることになったのは、聖女の持つ神秘力の低さだけが原因ではなかった。
大きな要因となったのは、10年前のある事件がきっかけだった。
ある寒い冬の夜のこと──。
フィーネは神秘力増幅のために女神像に夜遅くまで熱心にお祈りしていた。
月が雲に隠れたことで灯りが欲しくなった彼女は、ろうそくをたてる。
そんなフィーネの隣には、彼女の親友であるローズが聖書を読みながら座っていた。
「ローズ、お祈りのお水を汲んでくるわ」
「ええ、いってらっしゃい」
フィーネはローズにそう言い残して、礼拝堂を後にした。
しかし、水を汲んで戻ろうとしたフィーネは目を大きく見開く。
「礼拝堂が……!」
フィーネの瞳には、どんどんと燃え上がる炎に包み込まれた礼拝堂が映る。
「ローズっ!!」
フィーネは急いで礼拝堂の中にいる親友を助けに向かう。
幸いにもフィーネとローズは無事に脱出をして命は助かった。
しかし、問題はここからだった。
神秘力が抜群に高かったローズが自分の過失を隠すためにフィーネに罪をなすりつけようとする。
『フィーネがろうそくの火を落とした』
そんな噓の証言を信じた他の聖女たちはフィーネを非難し、そして神父は彼女を地下牢に閉じ込めたのだ。
フィーネは親友の裏切りによって、「罪人聖女」の烙印を押されてしまった──。
そうして神父は聖女として役に立たない彼女を売り払おうとする。
最初はある子爵の妾として買われる予定だったが、フィーネの胸の赤い跡を気味悪がって破談となった。
聖女というだけで箔がつき、手に入れようとする貴族は多い。
しかし、フィーネはいつも何かしらの理由で買われることはなかった。
やれ愛想が悪いじゃあ、肉付きが悪いじゃあと難癖をつけられて身請け先は決まらない。
これまでで一番ひどかったのは、フィーネの翡翠色の目が気に入らないと言って罵詈雑言浴びせられたことだ。
それでも、フィーネは教会での虐げられる日々を抜け出せるならば、それもいいのではないだろうかと思っていた。
そして、神父もまた、罪人で出来損ないの聖女が早くいなくなることを願っていたのである。
そんな日々が続いたある日のこと──。
ある貴族がフィーネを買いたいとやってくる。
「フィーネを、ですか?」
「ああ」
高貴な貴族服を着た彼は神父にそのように告げた。
このあたりでは見たことがない貴族だったため、神父はひとまず相手の機嫌を損ねないように慎重に尋ねる。
「あのー失礼ですが、どちらのお貴族様でしょうか?」
「ああ、これは失敬。私は、オスヴァルト・エルツェだ」
「──なっ! エルツェ卿ですと!?」
「ああ、身分証でも見せようか」
そう言って懐から紋章の入った身分証を出すと、神父は腰を抜かす寸前という様子で驚く。
そして、慌ててフィーネのいる地下牢へと走っていった。
「おいっ!!」
「はい、神父様」
「お前の買い手が見つかったぞ。なんとエルツェ卿だっ!! 王太子の従兄弟だぞ!? 絶対に失敗するな!!」
「は、はい……!」
フィーネはやせ細った腕を強引に掴まれて地下牢から引っ張り出されると、そのままオスヴァルトの前に差し出される。
「フィーネでございます。こちらで大丈夫でしょうか?!」
「ああ、もらいうける」
「ありがとうございます!! あのー……費用のほうですが……」
「これで足りるか?」
神父は袋の中身を確認すると、あまりの大金に思わずひれ伏した。
「なんと……! こんな大金……!」
そう言いながら、神父はもう一度深々を頭を下げた。
そうしてフィーネの耳元で囁く。
「絶対にしくじるなよ」
「は、はい……」
オスヴァルトと視線を合わせた神父は、ご機嫌な様子でにこやかに笑った。
そんな神父を一瞥した後、オスヴァルトはフィーネに声をかける。
「行こうか、フィーネ」
「は、はい!」
オスヴァルトはフィーネのほっそりした手を取って、馬車へと誘う。
久しぶりに日の光を浴びた彼女は、くらりと眩暈がして倒れそうになる。
「おっと……」
そんなフィーネを抱きかかえたオスヴァルトは、そのまま彼女を馬車に乗せようとする。
「エルツェ卿っ!?」
「オスヴァルト」
「え?」
ミルクティー色の淡い髪の奥から、サファイアブルーの瞳が覗いている。
綺麗な瞳に捕えられたフィーネは、じっと彼を見つめてしまう。
「オスヴァルトと呼んでほしい」
「……オ……オスヴァルト様」
フィーネは顔を赤らめて照れながら、彼の名前を呼んだ。
そんな彼女の様子を見た彼はふっと微笑んだ後、フィーネの手の甲に唇をつける。
「今日から私の妻だ、フィーネ」
愛を誓うように優しく甘い言葉で、彼はそう囁く。
しかし、形の良い彼の唇の奥に、大きな牙が二つ覗いていた──。
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