110.思いがけなく酸っぱい林檎

 ヘンリック様は、朝食の席で手紙を取り出した。レオンからもらった時は感激し、言葉に詰まっていたわね。筒状に丸めた紙を丁寧に広げ、レオンは返事の手紙を見つめた。


「おとちゃま、おてまぎ!」


「あら、素敵ね。これは何かしら」


 驚くほど絵が……残念だわ。私の方が上手かしら。成長過程のレオンはまだ上達する余地があるけれど……ヘンリック様は手遅れね。自分のことを棚にあげ、そんなことを思う。ただ、色は鮮やかで綺麗だった。この才能はレオンに受け継がれているわ。


「えっとね……これ、ぼく」


「まあ、よかったわね」


 短いこの紫がレオン……瞳の色かしら。だとしたら隣の青は、ヘンリック様の可能性が高いわ。


「ちぁう! これ、おかしゃま」


 青いのは私なのね? ヘンリック様はどれか探してしまう。まさか、ご自分を描き忘れてないわよね。ちらりと視線を向けると、頬を赤く染めてぼそっと呟いた。


「黒髪だからな」


「これですね」


 私は黒い記号を指さした。上に丸があって、不思議な十字架がついている。これが手足かもしれない。


「っ、そうだ」


 さらに赤くなって照れるから、可愛くなってきた。レオンは嬉しそうに何度も絵を指でなぞり、足をゆらゆらと振る。本当はお行儀の悪い行為だけれど、猫の尻尾みたいで咎めにくいわ。


「レオン、ご飯を食べてしまいましょうね。ヘンリック様も、お仕事に遅れますわ」


 促して食べ始めると、ヘンリック様は思わぬことを言い出した。


「陛下が謝罪するまで休むことにした」


「……、はい?」


 問い返した私に、ヘンリック様は昨日の決済拒否を説明する。いくら王族でも、準備が必要な貴族夫人や大切な後継者を、一方的に呼びつけるのは無礼だ。そう文句を言ったら、可愛いルイーゼ王女のためだと開き直ったのだとか。


 自分だけなら我慢するが、妻子に迷惑をかけるなら受けて立つ! と宣言した。なぜか文官達も協力してくれ、昨日は何もせずに帰ってきたらしい。視線の先で、フランクも頷いた。実際に起きた事件のようね。


「構わないのですか?」


「ああ、陛下は少し反省するべきだ」


 レオンの口に卵の黄身を流し、スープを運ぶ。もぐもぐしながら、小さな手が千切ったパンを口へ入れてもらった。食事は順調に進み、レオンはデザートの前に思わぬ行動に出る。


「おとちゃま! ぼく、だっこ」


 抱っこを要求されたヘンリック様が、立ち上がって受け入れる。両手を伸ばすとレオンはすんなり移動した。軽くなった膝が寂しいわね。飾り切りされた林檎を、レオンは手で掴んだ。割ろうとして失敗し、唇を尖らせた。だが解決策を思いつき、歯で割る。


 半分残った林檎を、私に差し出した。


「ありがとう、レオン」


 お礼を言って口へ運ぼうとすれば、違うと訴えてくる。レオンの指示に従い、さらに半分にして……ヘンリック様へ? 平気かしら。ナイフでカットしてからフォークに刺して、手渡そうとした。なぜか口を開けて待っている。


「……あーん、ですね」


 言葉で牽制しても反応がないので、口へ林檎を入れた。嬉しそうに微笑む美形に、私は赤くなったのを自覚する。なんてこと! レオンとは全然違うわ。残った林檎を頬張ったら、思ったより酸っぱかった。

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