クイズ!覚えてる?

鶏=Chicken

クイズ!覚えてる?

 仕事のない休日、涼しい風に吹かれながら街路樹に囲まれた商店街を歩く時間は、社畜の俺にとってまさに至福の時だ。新緑の葉が揺れ、鳥が囀る。

「今日は奮発して、ちょっと高いカツ丼でも食べに行くか」

 ふと溢れた独り言さえ、声が弾んでいるのがわかる。何気ない幸せな日常に心を躍らせ、自然と足取りも軽くなった。その勢いのまま曲がり角を曲がろうとすると、進行方向から来ていた女性とぶつかりそうになる。

「あっ、すみません。大丈夫ですか」

 俺に驚いてよろけた女性をそっと支えながら、そう問いかける。女性は顔をあげると、柔らかく微笑みかけてくれた。

「大丈夫です。こちらこそ、不注意ですみません」

「いえ、そんな……」

 女性の笑みを見て、俺は思わず息を呑んだ。これまでの人生で見たことがないほどの美人だ。

 自慢じゃないが、俺は学生時代かなり交友関係が広かった。美人には何人も出会ってきたが、ここまでの人は初めてだ。

 そんな俺の心も知らず、女性は俺の顔をまじまじと眺めてくる。いたたまれなくなった俺は、

「怪我がないようでよかったです!それでは!」

 とその場を去ろうとした。その時、女性は俺の袖を掴んで引き留め、もう一度俺の全身をくまなく見ると、その美しい顔を輝かせた。

「ねえねえ、山田だよね!?ほら、第一中学の!」

「え、ああ……」

 突然名前と出身校を言い当てられ、たじろいでいる俺に構わず、女性は話を続ける。

「うわー!懐かしい!久しぶり!全然変わんないねー」

 女性は一人で勝手に感傷に浸り、しみじみと目を瞑る。一通り何かを思い出して満足したのか、目を開けて俺に一歩歩み寄ると、彼女は恐怖のひと言を放った。

「ねえ、私のこと覚えてる?」

 俺の体が凍りついた。背中を冷や汗が伝う。

 覚えてるって?覚えていない。なんならついさっき、初めて見たと思ったばかりだ。

 先程までの幸せな気持ちは消え失せ、今はただ、焦りと動揺で心臓がうるさいほど動悸している。俺の返答次第では、目の前の美女を傷つけてしまうかもしれない。それだけは避けなければならないが……。

 しかし、わからないものはわからないのだ。意を決して謝ろうと女性の目を見るも、俺からの返答を心待ちにしている様子に再び目をそらす。

 どうする!?どうすればいいんだ!?絶体絶命のピンチに頭が真っ白になりかけた時、突如脳内に声が聞こえてきた。

「お前が知らないなんて言ったら、この女は傷つくだろうなぁ。ここは、知っている女の名前を適当に言うんだ。運がよけりゃ当たるかもしれないぜ?」

 これは……、俺の中の悪魔だ!自覚した途端、悪魔は脳内に姿を現し、これが最高のアイデアかのようにニヤリと笑いかけてきた。

 確かに悪魔の言う通り、適当に言えば当たるかもしれない。しかし俺は顔が広いのだ。一人の女性の名前を当てるなど、何十分の一、いや何百分の一の確率になってしまう……。

「そうですよ。ここはやはり素直に謝るべきです。誠意ある謝罪をすれば、彼女もきっと許してくれるでしょう」

 その時、もう一つの声が脳内に響き渡る。俺の中の天使だ。穏やかで余裕を感じさせる笑みを見せた天使は、悪魔の肩にそっと手を乗せ、諭すように語りかける。

「別の女性の名前を呼んでしまえば、彼女はもっと傷つくでしょう。人間関係を円滑にするためには、やはり正直が一番重要なのです」

 天使の言葉が俺の胸に深く刺さる。そうだ、嘘をついたってどうしようもないじゃないか。偽りは不幸しか生まない。それに、この女性ならきっと笑って許してくれるはずだ。どこの誰かは知らないが……。

 俺の心が決まりかけた瞬間、天使の手を振り払った悪魔が囁きかけてきた。

「そうは言うが、もしかしたら問題はお前らだけでは収まらないかもしれないぜ?この女がお前の親友のダチで、お前に不義理なことをされたと言いふらしたら、親友もお前を見損なうかもしれないなぁ?」

 再び心が揺れる。思い返せば、この女性は“第一中学の!”と発言していた。つまり、中学の同級生である可能性が高いのだ。ならば、小学校から大学まで苦楽を共にした親友たちと、繋がりがあってもおかしくはない。どころか、紹介されていない彼女の可能性すらある。

 それならやはり一か八かに賭けてみるしか……。いやよく考えたら、親友の彼女に対して別の女性の名前で呼びかけるのも大概問題ではないか?

