第2話

 僕の名前は億利おくり やまい。黒のパーカーに黒のズボン。黒い肩掛けバックに黒のマスクを装備した人と話すのが少しだけ苦手な全身黒ずくめの23歳だ。


 大学を卒業してもう数ヶ月……僕は今日も会社の面接に向かう。これまで何社と受けてきたが、家に来るのはお祈りメールだけ。どこの会社も『ふざけてるのか』『やる気がないなら帰ってくれ』と言って僕を追い出す。


 酷い話だ。


 確かに話すのは苦手だけど、こんな事って許されるのだろうか。それともこの豆粒程の黒目と釣り上がった目尻が悪いのだろうか。


 むにむにと釣り上がった目尻を下げるがシュッと上がってしまう。


 普通にしているのに睨んでると思われる事がザラにある程度には僕の目つきは悪い。それが悪印象を与えたのだろうか……真相は謎だ。


 どうせ今回も駄目だろう。そう思いながら僕は面接会場の書かれたメールを開いた。


 今日面接する会社の名前は詩乃メンタルクリニック。いつ応募したのかも分からないが、給料は良いし家からもそう遠く無い。


 少し余裕を持って家を出て、家の前の交差点を通らず少し遠回りして、自販機で飲み物を買う。買った飲み物を飲みながらスーパーの前をパーカーのポッケに手を入れてぼーっとアスファルトを見つめながら歩く。


「痛っ!」


 突然。前方から紺色の服を着た男がぶつかってきた。男はぶつかった事など気付かず、謝罪も無しに怒気迫る表情で壁や電柱にぶつかりながら走り去ってしまった。


 男が来た方向に視線を送るも普通の住宅街だ。男を追いかけるものも、危険そうなものは無い。紫色の綺麗な花を咲かせた庭木が道路にはみ出している程度だ。変哲な物は何も無い。


 ……変な人。


 僕は道路にはみ出た庭木をくぐり目的のクリニックへと向かった。


「ここかな」


 メールの住所には3階建てのビルが建っていた。1階は不動産会社。1面ガラス張りだが大量に貼られた物件情報で中は見えない。3階部分にはジムの看板。2階の窓ガラスには詩乃メンタルクリニックとゴシック体で、でかでかと書かれていた。


 ビルに外付けされた少し錆びついた階段を登って2階に着くと、僕は曇りガラスの付いた鼠色の扉を叩いた。


「はーい、どうぞ〜」


 中から優しげな男性の声で返事が返ってきたのを確認して僕は扉を開けた。


 扉の先は木目調のモダンな床。壁1面に並べられたガラス戸のロッカーにはバインダーがぎっしりと並べられている。部屋の隅には安楽椅子が置かれ、部屋の中央には来客用の革張りのソファと木目の浮き出た滑らかな机が置かれていた。


 クリニック名の書かれた窓の前には逆光に照らされたデスクがあり、そこには真っ黒な影によって黒く塗られた男性が座っていた。


 何というか、クリニックっていうより探偵事務所の様な部屋だ。


「あの、面接に来た億利ですけど」


 真っ黒に染まったデスクに座った人は返事を返さない。逆光の中ギラリと光る目だけが僕をじっと見据えていた。


「あの……」


「……あ、あー! 君が億利くんか! 私は詩乃うたの 響也きょうやこんななりだけど精神科医をやってるよ」


 パッと顔を上げた詩乃。暗闇に光った目付きからは打って変わって表情は温和で人懐っこそうな男性へと変わっていた。


 詩乃は机の上に置いてあった丸眼鏡をかけると、煙管を片手に立ち上がってわざわざデスクから安楽椅子へと座り直した。逆光で分からなかったが服装も白衣ではなく、茶色い革のコートを着ていた。あれじゃあ医者じゃなくて本当にミステリー小説の探偵だ。


「あれ、億利くんだよね?」


「あっ、合ってます。面接に来た億利ですけど」


 僕は慌てて首を縦に振った。


「そうだよね。よかったよかった。じゃ採用で」


「え?」


「ん?」


 一瞬の沈黙。ギィギィと椅子の悲鳴だけが響く。


「ま、まだ、何も面接してないですけど、良いんですか?」


「うん。元々君しか採用する予定なかったからね」


「え、あ……え?」


 億利はその突拍子もない態度に、とっさに口に手を当てた。そんな僕の反応など意に介さず、詩乃は安楽椅子から立ち上がると煙管を片手に手を差し出した。


「これからよろしくね」


「よろしく……お願い、します」


 僕が恐る恐る手を差し出すと、詩乃はその手をギュッと掴んでぶんぶんと振った。


「安楽椅子でもソファでも自由に座ってて良いから。あ、コーヒー飲むかい?」


「いえ、結構です……」


「そっか」


 詩乃の気楽な雰囲気に若干絆されそうになりながらも部屋の真ん中に設置された黒い革張りのソファに座った。詩乃は少ししょぼんとしながらコーヒーへガムシロップを3つ入れて飲みはじめた。


「あの、ここってクリニック……精神科なんですよね?」


「うんそうだよ、これでもちゃんとした病院だよ。この格好とか部屋のデザインは完全に私の趣味というか、昔取った杵柄だけどね」


 気さくに笑って煙管に口を着けた。少し怖くて変な人なのかと思ったけど案外そんな事は無いのかもしれない。


「ゲホッゴホゴホ! やっぱ煙管はダメだ。タバコ自体吸わないし」


 詩乃は咳込みながら煙管を机に放り投げた。

変な人でもあるのは間違ってないらしい。


「さて面接も済んだし、早速億利くんの初仕事と行こうか。出掛けるから準備してね」


 コーヒーを飲み切った詩乃は立ち上がった。


「え、何処に行くんですか?」


「何処って患者さんのところだよ、うちは訪問診察がメインだからね」


「でも僕達が出たら誰も居なくなりませんか? 診察に来る人は?」


「大丈夫、ここに直接来る人はそうそう居ないから。来るとしても病棟の方じゃないかな」


「病棟?」


「まぁまぁ、今は一旦気にしなくて良いから、億利くんの仕事内容とかは歩きながら教えるね」


 ポールハンガーからこれまた探偵の被ってそうな帽子を取り有無を言わさぬ様子でさっさと部屋を出てってしまった。


「ちょっと! 待って下さいよ」

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