独り身は気楽だと仕事に打ち込んでいたら、婚約者である強面騎士団長の様子がおかしいのですが

shinobu | 偲 凪生

第1話

★ ★ ★



「あらあら、どうしましょうね」


 わたくしは、頬に手を当てて首をかしげてみせました。


 婚約者であるジョシュア様・グレンヴィル公爵令息は、この国の騎士団長。

 魔物の森へ遠征に行かれて数ヶ月経ちますが、どうやら、任務を終えて凱旋されるそうです。


 たった今受け取った手紙には、そのようにしたためられていました。


 わたくし、シャーロット・スタンホープ伯爵令嬢と、ジョシュア様は親同士が決めた許婚です。

 わたくしは十八歳。

 ジョシュア様は二十三歳、だったはず。


 現在、ジョシュア様は騎士団長として任務に忙しく、ジョシュア様が五年前に王立学院を卒業してからは、顔を合わせる機会がほとんどありません。


 夜会に参加したのは指折り数える程度。

 しかもジョシュア様は華やかな場がお好きではないため、ファーストダンスも嫌々踊られるのです。

 無理強いさせてはいけないと思い、私の方から参加を断ることにしました。

 騎士団長として国のために日々命をかけてくださっているのですから、任務以外のことで嫌な想いをさせたくはありません。


 一方のわたくしは、お父様が出資するレッドダイヤモンド商会に経理として勤めています。

 この商会はわたくしのお母様の実家でもあります。

 レッドダイヤモンド商会では主に騎士団が討伐した魔物の鱗や骨、内臓などを取り扱っています。それらは加工されて、騎士や冒険者、労働者用の武器や防具へと生まれ変わります。


 お母様も独身の頃は自ら狩りに出かける冒険者だったようで、武勇伝は枚挙にいとまがないそうです。


 ――そんなお母様に似たのでしょうか?


 わたくしも、ひとりで行動するのがとても好きなのです。

 休日のささやかな楽しみといえば、流行のカフェで新作のスイーツを味わうこと。


 だから、婚約者と会う時間がない方が気が楽……いえ、ちっとも困らないのです(あら? これでは同じ言い回しのままかしら?)。


「考えたって仕方ありませんわね。どのみちジョシュア様は騎士団のお仕事が忙しいでしょうし。そんなことより」


 わたくしはお気に入りの帽子をかぶりました。

 姿見の前で一回転すると、同じくお気に入りのワンピースの裾がふわりと揺れます。わたくしの大好きなペールグリーン。


「いつも通り、お休みを満喫するとしましょう♪」



★ ★ ★



「んんっ、いちごのみずみずしさはさることながら、カスタードクリームの風味とタルトの焼き具合も最高ですね!」


 どうして美味しいものを食べると、足がじたばたしてしまうんでしょう。

 淑女らしからぬ仕草にはなりますが、テーブルの下で誰にも見られていないので、問題はありません。


 雲ひとつない快晴です。


 お気に入りのカフェのテラス席は川沿い。

 穏やかに流れる川面は、陽の光を受けてまるで宝石のようにきらきらと煌めいています。

 風も爽やか。


 ひとりで過ごす時間は、本当に気楽です。

 友人とのお茶も楽しいですが、自分のペースで好きなものを食べられるというのもまた、幸せなのです。


 もちろん、護衛の方が遠くから監視してくださっています。

 わたくしが自由に過ごせるのは彼らのおかげ。いつも感謝しています。


 続いて紅茶も堪能していると、チーフパティシエがわたくしの席に近づいてきて、恭しく頭を下げてきました。


「スタンホープ伯爵令嬢様、いつもありがとうございます」

「とんでもないですわ。こちらこそ、いつも美味しいものをありがとうございます」


 わたくしは満面の笑みで答えます。

 すると、パティシエも表情を緩めました。


「新作のいちごタルトでございますが、隠し味にお気づきでしょうか」

「もしかして、カスタードクリームが卵黄ではなく全卵で作られているのかしら?」

「よくぞお気づきで! 流石でございます。卵黄のみで作るカスタードは濃厚ですが、――」


 パティシエによる新作タルトのこだわりを、ふんふんと頷きながら聞きます。

 うんちくを教えてもらうのも楽しみのひとつです。


 テラス席はほとんどがカップルで埋まっています。

 おひとりさまなのはわたくしだけ。

 しかし誰も気にしていないのは、わたくしの婚約者が誰かを皆が知っているからです。

 ジョシュア様をはじめとした騎士団の方々は、現在、魔物の森で人間に害なす魔物を退治しているということを。


 わたくしの暮らすウェーランド王国が平和を保っていられるのは、隣国と平和協定を結び、共に定期的な魔物討伐を行っているからだそうです。

 つまりジョシュア様たちが前線で頑張られているおかげで、わたくしは、こうしていちごのタルトを堪能できているという訳です。ありがたいことです。


 ふくよかな香りの紅茶もいただき、すっかり満たされたところで、わたくしはカフェを後にしました。

 街路樹は鮮やかな葉を茂らせ、風で静かに揺られています。

 行き交う人々は楽しそうにおしゃべり。

 道端では猫があくびをしていました。


 そのままわたくしは石畳でできた通りをゆっくりと歩きます。

 このトゥインクル通りは、顧客に貴族が多い王都の一等地です。つまり、流行の発信源。

 時々店舗に入って帽子や靴を眺めたり、次に流行りそうな食べ物をチェックしたりするのも、休日の楽しみのひとつです。


「あら?」


 ふとわたくしは気づきました。

 道行く女性の胸元に輝くのは、きらきら眩しいペンダント。

 どうやら透明感のあるペンダントが、今のトレンドのようです。


「そうですわ。どうして今まで考えなかったのかしら?」


 金銀や貴石ではなく、魔物の鱗や骨でペンダントのチャームを作ってみたらおもしろいのでは!?


 思い立ったが吉日、というのは元冒険者であるお母様の口癖です。

 わたくしはすぐさまレッドダイヤモンド商会へ向かいました。


 驚いた顔をして受付係がわたくしを出迎えます。


「シャーロット様、どうされたのですか?」

「今日はお休みではなかったのですか、お嬢様」


 わたくしははやる気持ちを抑えて、にっこりと微笑みました。


「えぇ、休日ですわ。ところで研磨された魔物の骨はあるかしら?」

「はい。ちょうど研ぎ師から届いたばかりですが……」

「特上の物を用意してくださる? 新しいビジネスの予感がするんですの」


 使用するのは研磨した魔物の骨。

 カッターと呼ばれる裁断係に依頼すると、快く引き受けてくれました。


「お嬢様。こんなんでいかがですか?」

「まぁ! すばらしいですわ!」


 きゅんっと胸の高鳴る音が聞こえたような気がしました。

 わたくしのてのひらには、ハート形のチャーム。

 虹色に光るパール、というのが近い表現でしょうか。見る角度を変えると、無限大に色が広がります。


「ふふ……いつまでも眺めていられそうです……」


 想像通り、いえ、想像以上です。

 わくわくしてきました。


 鱗はいい加工技術がなく、まだ試行錯誤が続きそうです。


「トゥインクル通りに出店できるよう、事業計画を練ってお父様へ提出しましょう♪」


 経理と合わせて業務は二倍になりましたが、ちっとも苦ではありません。


 そんなわたくしはすっかり忘れていたのです。

 婚約者であるジョシュア様がもうすぐ凱旋することを!

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