風と水の物語

木野恵

第1話 水の精の旅立ち

 あるところに、一つの大きな水溜まりがありました。


 その水溜まりは雨が降ってできた水溜まりではなく、人々が言うところの池でした。


 その池の中でも、ひときわ冒険心の強い水の精が住んでいました。


「いつかこの池をでて、この広い世界を旅してみたい!」


 水の精は、雨が降る度によそからやってきた仲間たちの冒険話を聞いて、想像に花を咲かせながら、いつか旅立つ日を心待ちにしていました。


 水の精は待ち続けるのが苦手だったので、自力で陸に上がろうとしましたが、すぐに池へとずり落ちて戻ってしまいました。


 ならば地面からどこかへ抜けられないか、試そうとしましたが、すり抜けていくことができませんでした。


「いつか小さな粒になって、みんなのように旅立つ時を待つしかないのか。それっていったいいつになるのだろう?」


 水の精はいくら頑張っても、願った通りにならないので、諦めて待とうとしました。




 水の精は池から旅立っていく仲間たちを何度か見送り、次はきっと旅立てると良いなと願い続けましたが、なかなかそのときはやってきません。


「ああ、あの風のように自由にあちこち飛び回れたら良いのにな」


 水の精は風に憧れました。そして、諦めてただ待っていることがやはりできませんでした。


 風が吹きわたり、水面を揺らす度に、水の精は風に手を振り続けました。


「僕をどうかつれていってくれませんか? 冒険にでたいんです」


 しかし、風はとてもはやく吹き抜けていくので、水の精に気づいた風の精がいて手を伸ばしても、もうとっくに通りすぎて遠くへいってしまったあとのことでした。


 水の精は考えました。


「そうだ、体を軽くすれば、風が吹くだけで浮けるくらいスリムになれば良いんだ」


 しかし、水の精がいくら頑張ってもこれ以上軽くなることはありませんでした。


 実は水の精は池そのもので、池の水をまるごと持ち上げない限り、旅にでることなんてできないのでした。


 そんなことを水の精は知らず、気づくこともないまま、冒険にでるときを夢に見続けました。




 そんなある日のことでした。


 水の精はいつものように、池から旅立っていくみんなを見送っていました。


「ああ、また選んでもらえなかったな。どうやったらみんなのように旅立てるのだろうか?」


 水の精にとってそれが当たり前になり、残念に思わなくなってどれほどの年月がすぎたでしょう?


 それでも、冒険への憧れはなくならないままのときです。


 いつもと違ってとても強い風の渦が、水の精の池に近づいてきました。


 水の精は目を丸くしながらそれを見ていましたが、見つめた頃には風に巻き上げられて宙を舞っていました。


 ぐるぐると激しく回転しながら宙を舞い、水の精は突然で初めてのできごとに恐怖と不安で叫びます。


「助けて! 誰か助けて!」


 水の精の手に、とてもふんわりとした何かが触れました。するとどうでしょう、激しく回転する水の精の回転がピタリと止まり、優雅に渦をまわるだけになりました。


 水の精は恐る恐る目を開き、手に触れたそれを見つめようとしましたが、見つめた先にはなにもありません。


 水の精は首をかしげます。


 すると、どこからともなく声が聞こえてきました。


「いつも手を振っていた水の子さん、ようこそ風の渦へ。私たちは風の精。みんなあなたのことに気がついて、一緒に連れていきたいと思って集まりました」


 水の精の周りで、たくさんの風の精が話しかけ、祝福と歓迎の言葉をたくさん口々にしていましたが、水の精には風の精の姿は一つも見えません。


 水の精は不思議に思いながらお礼の言葉を口にします。


「僕を連れていってくれてありがとう! ずっと冒険にでたかったんだ!」


 水の精はおおはしゃぎ。顔には満面の笑みを浮かべています。風の精たちのお陰で、いくら頑張っても、いくら工夫しても叶わなかった願いが叶ったのです。


 風の精たちは、そんな水の精を見てとても嬉しく思うのですが、水の精と違って、笑顔を浮かべてもみてもらえることも、気づいてもらえることもありません。


 水の精は風の精たちの憂いを知らないまま、念願の旅にでるチャンスをくれたお礼がしたくてたまらなくなりました。


「冒険へ連れていってもらえたお礼に、僕にできることはありませんか?」


 風の精たちは、水の精の言葉に驚きを隠せません。


 お礼をなんて、風の精たちの頭になかったからです。


 風の精たちはただ、水の精に手を差しのべたくなっただけだったからです。


 風の精たちはそれぞれ相談しあって、お礼に何をしてもらうかを考えて決めました。


「このまま私たちと一緒に旅をし続けていただけませんか? そして、私たちの姿を見えるようにしてもらえませんか?」


 水の精はそんなことで良いのかと驚きました。


 水の精がいくら頑張っても、いくら待っても、いくら工夫しても叶わなかった願いのお礼が、ただ一緒に旅をするだけでいいというのです。


 しかし、風の精たちの姿を見えるようにできるかどうか、水の精はやったことがなかったので自信がありません。


「君たちの思い描いたような願いを叶えることができるかわからないけれど、やってみましょう」


 水の精は、大きな水の体を風の精たちにもっと細かくしてもらうのを手伝ってもらいながら、どこかへ離れていきすぎないように頑張って引き留めました。


 水の精が思っていたよりも大変なことでしたが、上手にみんなの姿を作ることができて心のそこから安心しました。


 風の精たちは大喜びです。新しくできた真っ白な姿におおはしゃぎ。


 いくら頑張っても、いくら工夫しても叶わなかった願いが、水の精のお陰で叶ったのです。


「叶うことがないと思っていた願いが叶うなんて! 水の精さん、お礼をさせてはいただけませんか?」


 水の精と風の精たちは笑いあいました。


「これではお礼のお返しをし続けて終わることがないでしょうね」


「私たちの旅も終わりのない素敵な旅になる。きっとそうであれば良いという願掛けにできないでしょうか?」


「それはとても良い提案です」


 こうして、水の精と風の精たちは、楽しく幸せに旅を始めました。

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