34:ロアンの矛盾

「これは……」

「まるで、大波のあとだな」


 リュウとハナはソウコを見下ろし、ため息をついた。リシュの小銭入れからシノの気配を感じた二人は、話をつけるべくソウコへやって来たのだ。しかし、どうにも様子がおかしい。

 かつて湖の周辺や浮かぶ島々は、いくつもの漁港や船に彩られていた。なのに、それらが見あたらない。見るも無残にごっそりと、無くなっていたのだ。こそぎ取られて残った砂地と凪いだ湖面に点々と浮かぶ黒い粒は、残骸だろうか。彼らを湖の水が襲ったらしいことは見て取れた。リュウの言うように、まるで海嘯の痕だ。


「ハナ! あれ!」


 リュウは、眼下の島の一画を指さした。小さな二つの人影と、大鯨の姿が見える。リュウの制止をふり払い、ハナは飛び出した。



「リシュ……? ロアン?!」


 リシュとロアンは、湖に面した砂地の上に、重なりあうようにして倒れていた。ハナが小さな悲鳴をあげ、双子の元へと駆けてゆく。


「クジラ殿。何があったんです?」


 ハナを追うようにやって来たリュウは、波打ち際に浮かぶ大鯨に訊ねた。


『ああ。ロウザンのお二人か。……湖の底で、ロアンの潜水の術が解けてしまってな。此処まで乗せてきた』

「そうだったんですか。クジラ殿。ありがとうございます」

「この惨状は、シノが?」

『……』


 大鯨は、応えない。


「クジラ殿?」

『いや。……の具合は、その、どうじゃ?』


 煮え切らず口ごもった大鯨の様子に、リュウとハナは首を傾げた。しかし彼の言うように、今は双子の具合を確かめることが先決だ。ハナは双子に手を伸ばし、息をのんだ。


「クジラ殿。これは、どういう……?」


 リシュもロアンも見るからにずたぼろで、満身創痍だった。それでも身体は傷を癒そうとしているようで、傷口には肉芽が見える。しかし問題は、二人の胸元の傷だ。


「何だ? この傷は……」


 リュウも眉をひそめた。その傷口は、すでに八割方塞がっている。軽くはないが、一見普通の傷だ。しかし、何がどうと言われるとうまく説明できないのだが、看過できない『違和感』があった。


『鬼と仙に、こういう訊ね方もおかしなものだが……リシュとロアンは、生きておるか?』

「どういう、意味です?」

「とりあえず、死んでいるようには見えないが」

『……そう、か』


 大鯨から伝わってくる動揺に、ハナもリュウも困惑し、焦りを見せた。リシュとロアンの身に、尋常でないことが起こっているのは確かなようだ。


「クジラ殿! もったいぶらずに、何があったのか教えてくれないか? シノは? リシュとロアンは、どうしてこんなことになっている?」


 リュウの催促に、それでもためらいを見せながら、大鯨は口を開いた。


『ロアンは、リシュに、自分の心の臓を、移したのだ』

「……は?」

「何を……」


 ハナとリュウは、大鯨が何を言っているのか理解できなかった。意味がわからず眉根を寄せ、それが『言葉どおりの意味』だとわかって、さらに眉根を寄せた。


『すまぬ。何がどうなっているのか。……上手く説明できないかもしれんが、私が知っていることは順を追って話そう。……聞いてくれるか?』



 大鯨は、二人に語って聞かせた。

シノがロアンに攻撃の術を教えようとし、彼がそれを拒んでいたこと。

その原因がリシュにあるとして、シノが彼女を攫って酷く痛めつけたこと。

それを知ったロアンが暴走し、シノを殺してしまったこと。

ロアンがリシュを取り戻そうと、自分の心の臓を引き抜いて、彼女の胸元に埋めたこと。


『ロアンもリシュも、その時点で死んでしまうだろうと思っておった。……だが、そうはならなんだ。正直ロアンだけなら、とは思った。シノを凌駕するほどの力があるなら、心の臓を失ったとしても、再生は納得できる。だが、リシュは……』


 ハナもリュウも、大鯨の説明に絶句した。正直なところ、リシュがシノの思惑で連れ去られたことから、ロアンが暴走するという流れまでは、想像の範疇だった。しかし、まさかロアンがシノの息の根を止めてしまうとは思ってもみなかったし、ましてやロアンが自分の心の臓をリシュに……など。青天の霹靂だ。


「確かに。どうして死んでいないのか、謎だな。何故ロアンは、こんな真似をしたんだ?」

『……ロアンは、異国の本にあったと言っていたな。だが、まるでお伽噺だとも言っておった。そんなものにすがるほど、切羽詰まっていたのだろう』

「ロアン……」

『ロウザンのお二人よ。三年前、ロアンは一人でここへ来た。リシュという娘のことは、全て彼から聞いたにすぎん。双子が仙と鬼になったという戦の話は聞いたし、ロアンがリシュのことを大切にしているということも分かる。だが、私はどうにも不思議なのだ。ロアンにとって、リシュの存在は、重すぎやしまいか? ロアンが己が鬼と成った原因を『リシュが死んでしまったこと』だと言っていた。しかし、どうもそこに、違和感がある』

