青いトマト、赤いトマト

加賀倉 創作【ほぼ毎日投稿】

第一話『十五年戦争』

——ノイズ混じりのラジオからの、やけに早口な男性の声。


「昨晚午後一〇時二〇分ごろ、中華民國東北部、滿州は柳條溝りゅうじょうこう付近で、我が大日本帝國の所有する南滿州鐵道みなみまんしゅうてつどうの線路の一部が爆破されました。關東軍かんとうぐんはこれを、張學良ちょうがくりょう率いる東北軍の破壞工作と發表。關東軍はその後、直ちに軍事行動に移った模樣。この工作の首謀者である張學良は、大日本帝國に不義を働き歐州諸國おうしゅうしょこく阿附迎合あふげいごうした張作霖ちょうさくりんの長男にして、國民革命軍の中心人物であり……」


 家にラジオを持たない庶民たちが、ニュースを聞きに、電気屋の狭い店内にごった返している。


「おいおい、關東軍は中華民國との戰爭を望んでいる、ということか? そうなれば、國際連盟がしゃしゃり出てくるのは避けられない。歐米諸國との關係もこじれるやもしれん」

 どこかの親父が、もっともらしい憶測を語った。

「先の恐慌で日本はずいぶん疲弊したからなぁ。この流れで大陸を日本のものにできれば……經濟不況から脫出できるやもしれん!」

 隣の爺さんが、夢物語を語った。

「ねぇ、おかあさん。にほん、せんそう?」

 私は母に、無邪気にそう尋ねた。

みのるちゃんはまだ小さいから、氣にしなくていいのよ。あの、すみません、どなたか『リュウジョウコウ』って、どの邊りかご存知じゃありませんか?」

 みのるちゃん、か。懐かしい響きだな。母は慣れないはずの大きめの声で、その場の全員に尋ねた。

 すると、電気屋のおじさんがいち早く反応した。

「うーん、柳條溝りゅうじょうこうねぇ……って、これはどうも、千志郞せんしろうの奧さんじゃあないですか。元氣そうでなにより。で、柳條溝って場所は俺もよく知らないが、張學良が破壞工作って言うんなら……東北軍だろう? きっと遼寧りょうねい省の瀋陽しんよう市近郊邊りだろうね。ずっとここにいてラジオばかり聞いているもんだから、俺の勘は當たってると思いますよ?」

 電気屋のおじさんは、で、そう答えた。

「そうですか……ありがとうございます」

 母は、少し俯く。

「えっと奧さん……どうかしました? あ、そうか、千志郞のやつが行ったのは……」

「……はい、そうなんです。千志郞さん、大丈夫かしら……」

 母の、夫を……私の父を……思慕しぼする弱々しい声。

 私は母の様子と、そこで聞こえてきた様々な声を判断材料に、子供ながらに、父の身に危険が迫っているのかもしれない、と感じ取った。


 柳條溝りゅうじょうこうでの一件から半年足らずで、関東軍は満州全土を占領した。一九三二年三月一日には、関東軍主導のもと、満州は中華民国からの独立を宣言。第十二代清朝皇帝の愛新覚羅溥儀あいしんかくらふぎを皇帝に立て、満州国が建国された。


 そして間も無く、我が父千志郎は大陸戦線にて、死亡した。

 ちなみに父の遺骨は、青木家に、返ってこなかった。


〈第二話『青い実』に続く〉

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