第29話 消えたエリス

 同じ頃、アレクシスはセドリックと共に東側の廊下を足早に進んでいた。

 その顔を、強い苛立ちに染めて――。



 ことは数分前に遡る。


 アレクシスが他国の軍事関係者と話をしていていると、マリアンヌが血相を変えてやってきた。

 そして「エリスがいなくなった」と言うのだ。


 詳しい説明を求めると、マリアンヌはこのように話した。


 お花を摘みにいって戻る途中、東側の廊下をエリスと思われる女性が歩いていた。

 その女性は、他国の衣装を着た男と一緒だった。追いかけたようとしたが、東側の廊下に着いたときには既にいなくなった後だった――と。


 マリアンヌはそれが人違いだった可能性も考慮し、会場に戻ったあと一通りエリスの姿を探したという。

 けれど、どこにもいないのだ、と。


 それを聞いたアレクシスが、今度は廊下で見たという男の特徴を尋ねると、「銀色の髪の男」だったと返ってくる。


 その答えに、アレクシスは確信した。エリスを連れ出したのは、ジークフリートに違いない、と。



「いったいあの男は何がしたいんだ。――セドリック、お前はどう思う?」


 アレクシスは、自分の斜め後ろを歩くセドリックの意見を求める。

 けれど流石のセドリックも、これには何の考えも浮かばないようだった。


「わかりかねます。ジークフリート殿下とエリス様の間に、特に面識はないはずですし」

「となると、またあいつの悪い癖か?」

「ああ、例の……」

「あの男は"他人の欲望を知りたがる"癖がある。その上、悪気なくそれを叶えてやろうとするからな。エリスから俺の情報を聞き出すなんてことは、流石にしないだろうが……厄介だな」



 アレクシスの知る限り、ジークフリートという人間は基本的には善人だ。


 性格は軽いところがあるが、人を思いやる心があるし、他人に悪意をぶつけたり、見下すといったこともない。王族にありがちな傲慢さも持っていない。


 だが一つだけ、どうにも困ったところがあった。


 それは、"他人の願いや欲望を知りたがるところ"。そしてそれが彼自身の理にかなっていると思えば、多少強引な手を使ってでも実際に叶えてしまうところだった。



(あの男は毒だ。……それも、猛毒だ)


 人間誰しも心の中に欲望を秘めている。それを、ジークフリートは叶えてしまう。

 すると叶えられた人間はどうなるか。


 望みを叶えてもらったことに恩を感じ、それが繰り返されることで次第に陶酔していくようになる。

 あるいは、一部の者は弱みを握られたと思い、逆らえなくなる。


 どちらにせよ、ジークフリートから離れられなくなるのは同じだ。


 実際アレクシスも留学中、ランデル王国で"思い出のエリス"を探しているときにジークフリートに声をかけられたことがある。

 “人探しなら僕が手伝おう。すぐに見つけてあげるよ”――と。


 アレクシスはきっぱり断ったが、それが返ってジークフリートの興味を引いてしまったのか。

 その後卒業するまで、ジークフリートにまとわりつかれる羽目になった。


 まぁ、アレクシスは徹底的に無視を続けたのだが。


 ――とは言え、これらは全て四年以上も前のことだ。今のジークフリートが当時と同じであるとは限らない。


 だからアレクシスは油断していたのだ。四年も経てばその悪癖も多少は収まっているのではないか、と。


 だが実際はこの有り様だ。

 ジークフリートの目的がわからないとはいえ、アレクシスに何の断りもなくエリスを連れ出したとなると、あまりいい状況ではないだろう。




(ランデル王国の重臣たちは何をやっているんだ。自国に閉じ込めておけばいいものを)


 アレクシスはぐっと拳を握りしめる。

 


 ――すると、そのときだった。 

 廊下の先の角から足音が聞こえ、一人の男が姿を現す。


 光り輝く銀髪に、青みがかった灰色の瞳。四年前と変わらぬスラっとした細身の体躯。

 それは紛れもなく、ジークフリート本人だった。


「……ジークフリート」


 その姿が視界に入るや否や、アレクシスは眉間に大きく皺を寄せた。

 すると向こうもアレクシスに気が付いて、意味深に目を細める。


 その唇が薄く笑み、よく通るテノールの声がアレクシスの名を呼んだ。


「やあ、久しぶりだね、アレクシス。元気だったかい?」

「…………」


 何ともありきたりな挨拶だ。もしエリスのことさえなければ、アレクシスとて普通に返事をしただろう。

 けれど、今だけは無理だった。


 アレクシスはジークフリートの眼前に立ち、あからさまに敵意を漏らす。


「お前、エリスを知らないか?」と。


 だがジークフリートは怯まない。

 どころか、どこか困ったように眉を下げ、一層口角を上げたのだ。


「彼女は僕が預かった――って言ったら、君は怒るかい?」

「――何?」


 挑発するような物言いに、アレクシスの瞼がピクリと痙攣する。

 セドリックは、いつアレクシスがぶちぎれるかと思うと気が気ではなかった。


 ジークフリートは平然と言葉を続ける。


「ああ、すまない。本当に怒らせるつもりはないんだ。僕はただ、頼まれて君を呼びにきただけ。君に会いたいっていう人がいてね。だから、そんなに怖い顔をしないでくれ」

「頼まれた? 誰からだ。エリスもそこにいるのか?」

「ああ、彼女もそこにいる。一緒に来てくれるだろう?」

「…………」


 なんだかよくわからないが、つまり自分に会いたいという者がいて、そのせいでエリスは連れていかれたということだろうか。


 正直まだ的を得ないが、これ以上尋ねてもジークフリートは答えないだろう。


(どちらにせよ、そこにエリスがいるなら行かない選択肢はない)


 アレクシスはセドリックと目を合わせ頷き合うと、ジークフリートの後を追って中庭へと向かった。

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