03.この子が前妻の子ね

 一人の女性が進み出て、私を案内する。豪華な扉を開いて入室した途端、大きな息を吐いた。同行した女性を振り返ると、穏やかな表情で一礼する。


「奥様、侍女長のイルゼと申します。専属侍女を紹介するお時間をいただけますか」


「ええ、お願いするわ」


「私どもは奥様の手足にございます。お願いなさらず、命令なさってください」


 口調は柔らかいけど、公爵夫人らしくないと指摘したみたい。でも意地悪じゃなさそう。少し考えて、私はにっこりと笑った。


「ありがとう、そうするわ」


「では、まずはお着替えから」


 案内された自室は日当たりのいい南向きだった。もちろん家具も豪華で、夫婦の寝室にはバッチリ鍵がかかっている。さらに釘打ちして開かないよう物理的に塞ぐよう指示した。


 一瞬顔を引き攣らせた執事と違い、家令は穏やかな笑みを浮かべたまま了承する。彼らが部屋を出たところで、用意された湯に浸かった。緊張と疲れが解けていくと極楽気分で、ゆったりと過ごす。


「っ、おか、さま?」


 マッサージされて溶けていた私は、突然聞こえた幼子の声に固まった。


「いけませんよ、若様」


 侍女長のイルゼがやんわりと止める様子から、事前に聞いた話を思い出す。前妻との間に跡取り息子がいるはず、この子?


 用意されたタオルを手早く巻いて身を起こせば、泣きそうな顔で鼻を啜る幼子がいた。まだ二歳前後? くしゃりと顔を歪めて、きゅっと唇を引き結んで。


 見てられないわ。タオルを巻いたままの姿で膝をつき、ぺたりと床に座った。手を広げて、おいでと呼ぶ。困った顔でちらちらと私やイルゼを目で追う。叱られる心配をしているのかも。


 笑顔で子供の手を握った。これ以上動くとタオルが取れそう。解けないようぐっと脇で押さえて、幼子の顔を覗き込んだ。俯いたあと、もじもじしている。目は赤く腫れて、かなり泣いたのだと気づいた。


 今日は結婚式や私の出迎えで、この子の面倒を見る人が足りなかったのかもしれない。それにさっき、お母様? と呼びかけた気がするの。亡くなった母を思い出したなら、可哀想だ。無理やり抱き寄せようか迷う私に、遠慮がちな幼子が近づいた。


 まだ迷っているから、抱き締めてしまう。この年齢で遠慮を覚えるなんて、早過ぎるもの。膝に跨る形でぎゅっと抱き寄せれば、おずおずと手が動いた。背中というより、脇に触れた手に……あ、後ろは裸だわと気づく。


 間抜けな姿だが、誰も笑わなかった。ぽんぽんと背中を叩いて落ち着かせ、旦那様と同じ黒髪の子供を覗き込む。瞳の色は違うのね。旦那様は青だけど、この子は紫だった。顔立ちも旦那様とは違う。


「可愛い……」


「奥様、失礼いたしました。若様はこちらで……」


「そうね、着替えるまで任せるわ」


 急いで着替えないと、風邪を引いてしまう。抱き上げたイルゼに焦った様子で、若様が手足を動かした。ひらひらと手を振って、大急ぎで着替える。室内着というより、寝着に近いワンピースをすぽんと被った。髪はまだ濡れているけれど、タオルで巻いてもらう。


「ほら、おいで」


 また両手を広げる私に、イルゼの腕の中から黒髪の幼子は手を伸ばした。本当に可愛い。


「この子のお名前は? いま、いくつかしら」


 奪うように腕に収めた子の名を尋ねると、両手を持て余すイルゼは慌てて答える。


「レオン様でもうすぐ三歳になられます」


「そう、レオン。いい名前ね」


 抱いたまま部屋のソファに腰掛け、頬をすり寄せた。

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