第2話 乗り越えた先に

 知直は陸上仲間に言われて、気分転換に夢叶の山を登ってみようと決めた。


 大学も陸上の練習もない日曜日。知直はひとり、夢叶の山の入り口で空を見上げた。


 どのくらい険しいのだろうか。少し怖い部分もワクワク感もあった。


 フーッと息を吐くと、一歩、踏み出した。


 最初はあまりアップダウンがない。ゆっくりと歩いて行く。景色は木で囲まれていて、あまり見えない。山頂に着いたら、綺麗な景色が見えてくるのだろうか。


 次第に楽しくなってきた知直。そう、陸上も本当は楽しくてやっていた。ところが、メディアや国民からの大きな期待にプレッシャーを感じて楽しさを忘れていた。


 本来は陸上は楽しいものなのに、金メダルと言われて、絶対に獲らなくてはという義務感が強くなった。成績が悪ければ、オリンピックでの期待を裏切られたような、メディアや国民の態度にやる気も失くしてしまう。


 もちろん、目指すはオリンピックの金メダル。でも、それ以上に楽しいものだと伝えることが大事なのだ。


 知直は山登りをしていて、そんな風に思えるようになってきた。楽しいからやっているだけ。その先にビックリするような結果があるのだ。


 今のところ険しい道ではない。陸上部で鍛えた足なら、楽に登っていくことができる。


「どこから険しくなるんだろう。このままなら、軽く山頂に辿り着くぞ」


 ひとり、つぶやきながら進んでいく。結構、ハイペースだ。


 今、どのくらい登ったのだろう。もう、1時間半は歩いている。


 あまり険しさを感じないまま、100mをしているかのように速く歩いていく。


 すると、急激な上り坂が目の前に現れる。


「これは……」


 今までとは違う緩やかな坂ではない。山のようになっている。これから山を登るかのような。


 知直は再び息を吐くと、気合を入れて急激な上り坂を登っていく。


「一歩、一歩踏み出す足が重い。おもりを足につけて歩いている感じだ」


 思わず口にした。でも、誰もいないため反応がない。少し、寂しい気がした。倉田、岩本、榊と一緒に登りたかったなと思いながら登る。


「あれ?」


 酸素が薄くなってきた。本当に山を登っているのかと実感する。高くなればなるほど、息をするのもきつくなってくる。


 これは高地トレーニングをしているかのようだ。それでも、まだ、余裕はあって、ペースを落とさずに歩いた。


 息が荒くなってきた。


 これはきつい。知直は意識もなくなりそうだった。


 やっぱり、ダメか。何をやっても、中途半端だ。そう思いながらも、ゆっくりだけど進む。


「なんで、こんなきついんだ。酸素も薄いし、もう死ぬかもしれない」


 知直は何故か死を考えてしまった。


「もういいや、どうせ、俺は……」


 考え方もネガティブになってきて、山頂まで行くのをやめようとまで思った。でも、ここで負けたら、また好き勝手なことを言われる。


 そんなにメンタルも強くないんだよ、普通の人間なんだ、こんなところも知って欲しい。知直は心の中で訴えた。同時にこのままでは終われない。好き勝手いう奴らを黙らせたい、悔しいという気持ちも芽生えてきた。


 山頂に辿り着く前に諦めて下山する人が多い。でも、この山を乗り越えたら、夢が叶うとも言われている。


 乗り越えた先に素晴らしい景色が待っているのだ。夢叶の山ゆめかないのやまを乗り越えれば、きっと、陸上でも派遣標準記録を切って、オリンピックに行ける。そんな気がした。


「行ける!」


 知直はネガティブになりかけた気持ちを変えようとしていた。


 高校卒業してからいつもそうだ。すぐにダメだと諦めて、そこから前を向こうとしない。メディアや国民のせいにして。プレッシャーをかけているのは自分自身。今、苦しい状況だけど、必ず山頂まで登る。


 強く思うようになった。同時に苦しいけれど、この過程が楽しい。いろんなことがあって、それを乗り越えようとするときが一番好き。いろいろなことを知ることができるから。今は自分のメンタルに気づくことができた。


 知直の気持ちは前向きになっていき、突き進んでいった。


 3時間くらい歩いて、挫折してしまう人も多いという山頂まで辿り着いた。


「うわぁぁぁぁ」


 知直は叫んだ。でも、この叫びはどうしたらいいかわからなくなったとき、追い詰められたときのようなものではない。感動の叫びだ。


 山頂から見る景色は不思議だった。雲の上に大きな海が広がっている。まるでファンタジーの世界だ。どうしてこんな現象になるのかわからない。でも、海がキラキラ光っている。


 そして、山頂には神社がある。知直は参拝した。


 オリンピック出場が内定しますように。


 その後、知直は見事にオリンピック出場内定を決めた。しかし、同時に驚いたことが起こった。


 夢叶の山はなくなっていたのだ。険しい山道を登ったという事実は残っているのに。きつかった感覚やもうダメだと思ったことも記憶にある。


 陸上仲間が教えてくれたのに、そんな山ないよと言われた。


 知直は後から知ったことだが、夢叶の山は不思議な山で、追い詰められたとき、諦めかけた時に現れる山だという。


 そんなことあるのかと思った。だけど、あの時は完全に追い詰められて心が折れそうになっていたから、夢叶の山が背中を押してくれたのかもしれない。


 知直は夢叶の山に感謝した。


 ありがとう。オリンピック出場内定を決めることができたよ。

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あの山を越えて 綴玲央(つづりれお) @kasunaka

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