しあわせなからす

スフレたん

しあわせなからす


 今、幸せですか。


 円状につばの広がった帽子をかぶり、いかにもな真珠のネックレスをした女性がそう言ってきた。「なぜ」と返し、早口に自分語りが始まった所で後悔した。

 ちょうど塾が終わり集中力は使い切ったあとでこんなつまらない話、輪をかけて聞く気にならない。この類の勧誘はなにも返さずに通り過ぎるのがセオリーである。つい返事をしてしまったのはやはり疲れていたせいなのであろう。

 目線をおとしスマホを開いて時間を確認するが、彼女はそれを気にも留めず話し続けている。たぶん彼女は今幸せだろう。

 ふと奥を見ると、街灯の光に丸く切り取られた道路が点々と並んでいる。その先には何かの骨組みと間違うほどに細く頼りのない駅が見える。耳に入ってくる言葉に軽く相槌を打ちながら駅に不規則にとまるカラスを数えていると声のトーンがこちらに語り掛けるように変わる。


「――なんですよ。で、どうです。時間、ありませんか。」

「ないです」

 あったとしてもついてかない。絶対に長くなる。

「では、別の日でもいいですから。」

「結構です」

 結構です。本当に。

「そうですか。」

 ――残念です。と彼女が言い終えたくらいであろうか、カラスの鳴いた声がした。女からである。視界に映っていたはずの、かすかにオレンジ色の残る空からは色が抜けてゆき、ほどなくして何も見えなくなった。黒い世界の中、かぁかぁという鳴き声のみが響いていた。


 かぁかぁかぁ。かぁ。


 気が付くと鳴き声は規則的な揺れに変わっていた。皮特有のにぶい光り方をするシートの奥に素直に光る真珠のブレスレットと、ハンドルを握る手が見える。先ほどの女性であろう。

 風を切るような音の中に、高いとも低いとも言い切れないエンジンの音が時折混じる。

 彼女に運びこまれたのだろうが、拘束具の類はされていないようだ。体も動く。口も開く。しかし不思議と逃げようという気は起きなかった。

 車の中は黒一色に統一されていてナビの画面だけが白く光っている。窓の外では看板の光が技術と文明を誇示しながら流れていく。街並みから、特別田舎を走っている訳では無いことが分かる。


「目が、覚めましたか。」


 はい、おかげさまで。きっと、眠らせたのもあなたなのでしょうが。

 恨みを込め、わざとらしく答える。

 少し間をおいて彼女はやはり少し早口に話し始めた。


「分からないこと、色々とあるでしょう。ある程度説明はしたつもりですが、全く聞いていませんでしたもんね。あ、嫌味ではありませんよ。知っていて頂かないと都合が悪いので、もう一度お話します。今回はきちんと聞いていただけると助かります。あなたは今、私の事を宗教勧誘の人間だと思っているでしょう。まあ、『今、幸せか』から会話が始まったのですから、当然といえば当然です。実際、共通点も少なからずある訳で。そのまま、得体のしれない怪しい宗教という認識でいてもらって結構です。あなたはその団体で必要になったので、こうして運ばれている。大方おおかたそんな所です。別にあなたである必要はないんですが、また戻るのも手間なので逃げないでいただけると。」


 私、運転苦手なんです。そう言うと彼女の話は、揚げ豆腐の味付けについてに変わってしまった。

 看板は気が付くと減っていて、控えめに葉をつけた木々がその場所を埋めている。              まるで高さだけが自慢のような直方体の建物は、一階建ての民家や土地を持て余したコンビニに変わり、その風景はすっかり田舎と呼んで差し支えないものとなっていた。

 宗教勧誘ではないのだろうか。しかし。話し方、内容、服装、どこをとっても違うと言える要素がない。あまりにもそれに寄りすぎている。結局、目的も誰なのかも分からなかった。

 怪しさを反芻しながら目をつむり、シートのつなぎ目を遊んでいると急に体が前に引っ張られた。短いブレーキ音の後を追うようにエンジンが低く鳴り、消えてゆく。どうやら着いたようだ。


