169.寝たフリで帰宅ですか

 途中で何回も休憩が入る。ヘンリック様の指示ね。とても有難いわ。到着が遅れてしまうけれど、馬車の中で寝転んでいるのも、意外と疲れるの。もっと楽だと思ったのに。


 食事を摂ったり、途中の街でお店を覗いたり。レオンは大喜びで、私をエスコートしてくれた。ヘンリック様は車椅子を押すのに慣れて、後輪を軸に向きを変える技も習得したわ。仕事ができる人って覚えが早いのね。


「もうすぐだな」


 馬車の窓から見える風景で判断したのか、屋敷が近いと知らされた。楽なワンピース姿だけれど、着替えるのかしら。さすがに久しぶりに帰ってくる公爵夫人が室内着では、侍女長のイルゼに叱られちゃう。私の心配をよそに、屋敷の門を潜った馬車は玄関へ向かった。


「できれば、眠ったフリをしてくれ」


「……はい」


「おかぁしゃま、ねたうの?」


「ええ、皆には内緒よ。しーっ」


 指を立てて黙る仕草をすれば、レオンは真似して笑顔になった。


「あい!」


 内緒にしてくれるみたい。ヘンリック様が「いい子だ」とレオンを褒めた。玄関前で馬車が止まり、ヘンリック様がレオンを抱いて降りる。私は扉の近くで寝転がった。寝ているフリよ。理由はわからないけれど、必要があるのでしょう。悪戯ではないと思う。


 レオンやヘンリック様に「お帰りなさいませ」の声がかかる。結婚した当初のように、使用人がずらりと並んで出迎えたのね。見えなくても、あの日の光景が浮かんだ。


「アマーリアは休んでいるから……挨拶は省略する」


「畏まりました」


 扉が外から開いて、ヘンリック様と目が合う。思わず目を開いちゃったわ。慌てて、寝たフリで瞼を伏せた。ヘンリック様の腕が触れて、抱き寄せられる。咄嗟に手を首に回そうと動きかけ、深呼吸して力を抜いた。


 寝たフリ、寝たフリ。言い聞かせて、ヘンリック様に頭を寄せる。寝ている子を抱き上げると不安定になるの。その経験はあるから、できるだけ体を寄せた。これで少しは楽なはず。


「旦那様、ご用意できました」


 ベルントの声で、車椅子に下されるのだろうと考える。でも、そのままヘンリック様は歩き出した。え? 車椅子の準備ができたんでしょう? 目を開きたくなるが、まだ我慢よ。玄関から左へ曲がって、歩数を頭の中で数える。


 私の知る歩数の手前で、扉の開く音がした。男性と女性って、こんなに歩幅が違うのね。絨毯の厚い室内では、足音が聞こえないわ。お尻に何かが触れて、背中も接地した。横たえられた状態で、まだかしら? と声掛かりを待つ。


「アマーリア、もういいぞ」


「もぉ、いーじょ!」


 真似したレオンの声に笑いながら目を開ければ、すぐ近くにヘンリック様がいた。膝を立てた状態で長椅子に寝転ぶ私を、ソファの背に寄りかかる姿勢で彼が覗き込んでいる。


「仕掛けは十分だ」


「はい、何を仕掛けていらっしゃるの?」


「……まだ秘密だ」


 うっかり口を滑らせた。そんな顔をして、ヘンリック様は口をきゅっと結ぶ。こういう仕草が、本当に可愛いわ。子供は秘密が大好きだから、もう少しの間、聞くのは我慢します。

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