第39話 アレクシスの決意
その夜、夕食を終えた時間帯。
巨大な絵画や重厚な家具を配したリビングで、エリスはお茶を入れていた。
疲れた様子を見せるアレクシスの、せめてもの気分転換になればと思ったからである。
(セドリック様は気にしなくていいと仰っていたけれど……)
ティーワゴンでお茶を用意するエリスの向こうには、ソファで項垂れるアレクシスの姿。
その、いつになく物憂げな様子のアレクシスを、エリスはどうしても放っておけなかった。
(食事も残されていたのよね。こんなこと、初めてだわ)
――エリスは、夕方のことを思い出す。
図書館から帰宅したエリスがさっそく本を読んでいると、アレクシスがセドリックを伴って、いつもより一時間も早く帰宅した。
侍女からその知らせを聞いたエリスは、心の底から驚いた。
なぜなら今まで一度だって、アレクシスが仕事を途中で切り上げて帰ってきたことはなかったからだ。
エリスは急いで身支度を整え、出迎えに走った。
すると、アレクシスの様子がどうもおかしい。朝と比べ、明らかに顔色が悪いのだ。
もしや身体の具合が良くないのだろうか――心配になって尋ねてみるが、そんなことはないと言う。
セドリックに聞いても「身体は全くもって健康ですから、ご心配なさらず」と答えるだけだった。
けれど実際に、アレクシスの様子がおかしいのは事実である。
夕食中はずっと上の空で、いつもなら決して残さない夕食を残し、最近は必ず聞いてくる「今日は何をして過ごしていたんだ?」という問いかけすらしてこない。
そんな状態のアレクシスを、放っておけるわけがない。――そう思うくらいには、エリスはアレクシスに情を抱いていた。
(きっとお仕事のことでお悩みなんだわ。だとしたら、わたしにできることは限られているけれど……)
悩んだ末に、エリスはアレクシスをお茶に誘うことにした。断られることを覚悟して。
だがアレクシスは一瞬ためらう様子を見せたものの、すぐに誘いを受けたのである。
「殿下、こちらカモミールティーですわ。リラックス効果や安眠効果がありますの。少しは気分が安らぐかと」
「ああ、……いただこう」
エリスが声をかけると、アレクシスはどこか緊張した面持ちで、テーブルの上のカップを持ち上げる。
そして一口含むと、ほっと息を吐いた。どうやら口に合ったようだ。
エリスは安堵しながら、反対側のソファに腰を下ろし、目の前のアレクシスを見つめる。
「あの、殿下。差し出がましいことを申しますが……」
「……?」
「もし、もしわたくしにできることがあるなら、何でも仰ってください。こうしてお茶を入れるでも、お話を聞くでも……殿下の憂いを取り除くお手伝いを、させていただきたく存じます」
「――っ!」
刹那、アレクシスはハッと息を呑んだ。
相変わらず表情は読めなかったが、少なくとも、驚いているのは確かだった。
(殿下は、どうしてこんなに驚いているのかしら)
エリスからしたら、悩んでいる者に手を差し伸べるのは当然のこと。
だから、アレクシスがこれほどまでに驚く理由がわからなかった。
けれど言われた方のアレクシスは、『嫌いな男に茶を振る舞うだけでなく、そんなに優しい言葉をかけるなんて、君は女神か何かなのか』などと思っていた。
そんなアレクシスの考えなど露知らず、エリスはアレクシスに微笑みかける。
その温かな眼差しに、アレクシスは決意した。
「ならば、一つだけ尋ねていいか?」――と。
エリスが頷くと、アレクシスは瞳に不安の色を滲ませながら、こう問いかける。
「君は、どうして俺に優しくする? 俺のことを恐れているんじゃないのか?」
「……え?」
エリスはとても驚いた。
まさかそんなことを聞かれるとは思ってもみなかったからだ。
そもそもエリスは、女性嫌いのアレクシスが自分に興味を持つなど有り得ないと考えていた。
当然、アレクシスが今の様な――自分のことを気に掛けた――問いをしてくることなど、想像もしていなかった。
(いったいどうして、そんなことをお聞きになるのかしら)
エリスにはわからなかった。
アレクシスの質問の意味も、意図も。アレクシスが自分をどう思って、そんなことを聞いてくるのかも。
けれど、質問に対する答えだけは決まっている。
「確かに殿下の仰る通り、わたくしは最初、殿下のことを恐ろしい方だと思っておりました。でも、今は少しも怖くありませんわ」
「……! だが……俺は君に酷いことを……。それを君は許すというのか?」
「許す許さないということなら、もうとっくに許しております。だって、殿下にも事情がおありになったのでしょう? それに今は、こんなに良くしていただいておりますもの」
「……それが、君の本心だと……?」
「はい、紛れもなく本心にございます。それにわたくしは、別に殿下にだけ特別優しくしているつもりはありませんのよ。だって、困っている方がいたら力になって差し上げたいと思うのは、人として当然のことですもの」
「……っ」
するとその言葉が何か気に障ったのか、アレクシスの瞼がぴくりと震えた。――流石に言い過ぎただろうか。
「あの、申し訳ございません、出過ぎたことを……」
「いや、いい。君の言うことは正しい。……俺の方こそ、いつまでも過去に囚われて逃げてばかりだ」
「……?」
本当に、今日のアレクシスはどうしたのだろうか。
どんな強敵にも怯まず立ち向かっていく男の言葉とは、とても思えない。
ますます心配になったエリスを尻目に、アレクシスは残りのお茶を一気に飲み干し、最後に――と言った風に口を開いた。
「今度の建国祭のあと、君に話したいことがある。時間を取ってもらいたい」
「お話ですか? わたくしでしたら、別に今からでも……」
「いや。今夜はもう遅い。――それに、俺にも心の準備が……」
「?」
(そんなに大事なお話なのかしら……)
いよいよ困惑を極めるエリスを一瞥し、アレクシスは立ち上がる。
そしてお茶の礼を言い残すと、そのまま部屋から出ていったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます