182.お父様が倒れたわ

「あっ、お父様!」


 王宮での話をしたら、お父様が倒れた。咄嗟に支えたのは、執事のベルントだ。玄関まで迎えに来てくれた家族と、絨毯の部屋でお茶を飲む支度をしていた。といっても、お茶を淹れるのはマーサなのだけれど。


 イルゼは最近出入りする業者との打ち合わせ、家令フランクも同行している。棒のように突っ立ったまま倒れるお父様を、ゆっくりと横たえたベルントは苦笑いした。


「気を失っておられるだけです」


「ありがとう、助かったわ。ベルントのお陰ね」


 一歩間違えたら、大ケガになるもの。頭を打つとか、途中で家具にぶつかるとか。ピンと手足を伸ばして倒れる姿には驚いた。まあ、貧乏伯爵のシュミット家が王宮に行くなんて、夢のまた夢だったもの。


 衣装はない、ツテもない、用事もない。そんな我が家の嫡子エルヴィンが王太子殿下……もうすぐ陛下になる方の友人候補よ? マルレーネ様がピアノを指導してくださるなら、私もピアノにすればよかったわ。ユリアンを見張れたのに。


「本当に王宮へ? そんなことが……」


 言葉を失って目を彷徨わせるエルヴィンの隣で、握り拳を突き上げるユリアン。もう不安しかない。絶対に何かやらかすに決まってるもの。大きな溜め息を吐く私の肩を、ヘンリック様が叩いた。屋敷に入ってから、リリーの仕事を奪って車椅子を押しているの。


 帰りはドレスを着替えなかったので、控え室にワンピースも置いてきてしまった。それに皺もついてしまって……でも、これを手直しする使用人の給料になるのよね。すぐ着替えて皺を伸ばしたいけれど、ここは我慢よ。


「ヘンリック様、降りたいのですが」


「ああ、任せろ」


 嬉々として抱き上げ、絨毯に下ろすヘンリック様は機嫌がよさそう。ふと、マルレーネ様の言葉を思い出した。愛……まあ、あるかもしれないわ。レオンと同じ感じの、そう家族愛が近い。幼少期に厳しくされて愛情不足だったから、母親として振る舞う私に懐いたのよ。


 うんうん、と納得してお礼を告げた。笑顔になるヘンリック様は、やっぱり可愛い。恋愛対象ではなく、庇護対象ね。レオンと同じレベル、分類したら落ち着いた。


「おかぁしゃま、あのね……ぎゅっとして」


「あら甘えん坊ね」


 普段と違う環境で遊んだからか、レオンが抱きついた。受け止めて膝に引き上げる。そのまま向かい合って、膝に座るレオンの背中をぽんと叩いた。頭をぐりぐり押し付ける仕草に、もしかして? と横から顔を覗き込む。


 ぷいと横を向いて隠す仕草から、眠いのねと判断した。何度も黒髪を撫で、軽く体を揺らす。


「アマーリア、痛くないか? 代わった方が」


「しぃ、もうすぐ寝ますから」


 お昼寝の時間なのでは? ベルントが口を挟み、ヘンリック様は出した手を引っ込めた。寝てしまえば、運んでもらうこともできる。でも、折角だからもう少し。こうして抱っこしてあげられる期間は短い。


 あと数年したら「僕はもう子供じゃありません」と拒否されると思うわ。成長は嬉しいけれど、まだ今は可愛い幼子を甘やかしていたいの。

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