白い腕の7月

小糸 こはく

第1話

 小学生のとき、おれの自慢は『足が速いこと』だった。

 小学生の男子なんて、足の速いやつが偉い。そんな単純なものだったから。

 

 100mで初めて全国大会に出たのは5年生のときで、中2のときには100mで全国5位になった。


 だけどおれの成績は、そこで止まった。

 身長の伸びと一緒に。


 中学3年。おれは全国大会に出ることができなかった。

 152.5cm。

 そんな低身長な選手が勝ち進めるほど、中学3年生の陸上競技レベルは低くない。


 だから中3の夏。

 おれは陸上をやめた。


 といっても、ほとんどの中3がその時期で部活を引退しただろうけど、おれはのは陸上そのものをやめたって意味だ。


 陸上をやめてどうしたかって? とりあえず、県内で偏差値トップの男子校を受験するために、勉強に打ちこんだ。

 なにかに集中していないと、悔しさと不安に押し潰されそうだった。

 それに勉強はちゃんとしていたし、まったく手が届かないという成績でもなかったから。


 陸上に使っていた情熱もすべて、勉強に注いで真面目に頑張った。

 結果は、合格。


 だけど合格できた男子校は実家から距離があって、通うとなると往復で3時間は必要になる。

 だから親父おやじは、おれに一人暮らしを進めてきた。親父も高校生から一人暮らしを始めたそうで、


「大丈夫だ、なんとでもなる」


 とのアドバイスをくれた。

 おれの家は……というか親父はといった方がいいかな。親父は資産家で、不動産投機もやっていて、


「今度お前が通う学校の近くに、投機に良さそうな物件があったから買った。卒業まではお前が使えばいい。あまり派手に汚すなよ、高くなったら売るつもりだからな」


 おれが住む場所を用意してくれた。


 親父はなんというか、子どもには甘いところがある。自分では厳しくしているつもりらしいけど、おれも姉ちゃんも、親父が子供たちに甘いのをわかっている。


「ありがとう、父さん。おれ、一人暮らし頑張ってみるよ」


 そうつたえたら、親父はすごく嬉しそうな顔をしていた。

 そんなわけでおれは、高校生になって一人暮らしを始めることになった。


     ◇


 入学して3ヶ月。

 季節は7月に入り、一人暮らしにも高校生活にも慣れてきた。

 学校の授業は想像していたよりも大変だったけど、おれは部活をしていないから勉強する時間はある。


「おはよう、若菜わかな


 窓際の自分の席に座って提出する課題のチェックを始めたとき、クラスメイトに挨拶された。


「あぁ、椎名しいな。おはよう」


 椎名はおれの後ろの席に座り、おれと同じように課題のチェックを始める。こいつはこの学校でできた、初めての友達だ。

 勉強は……どうだろう? 今のところ、おれの方がいい成績だと思う。でも椎名は部活をやっているし、単純には比べられないだろう。


 とはいえ成績以上に、おれと椎名にははっきりとした差がある。

 それは、身長。


 おれの身長は中2からまったく伸びていない、152.5cmのまま。高校一年生の男子としては、相当低いと思う。学年で一番低い。

 もしかしたら、学校で一番かもしれない。


 椎名は、どのくらいだろう。180cmを超えているかもしれない。少なくともクラスでは一番高い。

 と、ここで、前の席の海老原えびはらが、


「ねえ、若菜くん。本当に前の席じゃなくていい? 黒板見える〜?」


 声をかけてきた。

 別に海老原は、おれをバカにしてるわけじゃない。髪を染めてチャラ男みたいに見えるけど、話してみるといいヤツだ。

 ちなみに成績はクラスで一番だ。首席合格だったらしい。


 海老原は本気で、おれが黒板が見えてるのかどうか心配してるんだろう。自分の背中がおれの視界をジャマしていないか、気になってるんだ。

 おれが「大丈夫だよ、見えてる」と返す前に、


「やめろ! 海老原ッ」


 椎名が強い口調で返す。

 海老原はおれの低身長をバカにしたわけじゃない。バカにしてるように聞こえたかもしれないけど、それは海老原がそういう口調なだけだ。


 確かに海老原って、他人をバカにしているような口調なんだよな。

 それに勉強しなくても成績優秀系男子だし、他人を見下しているように思われてしまう。そういうところで損をしているやつだ。

 だけどちゃんと話せばわかる。こいつはいいやつだ。少なくとも、おれの身長をパカにしたことはない。むしろ気にかけてくれている。


「椎名。なんでお前が怒るんだよ。おれが海老原の背中で、黒板見えてなかったらどうするんだ」


 おれは椎名を落ち着かせる。

 なんでこいつは、おれの保護者気取りなんだ?


