右手を預けて~クラスの男子に「お前の右手、おれに預けろよ」と言われて付いていったら書道教室だった

坂東さしま

第1話 1989年1月8日

『お前の右手、持って来いよ!』


 あたしはこたつに入って、家族と夜のニュースをぼーっと見てた。


 ブラウン管テレビには「平成」と書かれた書が映し出されてた。


 次の元号が決まった。新しい時代。っつっても、あたしの高校生活に関係あんのかな。テストがなくなるわけでもね。あたしは無感動にみかんの筋をぺりぺり取ってた。


 そんな時だった。クラスメイトの石塚から電話がかかって来たのは。


「いつ?」


『明日。飯食ってクソしたらうち来いよ。ほいじゃ』


 電話は一方的に切られた。あたしの予定聞かねえんだから。いつものことだけど。


 新しい時代が始まる第一日目、あたしは石塚の家に右手を持ってくことになった。


◇◇◇◇◇


 平成初日の今日は、朝からしっとりと雨が降ってた。新しい時代の匂いは全然しね。畑と田んぼの土と雨が混じり合った田舎の匂い。まあ、都会の匂いなんて知んねんだけど。この街に平成が来んのは何年後だろ。次の時代まで来ないんじゃねえかね。


 あいつの家まで、あたしの家から歩いて15分くれえ。県のシンボルでうちからも晴れてっとようく見える、おっきな山の方向にとぼとぼ歩く。すっと現れんのが「石塚書道教室」の看板。ここが石塚の家だ。


「来たな倉持! 上がれ!」


 言われるままにあたしは石塚家にお邪魔した。新しい時代になったっつーのに、石塚の服装はセンスのかけらもないジャージのまま。あたしもジーンズにただの赤いトレーナーと、人のことは言えねーけど。いつ平成の人間になれんのかな。


 非常に珍しいかもしんねけど、石塚は高校2年の春に転校してきた。高校でも転校できると知らなかったあたしは、驚いたもんだ。


 東京からの転校生。始めはみんなの興味を引いてた石塚だけど、クラスメイトの知りたい東京について全くの無知だった。原宿も渋谷も興味がなくって、行ったことがねえらしい。住んでた場所も23区でも市でもなく村。東京に村がある事も、石塚を通して初めて知った。


 東京の人ってーと、オシャレで知的な、洗練されたイメージがあったんだけど、話し方から分かる通り、石塚は田舎のガキめと何も変わんね。服はお母さんが買ってきたものをたーだ着てるような、絶妙なダサさに溢れてる。見た目も中身も、オシャレのおの字もね。


「倉持さん、いらっしゃい」


「お邪魔します。これ、うちのおばちゃんが作ったタクアンです。みなさんでどーぞ」


「うわあ、いつもありがとう」


 石塚のお母さんはダサいかと言うと、そうでもない。けどオシャレでもない。石塚のお母さんは東京の人じゃなくって、この辺の生まれなんだっつーから、じゃあオシャレじゃねえよなあ。つーのはこの辺の人に失礼か。


 通された場所はこれもいつも通り、書道教室用の広い和室。12畳くらいあっかな。前に先生用の机、そして生徒用の横に長い机が8つ並んでる。


「ってことで、今日のお題は」


 石塚は手に持ってた朝刊を広げた。


「平成!」


 そういう訳であたしは新時代初日の1989年1月8日に、石塚と「平成」を書くことになった。


【用語解説】

おばちゃん=祖母

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