お盆随想

夢美瑠瑠

第1話



 お盆、の呼称の由来も、盂蘭盆、旧盆、そういうのもよく知らないし、調べるのも面倒です。


 ただ、終戦記念日だったり、藪入りだったり、晩夏でもあり、しみじみとなんだかメランコリーやノスタルジーに浸るような時節で、行事でもある。


 毎年の恒例で、8月15日に、夕方に家の外を、野辺送りの行列が「チリンチリン」と、鈴か何かを鳴らしながら通っていくのが聞こえてくると、「もう夏も終わりやな」と、寂寥感が湧く。


 寂寥といえば、「侘び寂び」は、日本文化の神髄というかユニークさの嚆矢と、川端康成なら書くかもしれぬ。日本人の場合、秋の虫の鳴き声でも右脳で聴いて、だから音楽みたいにうっとり味わうとか、そういう記述も散見します。「一期一会」「和敬清寂」は、茶道の言葉で、いかにも風流で侘び寂びの極致…


 琵琶法師の「平家物語」やら、ラフカディオ・ハーンの「怪談」とか、浮世絵とかのジャポニスム?そういう外国人から見たエキゾチックな感じが子供のころは好きでなくて、陰気な老人趣味に思えた。歌舞伎とか落語とかも退屈でアナクロ趣味にしか思えなかった。今ならそういうのの渋い良さへの嗜好に感情移入できるし、味わえる気もする。


 季語のある「俳句」、枯淡の境地、俳味の味わい深さとか、短歌の七五調の綺麗さとかよさとか、もちろん子供には理解が難しいよな?


 日本人が長い間かけて作り上げてきた珠玉の日本文化やら美しい日本語とかは、日本人の魂、いのちであって、それ自体がおよそどこにもないユニークなアート。


 お盆は、「平家物語」の、盛者必滅という「滅びの美学」というテーマに似た、taste を感じます。暑い夏の盛りが過ぎていく。大日本帝国という気違いじみた夢が終わった日。”桐一葉落ちて天下の秋を知る”そういう侘びと寂び、哀愁。


 もしかしたら、仏教とかのの究極の境地であるミクロコスモスとマクロコスモスのアウフヘーベン、「ぼん」、それと似た語源なのかもしれない。


 梵鐘や 盆正月もひとりきり  

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