恋は盲目・嫌いは鮮明

雨沢白田ー

まあまあまあ見てけ


 好き嫌いってありますよね。それこそ食べ物、嫌いの代表はもう野菜。イチゴやメロン、スイカなんかも野菜だけど、まあ果物も同然。

 大抵、見た目や苦味なんかで避けられるタイプです。逆に肉は贅沢の象徴。揚げ物はデブ真っ直線コースよ。とはいえ、その味より苦味のキツさが記憶に残ってる事はありませんか?

 恋は盲目なんて言葉もあったり。その意味は、恋は周りを見えなくする。苦手な部分が気にならなくなるという事でもありますけど、今回はこの逆について、私の偏見を述べます。

 だってエッセイなんだから。

 で、まああれだ。嫌なことっていうのは、良い事と比べると記憶に残りやすい訳よ。何でといえば、印象深い出来事だから。そういうモノは大抵、強烈で、鮮明だったりする。ねちっこく粗探しをする人も世の中にいますけど、あれはしっかり見ているからこそ、成せる技なんですね。それだけが覚える方法って事なく、あくまでも印象的であれば覚えやすいのです。

 ま、実のとこ嫌いな人を書け、ってどっかで聞いた様な気がして。あったよなー、とついでに書いとーのよ。言っとくけどエッセイしか書かない訳じゃないし。

 その私から言うと感心する所多しでさ、今や数多のウェブ小説の中から選ばれ書籍化される昨今、ひどいモノだってある。そういうモノは私にとって、好きじゃないけど失敗から学ぶ糧で、ある種の勉強だったのよ。

 夏目なつめ漱石そうせきのこころとか、芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけの羅生門とか有名どころは、読者にしっかり読ませてしっかり楽しませる事が出来るから欠点が少なく、ウェブ小説が無いからこそ、名作は名作として名が知れて。

 でも今の時代、凡作やもーひどいってくらいの作品も跋扈ばっこしてる訳で。それですらメディアミックスしてるんだから、してはいけないやってはいけない、反面教師な作品が広く知られて、そこから活かす事も出来る。

 しかも、そういう粗探しは間違い探しの様な側面もあって、中々面白い。そういう時代だからこそ、小説とは何かを反面教師から学ぶ土台が出来てるって訳。嘲笑うのもまた嫌い、の一つでもあるし。

 ま、これ私だけかもしれないけど、少なくとも私はそう習ったからさ。そこらのアマチュアよりレベルが違うレベチとは思ってるよ。自分で書いて自分で読んで、読者としての私としても、良くあろうよく築こうと考えてるのさ。

 

 なーんか話がずれすぎた気がする。もう創作論じゃないのこれ、でもエッセイだしいいよね、ベツに。ところで君。書く事に興味あったりする? なーに心配要らずとも。書く書かないは自由されど、やってみるのもまた一興。そーでしょ?

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恋は盲目・嫌いは鮮明 雨沢白田ー @catphilia3156

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