「クジラ殿。それは……」


 それは、ハナやリュウも気になっていたことだった。ロアンはリシュのことが大切で、しかし何より彼女を失うことを、異様なまでに恐れている。リュウのハナに対する執念や、シノのものとも何か違う。淡白なようでいて、ロアンのリシュに対する執着は、一線を越えていた。


 しかし誰でも心の底には、人に知られたくないことの一つや二つ、あってしかるべきだろう。ロアンが何か秘密を抱えていたとしても、それをわざわざ暴くことはあるまい。というのが、リュウとハナの見解だった。無理に聞き出さずとも、彼が言いたくなった時に耳を貸してやればいい。そう論じたリュウに、大鯨は気まずそうに尾鰭を振る。


『もちろん。それはそのとおりだ。誰が、何を、どう考えるか、それは自由。知と思考の特権でもある。だが、『こう』なってしまうと、ただ放っておくわけにも……いかんだろう?』


 大鯨とロウザンの皇鬼と地仙は、顔をみあわせた。


「まあ、な。シノを、ソウコの皇鬼を潰したとなると、色々と黙っていられない奴は多そうだ」

「……だね。この暴れっぷりだ。仙郷や世間から、ロアンは『危険な鬼』として認識されてしまうかもしれない」

『だろう? だがそれは、ロアンだけの責ではないはずだ』


 三者は頭を悩ませる。ロアンがやってしまったことは、取りかえしがつかない。もとはと言えば、シノがロアンの急所の虎の子に手を出したことがきっかけだが、彼の暴走によって、多くが奪われたことも事実だ。


「……いいえ。責は俺にあります」


 突然下方から小さな声がした。見ると、ロアンがうっすらと目をあけている。いつから気がついていたのだろう。


「ロアン! 大丈夫かい?」


 ハナに支えられて身体を起こしたロアンは、「リシュは?」と、さっそく片割れを求めた。


「大丈夫だ。まだまだ目を覚ます気配はないが、息はしている。傷も、ゆっくりだが癒えているようだから、心配するな」


 リュウの言葉に、ロアンはほっと息をつき、リシュへと手を伸ばした。


「ロアン。君のほうこそ大丈夫なの?」

「……うん。意外なことに。自分でも不思議なくらい、元気。……心の臓を抜いたら、もっと辛いと思っていたんだけど」

「あのねぇ」


 あっけらかんと話すロアンに、ハナは呆れかえった。そして、その『ロアンらしさ』に安堵する。しかし、リュウの見解は違ったようだ。ロアンの瞳をのぞき込み、舌を打った。


「ちっ。……やっぱりか」

「リュウ?」

「この話は、後だ。おいロアン。俺たちの会話は聞いていたんだろう。さっさと吐いてしまえ。お前は、何に引っかかっている?」


 そう凄んで、リュウはロアンを睨んだ。


「リュウ。ちょっと、そんな乱暴な……」

「悪いがハナ。これは『仙』には分からない感覚だ。俺たちは、どうしても『鬼』で、『鬼』というモノはどうしても、心暗く、醜いものだ」

「そんなことは!」


 ない、と言い返そうとしたハナを、リュウは制する。


「いいや。これは譲れないな。俺は常々、天の線引きは『そこ』だと思っているくらいだ。逆に言うなら、『そう思える』からハナやリシュは『仙』なんだ」

「……」

「そこの議論も後回しだな。ロアン。無意識ならそれでもいい。だが意識してしまったのなら、目をそらすのはやめておけ。命とりになるぞ。……おい、何を笑っている」

「ふふ。さすが、リュウは皇鬼なんだと思って。うん。本当にそうだ。よく分かる。でも……」


 ロアンは言葉を切った。


「でも、言わない」

「……」

「どうしても、か?」

「うん。口にしてしまったら、いつかはリシュの耳に入ってしまうかもしれない。それは駄目。これは、俺が、抱えていかなきゃいけないことだから……」


 ロアンはそう言って、目を閉じた。彼の脳裏に『あの時』のことが思い出される。

 理不尽で、どうしようもない、戦の場でのことだった。ユザの伏兵に気づいたリシュは、ロアンを庇った。そして彼女は、兵士に背中を切られて倒れた。

 しかし、ロアンだけが知っている。


 倒れ込んできたリシュの脇腹には、ロアンが握っていた短刀が、深々と突き刺さっていた。


 とっさに動いたリシュと、身構えたロアンの動きが、偶然噛み合ってしまった。そんな事故だ。それは解っている。解っていたが、それでもロアンは、自分を許せなかった。しかしそれでも、リシュのそばには居たかった。リシュを傷つけたくなかったが、それでも手を繋ぎたかった。そんな矛盾を、抱えている。

 それが、ロアンの『本心』で。 そして、今回の『コレ』だ。


 我ながら情けない――そう思いつつ、ロアンは、とある決心をしたのだった。

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