第21話 夏祭り(2)

 8月10日、夏祭り当日。


『朝早くからごめん』


『今日って何時集合だっけ?』


『全然大丈夫だよー!』


『19時20分打ち上げ開始だから、18時45分に私の家来て!』


『分かった』


 朝7時から、俺はあゆとLIMEをする。


『柚は楽しみ?』


『まぁそれなりに』


『ふーん』


『なに?』


『なーんにも』


 結局、今日もあまり眠れなかった。


 俺は重力に逆らう髪を抑えながら、ダイニングの椅子に座る。


「あら、おはよう」


「おはよう……」


「早起きなんて珍しいわね」


「うん……」


 別に早起きしたつもりはない。

 これはただ単純に睡眠不足なだけだ。


「パンと蜂蜜のやつ」


「はいはい、いつものね」


 俺の好きな朝食は、しっかりと焼いた食パンに蜂蜜をかけて食べるというもの。


 世間にはハニートーストと呼ばれるレシピがあるが、無論そんな大層なものではない。


 これは俺が、時短に時短を重ねた結果出来た超簡単朝食。

 ここでは仮に、蜜パンとでも呼んでおこう。


「お腹空いた……」


 俺は壁の1点を見つめ、蜜パンが運ばれるのを待った。


「はい、お待たせ」


「ありがとう。いただきます」


 このパンの利点は、サクサクとした食感と甘い蜂蜜を同時に楽しめる点にある。


「美味っ」


「ほんと、昔っから好きねぇ」

 

 慣れ親しんだ味とはいえ、いつもいつもその美味しさには驚かされる。


 ただ、蜂蜜を付け過ぎた場合は、鼻を抜ける匂いが少しくどく感じるため注意が必要だ。


 あっ、そうそう。

 先日見つかった浴衣については、リビングとダイニングを隔てる壁のヘリに掛けられている。


 確かに「適当なとこ掛けといて」とは言ったけど、まさかこんな場所に掛けられるとは……。


 浴衣を見つめる俺に、お母さんが言う。


「柚、今日は何時に家出るの?」


「出るのは18時40」


「ふーん、楽しみ?」


 この質問、誰かさんと同じだ。


「それなりに」


「そう。楽しんでらっしゃい」


「うん。ご馳走様」


 俺はコップに入った牛乳を一気に飲み干し、洗面所に向かった。


「うわっ、寝癖ひど……」


 ここ1年、ここまで酷い寝癖は無かったと思う。


「お母さん、ヘアアイロンってある?」


「あるわよー、上のとこ開けてみてー」


「はーい」


 俺は言われた通り、洗面所上部の収納を開けた。


 ここを開けるのって、何気に初めてかも。


 中を見ると、そこには綺麗に整頓された掃除道具や洗剤が入っていた。


「あっ、これかな」


 たくさんある小物の中で、唯一光沢を放つケース。


「あったー?」


「多分ー」


 1度取り出し開けてみると、それはヘアアイロンだった。


「あったー」


「はーい」


 確かヘアアイロンって結構熱くなるよな……。

 ちゃんと調べてから使わないと。


 俺はスマホに書かれた説明を読みながら、徐々に徐々に自分の寝癖を減らしていった。


 そして時は流れ、時刻は18時30分。


「よしっ、完璧ね!」


「ありがとう」


 俺はついに、浴衣に袖を通した。


「ちょっと、1枚写真撮らせて」


「うん」


 そう言うと、お母さんはポケットからスマホを取りだす。


「はーいこっち見てー!

 はい、チーズ」


 自然と恥ずかしさは無かった。

 多分、この浴衣が持つ不思議な力のおかげだろう。


「じゃあ、俺そろそろ行くから」


「うん!」


 玄関に行くと、そこには下駄が置いてあった。


「これ履いてくの?」


「そうよ! 大丈夫、ちゃんと似合うから!」


「うん、分かった」


 俺は下駄を履き、玄関横の靴箱の上から準備しておいた巾着を手に取る。


「いってきます」


「いってらっしゃい!」


 挨拶を済ませ外に出ると、夏らしくない涼しい風が俺の髪を揺らした。


「ふぅ、行くか」


 まず向かうのは、すぐ近くにあるあゆの家。

 しっかり時間に余裕は持たせたし、この時間なら迷惑でもないだろう。


 ただ、慣れない下駄で外を歩くのは、この短い距離でも不安を覚える。


 まぁ、そんなことを考えているうちに、


「着いちゃった」


 俺はあゆの家の前にいたんだけど。


「はぁ、変に緊張する」


 インターホンに伸ばした手が無意識に止まる。

 多分俺は、あゆに浴衣姿を見られるのが怖いのだ。


「まぁでも、待ってたら出てくるよね」


 スマホで時間を確認すると、現在時刻は18時40分。

 待つといっても、たったの5分だ。


 という訳で、俺は外で待つことにした。

 しかし、時間になってもあゆが出てこない。


「あれ、時間間違えてないよね……?」


 不安になり、あゆとのLIMEを見返してみたが、やはりそこには18時45分とはっきり書かれている。


「流石に押すか」


 ついさっきまで渋ってたくせに、状況が状況だと俺はすんなりインターホンを押せた。


 雰囲気や状況って大切なんだな。

 経験した今だからこそ、自信を持ってそう言える。


 とその時、勢いよくドアが開いた。


「ご、ごめんね! 浴衣着るの手間取っちゃって!」


「いや、別に待っ……て……」


 この場面、人によっては嫌な顔をするかもしれない。

 遅刻したことに対して、文句を言うかもしれない。


 でも、俺には出来なかった。


 だって今、俺の目の前には、それら全てを忘れさせる天使がいるから。


「すぐそっち行くね!」


 そう言うと、あゆは身に纏う桜を揺らしながら、こちらへ向かってくる。


「……綺麗」


 そんな彼女の姿から、俺は目が離せなかった。


「おっとっと……」


 どうしてこんなにも、彼女の一挙手一投足に心が奪われるのか。


 俺はまだ、自分でもよく分かっていない。


 俺はあゆが嫌いだ。

 目を奪われてしまうほど魅力的な、そんなあゆが嫌いだ。

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