第16話 夏休み

「皆さんお疲れ様でしたー!

 明日からついに、待ちに待った夏休みですよー!」


 1人の女性が言い放った言葉に、民衆は舞い踊る。


 夏休み。

 それは俺にとって、無くてはならない存在である。


「勝った……」


 小さくガッツポーズする俺。


 ただ、夏休みにはあいつがセットで付いてくることを忘れてはならない。


「はーい皆、1回落ち着いてください。

 今から、夏休み課題配りますよ」


「「「ええー」」」


 そう。課題だ。


「はい、柚くん。ちゃんと回してね」


 先生から俺への熱烈なウインク。

 今のウインクにはきっと、こんな意味が込められている。


 『ちゃんとやってきてね。

 もしやってこなかったら、親、呼び出しちゃうから』


「……怖っ。はい、どうぞ」


「あざーす」


 多くの冊子、プリントを回した俺は、その多さに活力を失った。


「早く、帰らせて……」


「はーい、配れたかなー?

 それじゃあ彦根さん、気合い入れて号令よろしく!」


「はい! 起立、気をつけ、さようなら!」


「「「さようならー!」」」


「さようならー! 良い夏休みを!」


 こうして、俺の夏休みが始まった。


「ふぅ、エアコン最っ高……!」


 課題で埋もれる机の奥から、俺は漫画を手に取る。


「これでも読み直すか」


 知らぬ間に時間が熔けていく。

 でも、それでいい。寧ろそれがいい。


「あれ? もう読み切った?」


 漫画に飽きたらベッドで眠る。

 これ以上の幸せは無い。


 とそんな俺の元に、1件のLIMEが入った。


「んっ?」


 携帯を手に取ると、そこには夏芽の文字。


「あっ、懐かしい」


 今のところ、彼女としたLIMEは初めの挨拶だけ。

 学校でも特に関わりが無かったため、存在自体を忘れかけていた。


『突然すみません。今週の水曜日って空いてたりしますか? 良ければ一緒にご飯でもどうかなって』


「いきなりだなぁ……まぁ、暇だしいっか」


『いいよ。時間とか決まったら教えて。

 俺はいつでも大丈夫だから』


『本当ですか!? じゃあ、12時に駅前集合でお願いします!』


『はーい』


 夏休みに入って僅か3日、俺に予定ができた。

 高校って凄いな。

 中学の頃は、こんなことありえなかったのに。


「でも水曜日かー。まだまだ先だな」


 俺はドアを開け、1階に降りる。

 すると、玄関にお母さんがいた。


「おっ、いい所に来たわね。

 今から家にお客さんが来るわよ」


 お母さんは嬉しそうだ。


「えっ、誰?」


「椎奈ちゃん」


「椎奈……って、誰だっけ?」


「ちょいちょい、一緒に海行ったんでしょ?」


 海? 一緒に?

 ってかその前に、お母さんが家に呼ぶ知り合いなんて限られるよな。


 その時、インターホンが鳴った。


「ごめんくださーい」


「おっ、きたきた! はーい!」


 ハイテンションのお母さんは、鍵を開けドアを開ける。


「あっ、よ、よろしくお願いします……!」


「あらー、可愛らしい服着ちゃって!

 さぁさぁ上がって上がって」


 その声は、確かに聞き覚えのある声だった。

 でも、これっぽっちの情報では見当もつかない。


「本当に誰……?」


 まぁ、見たら分かるんだろうけど。


「お、お邪魔しまーす……」


 お母さんの後ろに続き、玄関に入ってきた1人の女性。


「えっ、なんで……!?」


「ゆ、柚さん……!?」


 俺は驚きを隠せなかった。

 それもそのはず、今俺の目の前にいるのは、紛れもないヒロの妹なんだから。


「久しぶり」


 ヒロの妹、椎奈ちゃんって言うのか。

 知らなかった。


「あの、その、これは、ですね……!?

 し、失礼しまーす!!!」


「あっ、ちょっと待って」


 出ていこうとする彼女を、俺はギリギリのところで捕まえた。


「ごめんなさいごめんなさい!」


 ねぇ、玄関先で謝られたら、俺がヤバいやつみたいじゃん。


 俺をじーっと見つめるお母さんの視線が痛い。


「それ、何に対するごめんなさい?」


「えっ……分からないです!」


「はぁ。とりあえず上がりなよ」


 俺は一旦距離を置き、2人の動向を見守ることにした。


「エプロンも似合うのね。

 ほんと、娘に欲しいわ」


「む、娘ですか……!?

