第9話 あたたかいココア

 学外にいるサキュバスという言葉を寝る直前に思い出した工藤珠希は眠れなくなっていた。

 明日から本格的に授業が始まると思うと寝た方がいいのだが、サキュバスというものがどのような存在なのか調べてしまった事もあって眠れなくなってしまっていた。

 いつもであれば工藤太郎に眠くなるまで付き合ってもらうところであるのだが、サキュバスと言うモノを調べてしまった事もあって何だか気まずい気がして工藤太郎の部屋に行くことが出来なかった。


 横になっても眠れる気配が無かったので少しだけ外の空気を吸ってみようと思い窓を開けたのだが、遠くの空に不規則に揺れている光があることに気が付いた。飛行機でもヘリコプターでもない動きをする不思議な光をじっと見ていたのだが、その光がゆらゆらと上下左右不規則に動いているのを自然と目で追っていると、少しずつ光が大きくなっているように思えてきた。

 そんな事なんてあるわけが無いと思いつつも、最初は空に浮かんでいる星くらいの大きさだと思っていたのが今では月も隠れるくらいの大きさになっていた。

 何だか怖くなった工藤珠希は静かに窓を閉めてから隙間の無いようにカーテンもきっちりを閉めたのだった。


 変なモノを見たせいで余計に眠れなくなってしまった工藤珠希はいったん落ち着こうと思って水を飲むことにしたのだが、台所へ行くと母親がお弁当の下ごしらえをしていたのだった。


「こんな時間にお腹でも空いたの?」

「そうじゃなくて、何となく眠れないから水でも飲もうかと思った」

「それならココアでも作ってあげるからちょっと待ってなさい。それ飲んだらちゃんと寝るのよ。明日から授業も始まるんだから寝不足はダメよ」

「授業って言ってもずっと自習みたいだけど」

「そう言えば説明会でそんな事を言ってたわね。本当に自習だとは思わなかったけど」


 小さい時もなかなか寝付けなかったときにココアを作ってもらったことを思い出していた。あの時は太郎も一緒に熱々のココアをゆっくりと飲んでいたんだったななんて考えていると、母親はココアを二つ差し出してきた。


「え、一つでいいんだけど」

「あんたの分と太郎ちゃんの分よ。きっと太郎ちゃんは今も勉強しているから持っていってあげなさい。寝てたらあんたが飲んでいいし」

「いや、二杯も飲んだら太るでしょ」

「あんたは背も高いんだから少しくらい太った方がいいわよ。お父さんも珠希はもう少し肉を付けた方がいいんじゃないかって心配してたからね」


「お父さんってそういう趣味だったんだ」

「変なこと考えてると、あんたのお弁当だけカロリー増やすわよ」


 この世の物とは思えない脅し文句に怯えた工藤珠希はこれ以上恐ろしい目に遭わないように階段を上っていった。ココアを持っているのでこぼさないように慎重に一歩一歩足を進めているのだが、この時間に工藤太郎の部屋に行っても良いものかと迷ってしまった。

 階段を上りきって工藤太郎の部屋の前に立っていたのだが、両手にココアを持っているのにどうやってノックしようと考えていたところ、タイミングを計っていたかのようにゆっくりと扉が開いて工藤太郎が笑顔で出迎えてくれた。


「ココアを持ってきてくれたんだ。ありがとう。ちょうど飲みたいなって思ってたところだったんだ」

「そうだったんだ。お母さんが太郎にも持っていきなさいって言ってたから。じゃあ、コレどうぞ」

「ありがとう。一緒に飲む?」


 誘われた工藤珠希は特に断る理由も無かったので部屋の中に入っていった。

 小さいころから何度も入っている工藤太郎の部屋は自分の部屋と同じ間取りとは思えないくらい綺麗に整理整頓がされていた。この部屋を参考に模様替えをしようと思ったことは何度もあったのだが、どうしても自分の手の届く範囲にモノを集めてしまう工藤珠希には綺麗に整理して維持するというは難しいことであった。


「なんかいい匂いがするね。芳香剤?」

「さっきまでアロマを焚いてたからかな。勉強するときに集中できるって言うのと、リラックスできるからね」

「へえ、太郎って女子力も高いのか。私も部屋の綺麗さは真似できないけど、アロマとか参考にしてみようかな」

「色々試してみたらいいよ。きっと珠希ちゃんの好きな匂いとかも見つかると思うよ」

「次の休みにでも見に行ってみようかな」


 前々から少し興味を持っていた工藤珠希ではあったが、自分がそんなものに興味を持つなんて早いのではないかと思って遠慮していたのだ。工藤太郎の勧めもあってか遠慮するのもおかしいと思えてきた。

 一人で行くのは少し気恥しいものがあるのだが、だからと言って工藤太郎を誘って一緒に行くのも恥ずかしい。かといって、親に頼むのも恥ずかしい。何とも気難しい年頃なのだ。


「珠希ちゃんは甘い匂いがいいんじゃないかな。エキゾチックな香りよりも甘くてふわふわした匂いが似合うと思うよ」

「それって、ココアの匂いじゃないよね?」

「違うよ。ほら、珠希ちゃんてお風呂上りに良い匂いがしているからそれもあるし」

「え、ちょっとキモイんだけど」


 そんなやり取りをしながらココアを飲み終えた二人は揃って台所にマグカップを置きに行った。

 台所には誰もいなかったのでマグカップを軽くすすいで食洗器に入れておいた。


 部屋に戻った工藤珠希は落ち着いた気持ちでウトウトしていた。

 先ほど見た謎の光の事などすっかり忘れることが出来たので、ゆっくりと眠りにつくことが出来たのだった。

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