ねむけ

私は画家だ。たった今、私の目の前に中性的な見た目をした華奢な子供が一人。その子はまだ未成熟な、そんな様子が私にもわかった。彼は(とりあえず彼と呼ぶことにした)私の描いた絵をじっと見つめていた。私は画家を生業とした、一人の人間だ。私は展示会最終日のこの日に画家として生きるのをやめようと思っていた。何故かって?もちろん売れなくなったからだ。ここはとある建物の展示会場。人も多く、流れも速い。そんな中で絵を見ようと止まっている人たち。そんな中、彼の姿が私の目に止まった。

「作者のものです。この作品気に入って頂けましたか?良かったら他のも見ていってください。」

私は彼に声をかけた。彼は真っ直ぐこちらの目を見て言った。

「あの、急なお願いなんですが、五年、五年待っててくれませんか。僕が二十歳になるまで。あなたの作品を買いたいんです。まだ学生でお金無くて、社会人になったら買いに来てもいいですか?」

私は唖然した。私は今日の展示会をもって、画家を辞めようとしていたのに。彼に心を見透かされたような気がして驚きを隠せなかった。「えっ?」と腑抜けた声で反応した。思わず目をそらす。

「でも、私今回の展示でやめようと思ってるんですよ。申し訳ないですが、その願いを叶えることは…」

そこまで言いかけ口を閉じた。その真っ直ぐ見つめる純粋無垢な瞳に、その言葉をかけるのはあまりにも無慈悲だと思ったからだ。だが、もう決めたことだと心に再度聞く。彼が言った。

「お願いします。約束は破りません。どうか僕の願いを叶えてくれませんか。余命宣告をされた僕の友人に買ってあげたいんです。どうか…」

深々とお辞儀をした彼が、涙を溢れさせそうにしてこちらを見直す。さすがの私も骨が折れた。一人の人間のために、ここまで心が動いたのは久しぶりだ。

「僕の名前は陽向(ひなた)です。あなたは?」

私は自分の名前を名乗る。五年。本当に私はそんな長い時間を待つことが出来るのだろうか。とりあえず彼に名刺を渡しその日は帰って行った。

次の日、私は後悔した。あんな約束しなきゃ良かった。絵を描くことはもちろん好きだが、あと五年この生活をしなくてはいけないのだと考えると腰が重くなった。絵が思ったように売れないため、貧乏なのである。まぁ約束した以上、破るのも可哀想なので今日も明日も画室に籠って絵を描くことにしよう。私は次の展示に向け、準備を進めた。

約一ヶ月後、展示会の日がやってきた。憂鬱だ。何故やりたくもない展示会の準備をしているのかと、何度自問自答したか。はぁ…思わずため息がこぼれる。「だめだ!こんな気持ちでやっていたら誰も買ってくれない。」と自分に言い聞かせ、会場に向き直った。「あっ…。」そこに彼がいた。そしたら彼がこちらを見て、にこってしてきた。私は頭にはてなを浮かべつつ彼に会釈を返した。何故来たんだ?五年後に来るって…。彼のことをしばらく見ていたら、彼がこちらに歩いてきた。

「こんにちは。来ちゃいました。あなたが続けてるかどうか確かめたくて。嬉しいです。そうだ!SNSとかやってますか?良かったら教えてください。」

私は未だ頭にはてなをうかべたまま、私が画家として活動を始めた時に作ったアカウントを教えた。彼は、私がアカウントを教えたあと、可愛らしい笑顔をうかべ、それではと帰ってしまった。はぁと息をついた。彼は何を考えてるかわからない。とりあえずあと一週間頑張らないと、と自分に喝を入れた。

また一ヶ月後。「あれ?」またいる。そのまた一ヶ月後。二ヶ月後、三ヶ月後彼は毎回のように私が出ている展示会に顔を出しては目を合し、会釈をしてきた。私はSNSに展示会のお知らせを出すようにしている。それを見て来ているのだろう。やはり、彼の考えてる事は分からない。五年後に買いに来ると言いつつ、毎回のように来てる。まぁいい、それまでの関係だ。私は私の仕事を全うするまでである。

画家として活動し始めて、何年が経ち、彼と出会って三年ほど経った頃。私は画家、イラストレーターとして、そこそこ依頼での仕事が増え、月収もそこそこ。彼は展示に来なくなった。彼はきっと高校生だから忙しいのだろう、そう自分に言い聞かせた。私はその後、何枚も何枚も絵を描いた。描き続けた。けれど、絵は売れても、満足感だけは埋まることはなかった。何かが足りない。楽しくない。次第に絵を描かなくなった。絵を描く意義が分からなくなってしまった。家の画室に閉じこもり、毎日毎日ぼーっとして過ごした。私は酷い喪失感に囚われた。私の絵は、感情が抜けてしまったかのようなものしか描けなくなってしまった。バイトをしつつ、一年と半分くらい経とうとしていた。私はふと、彼との約束を思い出す。五年後、絵を売ると約束した彼。約束破ってしまったな、申し訳ない。明後日は、私が画家をやめようとした日、私の誕生日だ。私ももう若くない。そろそろ将来のことも考えなければ。その時、私の元に電話がかかってきた。知らない番号。スマホを手に取り、耳に近づけると、全く聞き覚えのない声が聞こえてきた。

