第14話 海(2)

「……ぉい……おい……おーい!」


「んっ……眩しっ」


 目を開けると、前のシートが倒されており、スライドドアの奥から俺を呼ぶヒロの姿が見えた。


「柚着いたぞー」


「……早くない?」


 今日の気温は33℃。


 朝見ていたニュースによると、刺すような陽射しに、肌がじりじりと焼かれるような感覚らしい。


 だから、可能ならもう少し、もう少しだけ、この涼しい車内にいたい。


「君ねぇ、2時間は寝てたぞ?

 だ・か・ら、降りてこーい!」


「あっ、えっ、ちょっと……」


 無理やり車外へ引っ張り出された俺。


「ゆ、夢……?」


「残念、これが現実なんだよな」


 視界に映るのは、どこまでも無限に続く青い海。


「じゃあ、私たち着替えてくるから」


「行ってきまーす!」


「了解!」


 なんだろう。

 海を見ていると、悩みなんて忘れてしまいたくなる。


「綺麗……」


 そんな海から、俺は目が離せなくなってしまった。


「はいはい、俺たちも着替えに行くよー!」


「おっけー!」


「くぅぅぅぅ、早く泳ぎてぇ!」


「俺ナンパしちゃおっかなぁ」


 ヒロは、鈴木、佐藤、松永を連れ、更衣室へ向かった。


 なぜ俺だけ呼ばれないのか。

 大丈夫、安心して欲しい。


 実は昨日、こんなやりとりがLIMEで行われていた。


 ピロンッと着信音がなり、俺は携帯を手に取る。


「ヒロか」


『明日、柚は水着着てきた方がいいかも』


『分かった』


『更衣室まで結構距離ある』


『情報提供感謝』


『あと、ちゃんと起きろよ』


『うん』


 流石はヒロ。

 少しでも俺の体力を残そうと、こんな工夫をしてくれるなんて……。


 ただ、1人残されたら残されたで、気まずいこともある。


「お兄ちゃん、ヒロ兄のお友達?」


「ん? そうだよー」


 俺はヒロの妹に声をかけられた。


 ってか、ヒロ兄って呼ばれてるのか。

 なんか可愛いな。


「お兄ちゃん何歳?」


「僕はねぇ、16歳だよ」


 この子は真由ちゃん。

 ヒロの8つ下の妹だ。


「お兄ちゃんヒロ兄より歳上!」


「うん、そうだね。僕は4月生まれだから」


 子供の相手なんてした事ないのに……これで合ってるかな。


「こーら、お兄さん困ってるでしょ。

 ごめんなさいね」


「いえいえ、ちょうど暇してたので寧ろ感謝です」


 こちらにいらっしゃる礼儀正しい美人さんは、ヒロのお母様だ。


「ママー!」


「はーい」


 この方を一目見た瞬間、ヒロが生まれてきた理由が分かった。

 だって、モデルしてますって言われたら納得しちゃいそうだもん。


 それに……。


「柚さん!」


「はい?」


「今日は来てくれてありがとうございます!」


 この子もいるし。


 こちらにいらっしゃる同じく美人さんは、ヒロのもう1人の妹だ。

 歳は確か、ヒロの1つ下だっけ。


「寧ろ連れてきてもらっちゃって、ありがとうございます」


「いえっ、全然大丈夫です……!

 わ、私着替えてきますね!」


「はい。お気をつけて」


 この子を見たのは、ヒロの家に初めて行った時だった。


「ヒロ、この写真の子誰?」


「あーそれ、俺の妹。可愛いだろ?」


「すごく綺麗だと思う。モデルやってる?」


「いや、してないよ。でも、スカウトされたことはあるみたいだけど」


 なんて会話をしていると、ドアが開いた。


「お兄ちゃん、お菓子とジュース持ってきたよ」


「おっ、ありがとー!」


 そこにいたのは、写真の中にいた美人さん。


「貰うねー」


 ヒロはお盆ごと受け取ると、テーブルの上に置いた。


「初めまして、柚です」


「初めまして……私は、ヒロの妹の……妹の……」


 ふと目が合うと、なぜか彼女は黙ってしまった。

 それに心做しか顔が赤くなっていた気がする。


「あ、あのー……」


「し、失礼しますっ!」


 突然力強く閉められたドア。


「あーれー? さては柚、やっちまったな?」


 なぜかヒロはニヤついている。


「えっ、俺なんか悪いことした? 今の短時間で怒らせちゃった?」


「なーんてな。別に気にしなくていいぞ。

 それより、このゲームやろうぜ!」


「う、うん……」


 人と接するのは難しい。

 この時確か、そう思ったんだっけ。


「懐かしい」


「へぇ、そんなことがあったのか……」


「はい……って、ヒロのお父さん!?」


 防潮堤に手を付き、俺の横で佇むヒロの父。

 いつの間に……。


「君なんだろ? 柚くんってのは」


「はい、そうですけど……」


 隣でアロハシャツが揺れている。

 何とも男らしい。


「ほれっ、ジュースやるわ」


「おっとっと、ありがとうございます」


 俺は早速、キンキンに冷えたオレンジジュースを1口。

 うん、控えめに言って最高だ。


「ほんでな柚くん、うちの子と仲良くしてくれてほんとありがとうな」


「えっ?」


 それ、完全に俺の父のセリフなんだけど。


「俺はてっきり、ヒロに友達出来ねぇんじゃねぇかと心配してたんだよ」


 だからそれ、完全に俺の父のセリフなんだけど。

 今も多分心配してるだろうし。


「だってあいつ、変だろ?」


「まぁ、そこは否定しないです」


 あまりの話しやすさに、スラスラ言葉が出てくる。

 恐るべきコミュ力だ。


「すーぐ階段で寝るし、盛り上げ上手だし」


「分かります分かります」


「でも、その癖大人数が苦手とか」


「分かります分かります……えっ?」


 ヒロって、大人数苦手なの……?

 じゃああの、体育祭の時の胴上げは一体……。


「だからよ、俺は1つアドバイスしたんだ」


「アドバイス、ですか?」


「そう。1人、親友を作れってな」


 親友……か。


 確かに、ヒロがいなければ俺は今頃、教室の置物になっていたことだろう。


「まぁそんな訳で柚くん、これからもヒロのことよろしくな」


 そう言うと、ヒロの父は優しく笑った。


「はい。こちらこそよろしくお願いします」


 今日俺は、海に来てよかった。

 まぁ、まだ泳いですらないんだけど。


 俺は海が好きだ。

 人の意外な一面を見せてくれる、そんな海が好きだ。

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