「見えないのか?」


 椎名の確認に、


「いや、見えてるけど」


 事実をつげる。

 海老原には、


「ごめん、海老原。椎名はおれの保護者気取ってるみたいでさ。黒板はちゃんと見えてる、大丈夫だよ。気にしてくれてありがとうな」


 感謝をつたえた。


「そっか、ならいいんだ。椎名くん、僕こんな喋りかただからさー、若菜くんの身長を笑いものにしたつもりなかったんだけど、そう聞こえちゃったよね? ごめんねー」


 ニヤけてるように見えるけど、海老原はちゃんと謝罪をする。

 やっぱこいつ、いいヤツだ。勉強しなくても成績いいのは、ちょいむかつくけど。


「椎名」


 おれはうながす。椎名にはそれでわかるはずだ。


「オレもごめん、悪かった」


 うん。これでよし。


 わたしのために争わないでっ! ってやつだよな。

 面倒くさ。ここ、男子校だぜ?


 そう、椎名はちょい面倒くさいやつなんだ。

 でも今のおれにとっては、一番の友達だけど。

 おれが椎名と最初に会話らしい会話をしたのは、入学して十日目くらいだったと思う。


 その日の昼休み、おれは教室の自分の席でパンを食べていた。今もおれの昼食は、だいたい購買のパンと牛乳だ。

 そのとき教室に人はまばらで、おれを含めて5人しかいなかった。そこに椎名の姿はなかったけど、おれが1個目のパンを食べ終わったとき、


「陸上、やめたのか」


 横から声をかけられた。

 まともに話したことはないけど、誰かくらいはわかった。

 クラスメイトの椎名だ。クラスで一番背が高くて、すごく目立っている。

 おれが首をかしげて、強く視線をぶつけてやると、


「陸上部に入ってこないから」


 椎名は困ったような顔をした。


「おれのこと、しってるの?」


白松しらまつちゅうの若菜だろ? 短距離の」


 そう……だけど?


「おれ、お前のことしらない。あ、いや、しってるよ。クラスメイトの椎名だろ? それしかわからない」


 だけど、なぜこいつがおれをしっているかは、なんとなく予想がついた。こいつは、どこかの中学の陸上部員だったんだろう。


「オレ、中学でも陸上やってた。四野しのちゅうだよ。長距離だったし、若菜みたいに目立った成績が残せたわけじゃないから、しらないのは当然だけど」


 説明してくれた椎名におれは、


「タイムが、伸びなくなったんだよ。身長と一緒に」


 意識してつまらなそうな口調で、そうつげた。


 こいつも陸上経験者なら、陸上競技に身長がどれほど大切かはわかるはずだ。

 平均値に収まってるなら、多少小さくてもいい。でもおれは違う。平均以下だ。

 椎名は、


「そうか」


 とだけ。それ以外おれにつたえる言葉がないのを、こいつにはわかったんだ。


「続けられるだけ、続ければいいじゃないか」


 そういわないだけ、こいつはまともだ。


 勝ちたいからやるんだ。

 陸上競技は趣味でやるもんじゃない。少なくとおれにとっては。


 楽しいからやるヤツ。結果が欲しいから立ちむかえるヤツ。

 おれは後者だし、椎名もおれの考えは理解できるんだろう。


 おれは、速かったんだ。


 過去の栄光なのはわかっている。だからといって、忘れられるわけないだろ。

 自分よりも背の高いヤツを置き去りにして、1番でゴールに飛びこむあの快感を。


 話は終わったのか、椎名はおれの前の席……海老原の席に座って、焼きそばパンを食べ始めた。

 おれは、メロンパンの袋を開けて食べた。

 おれたちはなにも話すことなく、ただパンを食べた。

 パンを食べ終わると椎名は、


「オレは椎名ユウジ。よろしく、若菜くん」


 立ち上がって自己紹介。

 おれは、正直自分の名前は嫌いだからつげたくなかったけど、たぶんこいつはおれのフルネームをしっている。

 中学の頃のおれは、表彰台でフルネームを呼ばれることが何度もあったから。


「若菜スミレだ。よろしく、椎名ユウジくん」


 ただでさえ女の子みたいな顔をしてるのに、名前も女の子みたいだから、小学生の頃おれはよく女子と間違われた。中学でだって間違われたこともある。

 だから子どもの頃のおれは、この顔も名前も嫌いだった。


 最近では顔は……そうでもない。男っぽくゴツゴツしてないし、中性的で美形といえなくない。でも名前は嫌いなままだ。


 と、こんな感じでおれは椎名と知り合いになり、おれたちが友人関係を構築するまでに、それほど時間はかからなかった。

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