第47話 嫉妬と牽制(後編)
「どうやら救助は終わったようですね。子供は二人とも無事なようです」
兵の言葉に、アレクシスは欄干から下――五十メートルほど下流の土手に目を凝らす。
すると確かに、土手の比較的平らなところに兵たちが集まって、何やら盛り上がっていた。
声までは聞こえないが、あの様子からすると死者や重傷者がいないことは確かだろう。
アレクシスはひとまず安堵したが、とはいえ、念の為自分でも状況を確認しておきたい。
そう考えたアレクシスは、ひとり土手を下り、兵たちの元へ向かっていった。
二年ぶりに再会するリアムに、何と言葉をかければいいだろうか。上官として、『よくやった』と褒めてやらねばならないだろうか――と考えながら。
けれど、その思いは一瞬にして消え失せてしまった。
そこにエリスの姿を見つけたからだ。
「…………!」
兵たちの中心にいたのは、リアムに背中を支えられ、子供二人を抱き締めているエリスの姿。
(エリス……? なぜここに。それに、その姿は……)
びりびりに引き裂かれたドレスの裾。全身から
前髪は額にべったりと張り付き、水を吸った服は、エリスの身体のラインをあられもなく強調している。
それによく見れば、ところどころ肌が擦り剝けて赤く滲んでいた。
朝自分を送り出してくれたときとはまるで別人のように、痛々しいエリスの姿。
それを目の当たりにしたアレクシスは、全身からさぁっと血の気が引くのを感じた。
(いったい、これはどういうことだ?)
アレクシスは混乱した。
つまり、子供を助けようとして飛び込んだ婦人というのはエリスのことだったのだろう――が、そもそも、どうしてエリスがこのような場所にいるのだろうか。
安全な広場の中にいるはずの彼女が、なぜ川に飛び込むような危険なことをしているのか。
――それに……。
(リアム・ルクレール……どうして、お前がそこにいる?)
なぜお前が、彼女の隣に立っている?
そんなに優しそうな顔をして――なぜ、彼女に触れている? なぜお前が、エリスの肩を抱いているんだ……?
茫然と立ち竦むアレクシスの視線の先で、リアムがエリスの耳元でそっと何かを囁いた。
それに答えるように、エリスの唇が動く。「そんな……いけません、
「……ッ!」
声は聞こえなかった。けれど、確かにエリスの唇は「リアム」と――そう動いていた。
(ハッ……、「
刹那、アレクシスの中に沸き上がったのは猛烈な怒りだった。
嫉妬、憤怒、焦燥――そういったものがアレクシスの中に渦巻いて、全ての理性を奪っていった。
アレクシスは無理やり兵たちを押しのけリアムの背後に立つと、一瞬のうちにリアムの腕を
「お前、いったい誰の許可を得て、俺の妃に触れている?」
そう低い声で威嚇した。
するとリアムは痛みに顔を歪ませて背後を振り返り――次の瞬間には、驚きに目を見開く。
「殿下……?」と呆気にとられたように呟いて、更に遅れて、「……妃?」と疑問を零す。
それもそのはず。
リアムは、エリスがアレクシスの妃であることも、何なら「エリス」という名前でさえ、聞いていないのだから。
――リアムだけではない。この場の兵の誰一人として、エリスがアレクシスの妃であることを知る者はいなかった。
そもそも皇子妃というのは、夫である皇子以外の男性に顔を晒すことをよしとされない。
舞踏会や夜会は別として、プライベートでの男性との付き合いなど言語道断である。
つまり、リアムを除いて全員が平民出身であるこの場の兵たちは、エリスの顔を知らないのだ。
もちろんアレクシスとて、そのことはよく理解していた。
それに今のリアムの反応からも、エリスが皇子妃であることを知らなかったことは明白だ。
けれどそれでも、アレクシスは許せなかった。
エリスがリアムの名前を呼んだという――些細な事実が。
アレクシスは、突然の展開に驚いているエリスの腕を引き寄せて、自身の腕の中に閉じ込める。
そしてリアムを真っ向から睨みつけ、明言する。
「これは俺の妃だ。お前が気安く手を触れていい女ではない」
「……!」
よもや、アレクシスの口から絶対に出ないような言葉に、そして彼の全身からほとばしる強い殺気に、リアムはごくりと息を呑んだ。
周りの兵たちも、子供二人も、アレクシスの剣幕に茫然自失していた。
まるでここが戦場であるかのような緊迫感。
そういう空気が、この場の全てを支配していた。
何一つ言い返せないリアムを放置し、アレクシスはエリスを問答無用で抱きかかえる。
そしてリアムに背を向けると、冷めた声で言い放った。
「リアム、これだけは言っておく。俺はオリビアを妃に迎えるつもりは毛頭ない。――よく覚えておけ」
「……ッ」
この言葉に、再びぐっと息を呑むリアム。
そんなリアムを残し、アレクシスはエリスを腕に抱いたまま、その場を後にした。
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