 それはまだちょっと早いです……」


 おい、接点は何だ!?

 この2人は接点は!?


 もう気になって仕方がない。

 俺は扉を少し開け、2人の会話に耳を傾ける。


「じゃあ椎奈ちゃん。早速だけど、バターを混ぜましょうか」


「は、はいっ……!」


 ほうほう、なるほどねー。

 2人は料理をしていると。


「これくらいで大丈夫ですか?」


「うん、バッチリよ! じゃあそこに、グラニュー糖と塩を加えて……はい混ぜて!」


「は、はいっ……!」


 今分かっているのは、バター、グラニュー糖、そして塩を使う料理。


 うーん……分からん。

 まぁ、料理したことないし当然か。


「どうですか?」


「すっごくいいわよ! じゃあ次は……」


 エアコンで冷えた肌が、暖かい空気に包まれていく。


「ふわぁ……やばっ、眠くなってきた……」


 それに気づいた瞬間、俺の足はベッドに向かっていた。


「あと15段で天国……天国……てんご……くかぁ……」


 そこからの記憶が無い。


 次に目が覚めた時、俺の傍には椎奈ちゃんがいた。


「お、起きてください……柚さん」


「んっ……あっ、おはよう」


 俺はまた階段で寝ていたのか。

 ほんと、我ながら才能だな。


「おはようございます……って、もうこんばんはくらいの時間ですよ」


「えっ、嘘……」


 階段の窓から外を見ると、すでに夕焼けが空を染め、街灯が1つ、また1つと灯り始めていた。


「ほんとじゃん」


 時間の経過を実感すると、急にお腹が空いてきた。

 そういえば、昼ごはん食べてないんだっけ。


「椎奈ちゃん、お父さんが迎え来てくれたわよー」


「あっ、はーい! すぐ行きます!」


 玄関からお母さんの声がする。


「あ、あの柚さん……!」


「ん?」


「これ、良かったらどうぞ。

 初めて作ったので、あまり自信は無いんですけど……」


 そう言って彼女が差し出したのは、小袋に入ったクッキーだった。


「えっ、いいの?」


 目を合わせると、彼女は照れながら言う。


「はい、もちろんです」


 空腹のせいか、貰わない選択肢は無かった。


「それじゃあ、遠慮なくいただきます」


 俺はビニールタイを外し、クッキーを口に運んだ。


「美味っ」


 口の中に広がるバターの香り。

 俺には分かる。


 これ、止まらないやつだ。


「よかったです……!

 じゃ、じゃあ私、帰りますね!」


「うん。気をつけて」


 綺麗な黒髪を揺らし、階段を駆け下りる彼女。


「今日はありがとうございました!

 おやすみなさい」


「こちらこそ楽しかったわ! おやすみ」


 しばらくすると、鍵がかかる音がした。


「あれ……? なんか落ちてる」


 玄関と俺を結んだちょうど中間辺りの階段で、俺は小さなぬいぐるみを拾った。


「クマ?」


 クマのぬいぐるみなんて、俺の家では見たことがない。


「お母さん、これ落ちてたよ」


 ポケットに小袋をしまい、俺は階段を下った。


「あら、それ多分椎奈ちゃんのやつね。

 今度会った時にでも返しておいてくれる?」


「はーい、分かった。

 それより、今日の晩御飯ってなに?」


「今日の晩御飯はね……」


 一方その頃、ヒロ父の車の中では……。


「あっ、無い! クマのぬいぐるみが無い!

 パパ、私忘れてきちゃったみたい」


「ほーん、柚くんの家にか?」


「多分」


「なら大丈夫。俺の柚くんが持っといてくれとるわ」


「俺のって……パパ適当言い過ぎ。

 あーあ、ラッキーアイテムって言うからわざわざ持ってたのに」


 この時、椎奈は気づいていなかった。


 あのクマのおかげで、もう一度会うきっかけが出来ていたことに。


 俺はクッキーが嫌いだ。

 俺の食欲をかきたてる、そんなクッキーが嫌いだ。

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