友人

月峰 赤

友人

 職員室を出ると、友人の中屋が待っていた。

 廊下の壁に背を預け、スマホを触っている彼の姿はどことなく絵になる。

 顔を上げた中屋は出てきたのが僕だと気付くと、「お疲れ」と言って手を上げた。

「先生、何だって?」

 中屋の目が僕を捉える。まっすぐの眼差しに、何の気なしに答える。

「無くなった教科書は、学校の予備を貸してくれるってさ」

 その答えに中屋は「それは良かったじゃん!」と喜んでくれたが、すぐに「盗まれたのに、良かったはないか」と訂正した。

 僕はそれに笑って返すしか出来なかった。肩に掛けていたカバンの重みを思い出して、何となく掛け直した。


 他にも被害があった。

 それを二人で帰りながら話していく。

「昨日無くなったシャーペンは、見つけたら教えてくれるって」

「誰か持って行っちまったんだな」

「生徒手帳は再発行だってさ」

「あれ使い時が無いから、無くてもいいんじゃね?何なら貸そうか?」

「いや、いい。中屋の持ってたってしょうがないだろ」

「酷い!なんでそんなこと言うの⁉」

 体をくねらせ、ちらりとこちらを見ているのを無視して、続きを話す。

「破かれたノートは、他の人からコピーさせてもらえって言われた」

「ノートはなぁ……じゃあ、俺のをコピーさせてやるよ」

「えぇ……中屋、ちゃんとノート取ってんのかよ」

「え?まさか」

 おちゃらけた態度の中屋に拳を振り上げるマネをすると、頭を抱える仕草をして、逃げるように廊下を走っていく。

 僕も中屋を追っていく。リノリウムの廊下にパタパタと頼りない足音が響く。踵が浮いて上手く走れないでいると、こちらに向き直った中屋が僕の足元を見た。

「やっぱり歩きずらそうだよな。スリッパ」

 中屋に追いついて足を止めると、僕も自分の足を見た。

 僕は今、来客用のスリッパを履いている。緑色のなんてことない普通のスリッパだ。

 本来なら生徒は学年を示すカラーラインが入った上靴を履くのだが、僕の上靴は今、用務員室で乾かしている最中だった。


 今朝登校して下駄箱を開けた時、そこにあるはずの上靴が無くなっていた。辺りを見渡したけれど何処にも無く途方に暮れていると、僕に気が付いた中屋が声を掛けてくれた。事情を話すと一緒に探してくれて、ついにそれは見つかったのだった。

 玄関口に置いてある掃除用具が入ったロッカー。

 その中に、ずぶ濡れになった僕の上靴が入っていた。

 靴には並々と水が注がれており、つんとした汚水の匂いが鼻についた。

 どうしてこんなことが起きたのか、この跡どうすれば良いのかとその場で動けずにいた僕は中屋に連れられ、水をバケツに入れて捨てた後、用務員室に向かった。

 僕の代わりに事情を説明してくれて、事の詳細を知った年配の職員は来客用のスリッパを手渡すと、その間に濡れた靴を乾かしてくれるとのことで、用務員室で預かってくれた。


「スリッパってどんな感じ?あんまり履いた記憶ないから、どんなの?」

 そんなことを聞かれて、スリッパを見ながら、どんな感じかと頭で考えていると、視界の端っこから顔が出てきた。視線を向けるまでも無く、それは中屋だった。こちらの顔を覗き込んで、答えを急かしているようだった。

 それを見て、僕は意地悪したくなった。

「こんな感じ」

 と答えると、僕は一歩下がってスリッパを中屋の腹へ目掛けて飛ばしたのだった。

 それは見事命中して、中屋の口から「ぐえっ」と漏れるのを聞いた僕は、自然と笑うことが出来た。

 正直、何度も悪戯を超える様な所業が繰り返されていて、精神的に参っていた。

 けれどその度に中屋が手を貸してくれたり言葉を掛けてくれるお陰で、不思議と力が湧いてきた。

 もしかしたら自然と収まるかもという淡い期待を持つことが出来た。


 そうしていると、昼休み終了を伝えるチャイムが鳴り響いた。

 中屋は廊下に転がったスリッパを歩いてきた方へ放り投げると、「じゃあなー」と意地悪く言って、先に教室へ向かって走り出した。

 僕は中屋に悪態をつきながらスリッパを拾い、中屋を追って教室へと駆け出した。


 上靴が水浸しになり、教科書や文房具は紛失、ノートは数枚が破り取られていた。

 どうしてこんなことをされるのか、僕には見当がつかない。理由も、犯人も、一体僕にどんな感情を持ってこんなことをするのか、考えても到底分からない。

 もしかしたら教室を離れている今だって、何か被害が出ているかもしれない。カバン、机、下駄箱に入っている外靴、体育ジャージの入ったバック。

 それらが自分の手から離れている時間を作るのは良くないと思った。


 だからせめて教科書やノート、ペンケースなどカバンに入れられるものは机に入れず、自分で持っていようと思った。


 次の授業は美術だった。鉛筆を使って模写する授業が前回から続き、今回もそれを進めて行くはずだった。

 教室に行く足を止め、授業道具を取りに行く必要が無いことに気付き、美術室へと歩みを変えた。

 そして美術室が近づくと、開いていたドアから生徒が顔を出してきた。それと目が合うと、その生徒は渋い表情をして体をひっこめた。


 途端に心がざわついた。


 汗が出て、肺に送る空気が重たかった。


 美術室に入る。クラスメイトが作業台を取り囲んでヒソヒソ話し合っている。それを外から眺めていると、急に後ろから肩を掴まれた。

 ハッとして振り返ると、そこには中屋が立っていた。涼やかな顔で「どうした?」と語りかけて来る。

 僕がどう返そうか言いあぐねていると、教室に蔓延する空気を察した中屋は僕の手を引っ張って進んでいく。

 それに気が付いたクラスメイトが道を開ける。作業台の前に着いた僕たちは一枚の絵を見た。その絵には大きく赤い色で『×』が付けられていた。

 元の絵が鉛筆で書かれていたせいもあって、すぐに誰の絵なのか分からなかったが、こんなことをされる人物には心当たりがあった。

「どうして……」

 その言葉が口に出ると、隣りに立つ中屋が溜息を吐いた。

「ひでぇことしやがる……。先生に言いに行こうぜ。こんなことする奴、許しておけねぇよ」

 親指を立て、美術室の入り口へと向ける。先程職員室に行ったとき、美術の先生はまだ職員室にいたような気がした。


 中屋が先導する道を、僕も一緒になって歩いて行く。その背中を見て、何て頼りになる友人だろうと嬉しくなった。

 きっと中屋が一緒なら、いつか犯人が捕まるかもしれない。そんな気持ちを胸に抱きながら、僕と中屋は職員室へと向かったのだった。

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友人 月峰 赤 @tukimine

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