 周りは木でおおわれており、皆が同じ方向に揺れている。地面は整備されてはいるものの土で出来ており、踏めばやわらかく少し湿っているのが分かる。ある一つの建物を除けばそこは完全な森であった。

 西洋の建築様式をとっているにもかかわらずそれから溢れる光は辺りを十分に照らせるほど明るく、赤い。よく見ると随所に和風な装飾が施されており、その容姿はなんとも形容し難いものであった。しかしながら、明らかに特異なその建物は不気味なほどに森に溶け込んでいた。

 不意に、木製の扉がぎぃと音を立てて開いた。貴様はこの先に進むべきなのだ、そう言われた。実際に伝えられた訳ではない。誰もそんなことは言っていないし、文字を見せられた、ということもない。それでも「そう」なのだと断言できた。

 惹かれるように歩き出すと、女はただにっこりと笑い二歩ほど後ろを静かについてきた。


 建物の中は一本道であった。扉のようなものは全く見えず、道の側面では一定間隔に並べられたランタンの炎が似たように揺れている。コツコツと自分の足音だけが先の見えない通路に響く。彼女は、と思い振り返ると女は居なくなっていた。確かについてきていたはずだが。よく聞くと、後ろから鳥の羽ばたくような音とかぁという鳴き声が聞こえる。どうしたのか疑問ではあるが、その声に急かされるように歩みを進めた。

 ある程度歩き続けここは細長い一つの部屋なのではないかという考えが浮かんだ頃、その道の端にたどり着いた。そこにあったのは身長を軽く超すほどの高さを持つ、一対の扉であった。周りは煉瓦でアーチ状におおわれ、それらしい装飾がされている。仰々しく飾られた外見とは裏腹に軽く作られているようで、手をかけると簡単に開いた。

 扉の先は大きく広がっており、一段上がった所に男が座り椅子の背にカラスがとまるその光景はRPGの王の間を彷彿とさせる。


「やあ、いらっしゃい。急で悪いが、君にお願いがあって招待させてもらったんだ。君にとっても、悪い話じゃないはずさ。」


 彼は怪しげに笑ってそう言うと、じっとこちらを見つめる。

 その目は黒く渦巻いており、その妖しさに吸い込まれてしまいたくなる。声は小さいながらもよく通り、聞き取りやすい。


 ――今、幸せか。彼もまた、彼女と同じようにそう問いてきた。なぜ、とやはりまた同じように返す。


「君の体を、少しの間貸してほしいんだ。別に、生贄にしたりするわけじゃあない。本当に少し借りるだけ。君が返して欲しいと望むなら直ぐに返そう。」


 少し間を置き、続ける。


「もし貸してもらえるのならばお礼として、君の幸せを保障しよう。悩み、迷い、悲しみ、その全てがない生活。辛いことや嫌なこと、やりたくないことをやる必要のない生活。そんな夢の時間を約束しよう。」


 どうだい。そこまで言うと、男はカラスを撫で始めた。


 乗ってもいいかもしれない。特段今の生活に不満がある訳じゃないし、多分どちらかというと幸せな人生を送ってきた方だ。本気で死にたいと思ったこともない。直近の辛かった出来事と言えば、テストの点が悪く親に注意されたことくらいである。そのくらい、悪く言えばその程度のものである。それでも。楽な方へ行きたくなってしまう。

 「はい」と答えた所で、カラスが鳴いた。

 かぁ。

 視界が暗転し、少したって意識も無くなってゆく。


 かぁかぁかぁ。かぁ。


 ―――――


 外に出ると、白色の光が空から目を刺してくる。遠くの錆びれた看板に描かれた絵を眺めながら、パンを頬張る。まだこの口には慣れない。入る量は多くて便利なのだが、いかんせん固いものが噛み切りずらくて困る。

 少しちぎったパンを嘴の前にもっていってやると、幸せそうに黒い羽根をばたつかせながら食べる。

 かぁ。

 彼は今幸せである。

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