第7話

「ただいま」


 僕は家の中へ声をかけるが返事はない。リビングからはテレビから流れる名前も知らない芸人の声が漏れ出るだけだ。


「あら、出かけてたの? すぐにご飯用意するから」


 僕がリビングに入ったのに気付いて、テレビの前からキッチンに動く母。


「うん」


 僕が椅子に座ったのを確認すると、母は電子レンジで温めたオムライスを僕の前に置いた。


 初めての仕事。簡単とはいえ疲労が溜まっていたらしく目の前に出された料理に僕のお腹は思い出したかのように空腹を訴え始めた。


「いただきます」


 マスクの下からスプーンを口に運ぶ。普通に美味しいいつもの味だ。


「寝室に居るから、何かあったらノックか電話してね」


 母は僕の食べ終えた食器を片すとさっさと寝室へ行ってしまった。


「僕も疲れたし、もう寝よう」


 僕は歯を磨き服をこれまた真っ黒なパジャマに着替えると、自室のベッドに倒れ込んだ。


「おはようございます」


 翌朝9時。クリニックに着くと詩乃が慌てた様子で何処かに電話をしていた。


「はい、分かりました。すぐ向かいます」


 詩乃は電話を切ると焦った表情で僕を見た。


「どうしたんですか?」


「糸夜くんが家出した」


「え、家出って引きこもってるんじゃ?」


 昨日の糸夜はどう頑張っても家どころか部屋からも出なそうだったのに。


「糸夜くんにとって私達と会うのは刺激が強すぎたみたいだ。急いで! 合沢さんの家に向かうよ」


「え、あ、はい!」


 話しながら既に支度を終えた詩乃は扉を開けたばかりの僕の横を通って外に走って出た。それに合わせて僕も踵を返して足早に合沢家へ向かった。幸いノートとペンは鞄の中だ。


 ピンポーン。


 ……ガチャリと扉が開いた。昨日会った時以上にやつれた顔の合沢が出てきた。


「息子が……」


「はい、詳しくお聞かせ頂けますか?」


 詩乃はそっと合沢を支えて部屋の中に入った。


 家に入った僕は思わず息を飲んだ。


 部屋の中はまるで猛獣が暴れたのかと思うほどボロボロで、壁や床には穴が空き、机や椅子などの家具という家具のほとんどが破壊され尽くしており部屋の中で唯一無事な仏壇が寂しそうに佇んでいた。


「何が……合ったんですか?」


 詩乃の声が固くなった。それに僕もメモを持つ力が強くなった。


「今朝私が起きたらもうこうなっていて、寝室から出てきた私に気付いた息子はそのまま走って外に。は、早く息子を連れて帰らないと……」


 ぶつぶつと頭を抱えて喋る姿は酷く疲弊していた。


「貴方達が来るまではこんな事一度も無かったのに、やっぱり精神科医なんて頼らず安静にしてれば……息子にもし何か有ったら……どうしてくれるんですか!?」


 まるで鬼のような表情でこちらを睨む姿に僕はビクッと体を震わした。先程までののオドオドとした顔からは想像出来ない形相だ。


「申し訳ございません。私の予測が足りておりませんでした。部屋の修理費や家具などはこちらで補填致します。ですが、統合失調症に関しては薬でなければ絶対に治りません。いくら安静にしててもむしろ悪化するばかりです」


 そんな合沢の背中をゆっくりとさする詩乃。


「じゃあ、私はどうすれば……息子がもし外で何か有ったら責任取れるんですか!」


「私達が信用ならないのも分かります。たしかにこのままだと糸夜くんもお母様も非常に危険です」


 長い一呼吸を終えて詩乃は話を切り出す。


「糸夜くんを、我々に任せて預けて頂けませんか?」


「あずける?」


 あっけにとられてそう合沢は呟いた。


「医療保護入院という制度がありまして、患者さんが他者に危害を加えそうな時などに本人の同意が無くとも保護者の方がこれに同意頂けると、強制入院が可能となるものとなります」


「それってもう出られないとかそういうのですか?」


「いえ、当たり前ですが患者さんの人権は尊重されます。症状が落ち着き次第すぐにでも帰宅出来ます」


「……」


「絶対に大丈夫です。私達にお任せ下さい」


 詩乃はまたあの優しい口調で合沢の手をそっと包んで囁いた。


「もし、ご家族が帰宅を願う場合でもすぐに帰宅できるよう処置いたしますので」


「……わかりました。息子を、お願いします」


 合沢は小さく呟いて書類に震える手でサインをした。


「お任せ下さい。絶対に治してみせます」


 僕は詩乃に渡された書類を鞄に仕舞い、詩乃の後ろを着いて合沢家を後にした。


「あんなの、本当に出来るんですか? 強制入院なんて」


「うん。それに、あのお母さんももう……いや、それより今は糸夜くんの事だよね」


 詩乃は少し何かを言い淀むと僕が口を挟む前に話を変えてしまった。


「どうやって探すんですか?」


「大丈夫。私の同士に任せれば一瞬だよ」


 詩乃は携帯を取り出す。


「もしもし狐地くん? 鶴見ちゃん居る? ……あ、鶴見ちゃん? 糸夜くんがどこ行ったか分かる? そう、統合失調症の子。うん。公園? え、もう向かってる? 了解ありがとう。うん気をつけて」


「誰ですか?」


 通話が終わったのを確認して聞いた。


「私の同士の3人。紹介は会った時にしようか。糸夜くんの場所も分かったし、早速合流しよう」


 早歩きで歩く詩乃に慌ててついていく。


「えっ分かったんですか? っていうか、前も思ったんですが、机を割ったり、部屋をあんなにしたり、統合失調症ってあんなボロボロになるほど辺りに危害を加えられるんですか? もしかして、あれが異能ですか?」


「その通り、統合失調症にそんな力は無いよ、ただの病気だからね。力の増強。恐らくそれが糸夜くんの異能なんだろうね」


「……待って下さい、もしそんなに力が強いなら強制入院とか不可能じゃないですか?」


「確かに私に異能は無いし、特別な身体技能も持ち合わせて無い。私1不可能だっただろうね」


 そう言って詩乃は意味ありげに微笑んだ。


「さぁ、公園に着いたよ」

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