 ああ、どうすればいい!?神は俺を見放したのか!?

「いや、この子は君の中学の同級生ではない。おそらくは他校の子だろう」

 そんな時、俺の脳内に神のお告げが聞こえた。そいつはさらに言葉を続ける。

「彼女は先程、“第一中学の!”と言った。彼女が同じ中学なら、“同級生”のような言い方をするはずだ。わざわざ中学名を言ったのは、彼女が別の中学だからだろう。そして、君が中学時代に他校の美女と深く関わる機会があったのは、三ヶ月間通っていたピアノ教室だけだ。つまり彼女は、ピアノ仲間のコトネちゃんかカノンちゃんのどちらかということだ」

 呆然とする天使と悪魔、そして俺を置いて、そいつは颯爽と振り返って去っていく。

「ま、待ってくれ。助けてくれてありがとう。お前は一体……?」

 俺の問いかけに、そいつは軽く振り返り、微笑して答えた。

「君の中の探偵、といったところかな」

 そうして俺たちは、探偵の姿が完全に消えるまで、賞賛と尊敬の眼差しで彼を見送った。残った天使と悪魔も、

「あとは二分の一、お前次第だ。ま、日頃の行いってとこじゃねーの?」

「私も、あなたの成功を祈っていますね」

 と口々に言い残し、俺の脳内から消えていった。

 ここに残されたのは、俺と彼女だけ。みんなが繋いでくれたバトンを、最後は俺がゴールまで届けるんだ!ついに俺は意を決して、一心に視線を向ける彼女を見つめ返し、口を開いた。

「覚えてるよ。えっと、その……」

「ほら、中学の吹奏楽部で一緒だった田中スミレ!一緒にトランペット吹いてたでしょ?」

 俺が言い淀んでいる間に、目の前の美女、田中スミレは自らの全てを教えてくれた。全ての記憶が蘇ってくる。そう言われれば、ぱっちり二重のタレ目も、長いストレートの黒髪も、全てが田中スミレだ。

 俺は満面の笑みを浮かべる田中に、精一杯の、引き攣った笑顔で応えた。

「……ああ!そうそう!スミーだろ!?わかるわかる!」

「えー、本当は忘れてたんじゃないのー?あっ!私そろそろ行かなきゃ!待ち合わせしてるの!じゃーね!今度飲みにいこー」

 俺の苦笑も、若干震えた声も、一切気に留めることなく、田中は自分の言いたかったことを言い終えると、白くてほっそりとした手を振って、ちょこちょこと走り去っていった。かろうじて手は振り返したものの、俺はその場に崩れ落ちそうなほど脱力していた。

 しばらくの放心状態を経て、俺は再びカツ丼屋に向けて歩き出した。今回のことで、一つだけ分かったことがある。それは、俺の中の探偵がとんでもない無能だということだ。

 長い道のりの末、カツ丼屋に到着した。扉を開けると、

「いらっしゃいませー」

 と男性店員が笑顔で出迎えてくれる。疲れ切った今の俺には、見知らぬ人の笑顔がいつもに増して胸に沁みる。案内された席に座り、出された水を飲み干す。ああ、やっと俺の平穏な休日が戻ってきた。安堵のため息をつき、店員を呼ぶ。今日は一番高いメニューを選ぶと決めていたのだ。

「はーい。ご注文伺いまーすって……」

 注文を取りに走ってきた先ほどの男性店員は、俺の顔をまじまじと見ると、途端に弾けるような笑みを見せた。

「お前山田じゃん!うわー、こんなとこで会うとはな!なあ、俺のこと覚えてる?」

 こうして平穏な休日は、またもや音を立てて崩れ去った。俺たちの第二問が始まる……。

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