「あの、突然すみません。陽向です。お久しぶりです。明後日、良かったら会うことは可能でしょうか。」

「えっ?」思わず聞き返してしまった。急に会うって言っても、私は絵を辞めてしまったし、合わせる顔がない…。断ろうとした、けれど約束した時の顔を思い出す。そこで彼が続ける。

「お願いです。どうか…。」

彼の悲嘆の声が聞こえ、彼の表情が脳裏に浮かぶ。どことなく断りずらい雰囲気。どちらかと言うと、約束は破りたくないたちなので、しょうがなく会うことにした。会うことを言うと、彼は嬉しそうに声を高ぶらせた。そういえば、彼は何故来なくなったのだろう。聞きたいことが山ほどある。そんなことを考えつつ、明後日に向けて、準備をした。長い間引きこもっていたからか、まともな服がなかったので明日買いに行こう。

あっという間に当日。待ち合わせ場所は、あの日の近くの駅だった。私は近くのカフェに入り、しばらく待っていると彼が来た。

「こんにちは。陽向の代わりに来ました。私陽向の姉です。」

急な告白に顔を上げながら、そこに立つ清楚な洋服に身を包んだ彼のお姉さん?を見つめた。とりあえず彼女を座らせ、どういうことか聞こうとした。

「実は、陽向があなたのことを呼んで欲しいと急に言われてしまって。とりあえず陽向のもとに案内するので、着いてきてもらってもいいですか?」

「はぁ…。」

納得のいかない表情を浮かべつつも、お姉さんについて行くことにした私は会計を済ませ、店を後にした。

彼女が私を連れてきたのは病院の前だった。何故病院?彼は何らかの病気になってしまったのだろうか。不安を胸に、彼女に連れられた病室の前に立つ。ゆっくりと扉を開けた。そこには病床に横たわり、こちらを見て微笑む彼がいた。いつものように、会釈をした。

「さきねえ、二人で話したいから外で待ってて。こっち、座ってください。」

さきと呼ばれた彼女は、病室を出ていった。私は彼に手招きされ、近くにあった椅子に座った。

「あの、なんなんですか。突然呼び出して、しかも病院で、聞きたいことが山ほどあるんですど。」

「はははっ。すみません。見ての通り動けないので姉にお願いして、五年前の約束叶えてもらおうと思って。僕小さい頃から肺が弱くて、学校にもほとんど行けませんでした。医者にも二十歳まで生きられれば奇跡とまで言われてました。でも、今生きてます。まだ二十歳じゃないですけど。」

彼は前あった時より、やつれているようにも見えた。話を続ける。

「さきねえ、一ヶ月後結婚式を挙げるんです。その日ちょうど僕の誕生日で、その日に渡す絵をあなたに描いて欲しいんです。姉は僕が二十歳まで生きるのを願って、その日にしたと思います。なので最後にプレゼントしてあげたいんです。どうか、よろしくお願いします。」

私は返す言葉が見つからなかった。ただ一言、「分かりました。」と。結婚式の何日か前、彼に絵を見せた。彼は満足そうな顔をして笑った。結婚式当日、無事お姉さんの結婚式を迎えることが出来た。彼は今まで私が見たことの無い幸せそうな顔をして笑っていた。結婚式会場は白をベースに、たくさんの花が飾られ私の絵もその花に並ぶ形で飾られた。

その後彼は、誕生日を迎えた一週間後に亡くなった。咲さんから電話でそう告げられ、遺書にはこう書いてあったらしい。

〈空から見守っているということと、私に画家を続けて欲しいということ。〉

遺書には彼が趣味にしていた、ドライフラワーが添えられていたらしい。彼の病室は青い薔薇があった。きっとそれだろう。彼からの注文で、私が書いた絵はカランコエというこれもまた花だった。彼は本当に花が好きだったのだろう。

その後、私は絵を描き続けていた。仕事を貰いつつ、何とか生活している。咲さんとは、友人としてとても親しく交友を続けていた。そして彼はきっと今でも、天国で見守ってくれているだろう。


あなたのおかげで私の好きを続けることが出来ました。もう十分生きました。私も今から行きます。ありがとう。


<青薔薇の花言葉>

「奇跡」「夢叶う」「神の祝福」


<カランコエの花言葉>

「幸福を告げる」「たくさんの小さな思い出」

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ねむけ @nemuke_

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