第15話

 「前橋少佐」


 私は彼の横顔を見つめながら訊ねた。


 「なぜ私を助けてくれるの?」


 前橋は、いつものように私の質問を受け流しながら言った。


 「お前の母親は、かつて一度その潜在能力を覚醒させた。彼女が戦ったのは一大隊500名だ」


 その言葉に、私は衝撃を受けて彼を見つめた。


 「辻政信、『悪魔の参謀』として知られる男がいてな、そいつの作戦は往々にして欠陥だらけで、功名心のために多くの将兵が犠牲になった」


 前橋は、顔をわずかにしかめながら言った。


 「1939年のノモンハン事件がその好例だ。こいつのバカな作戦のせいで、多くの命が無駄に戦場に散った」


 彼は続けた。


 「しかし、さらに悪いことに、辻はその時、他にも欠陥だらけの作戦を立てていた。中央アジアに点在する日本軍の協力者を使って、お前の王国を攻撃させたんだ。当時、日本はソ連との戦争に備えて中国侵略に乗り出していた。その同時期に、辻はお前の王国のヘロイン貿易から利益を奪い取ろうとし、協力者たちにお前の王国を攻撃させた」


 前橋少佐は淡々と語り続けた。


 「その時、お前の王国が侵略の危機に直面した。当然、お前の国の軍も動こうとした。しかし、おそらく自国の兵士に血を流させたくなかったお前の母親は、ネックレスを使って能力を目覚めさせた。彼女は死の淵に追いやられるほどの傷を負いながらも、一人で一大隊を壊滅させた。おそらく、これは日本を含む列強への脅迫も意味していただろう。一人の女によって一大隊が壊滅させられた事実は、列強を大いに脅かしたに違いない」


 私はその時、まだ八歳だった。幼い記憶の中で、母がベッドに横たわり、医者が「今夜が峠だ」と告げた瞬間のことがかすかに残っている。私の心は痛み、涙が止まらなかった。母が再び元気を取り戻すように、懸命に祈り続けた。不思議なことに、母は生還したが、なぜ彼女がそこまで追い込まれなければならなかったのか、その理由が私には理解できなかった。


 「気づいたか」


 前橋が突然、重い口調で言った。


 「お前は先の事件で、深い傷から驚くほど早く立ち直った。おそらく、お前の王家に伝わる力は傷を治す力も驚異的に高まるのだろう。しかしだ、その力をもってしても、お前の母親はその時に瀕死の重傷を負った。この事実から導き出される結論は一つ。訓練なしには――もちろんそんな訓練を勧めるわけではないが――お前の力を使った殺傷能力は制限があり、500人前後を相手にする程度が能力の限界ではないかということだ。残念ながら、やや身体能力が衰えてくる年齢だったこともあり、驚異的な回復能力を上回る多くの傷を敵から負ったようで、最終的には死の淵に追いやられたというわけだ」


 前橋の言葉を聞きながら、私はその背後に潜む真実と私の力の意味に思いを馳せた。彼の言葉は私の心を深く突き刺し、その影響力が恐ろしくもあり、同時に勇気を与えるものであると感じた。


 「もう一つ話しておくべきことは」


 前橋は続けた。


 「なぜお前の王国は滅びたのかだ」


 彼は少し間を置いてから語り始めた。


 「お前の槍の師匠から聞いているだろうが、お前の母親は歴史的に長く続いた麻薬取引を中止しようとした」


 彼の言葉には冷静な強さがあった。


 「影響力のある大貴族をはじめ、臣下のほとんどはその決定に反対した。しかし、お前の母親は人道に反するこの取引を続けることに耐えられなかった。悲劇的なことだが、お前の母親は臣下に裏切られ、暗殺された。これによって後継者争いの内紛が勃発し、その混乱に乗じて列強諸国が王国のヘロイン取引の利益を手に入れようと、一斉に侵略を開始したというわけだ」


 「でも――」


 私は言葉を詰まらせながら尋ねた。


 「どうして母様は力を使わなかったの?もしネックレスを使って力を目覚めさせたら、そんな裏切りにも対処できたんじゃないのかな」


 私の問いに、前橋は冷静な顔を保ちながらも、その目にはどこか哀愁の色が浮かんでいた。


 「様々な情報を読み解く限り、お前の母親はどこまでも優しかったようだな。その優しさから、国民からは『天使の女王』と呼ばれていたと。その優しさがヘロイン取引をやめる決断を行ったのと同時に、臣下に裏切られて命を落とす結果になったんだろうと思う」


 前橋は説明を続けた。その声音には確信と深い哀しみが混じっていた。


 「俺たち軍人は、一人を殺すことで千人を助けられるなら、ためらいなくその一人を殺す。だが、お前の母親は、たとえそれが戦乱を防ぎ、何千、何万の命を救う結果となるとしても、目の前にいる、愛する家臣たちの命を奪うことができなかった。彼女の優しさが、そのまま命取りとなった――そんなところだろう」


 その言葉は、まるで冷たい風が胸に突き刺さるような感覚をもたらした。前橋の話を聞くうちに、私は母の強さと優しさ、そしてそれがもたらした悲劇の深さに思いを馳せることとなった。母の意志とその代償の大きさが、私の心に重くのしかかっていた。

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