妖乙女と兎の王:水穂奇譚

粒安堂菜津

第1話 鐘の音

鐘の音 1 プロローグ

 陽射しのある日中であれば、その森の景色も長閑のどかな風景といえるが、夜のとばりが落ちたのちとなると、また違った顔を見せてくる。

 道路に面した場所であれば、街灯の明かりが届くものの、奥に入れば入るほど、月明かりも届かない暗黒の世界が広がっている。

 そのような場所に人が寄り付くはずもなく、夜間にあって、この森で人を見かけることは稀だ。


 暗闇は人の心に恐怖を呼ぶ。ではあやかしにとってはどうか。


 突如として、青い光を放つ大きな球体が西から飛来した。

 闇と静寂に支配された森の秩序を乱さんとするかのように。

 その直径5mほどの球体の正体は、何十体もの「亡霊」が折り重なり一つの塊となったものであった。

 一体、一体の唸り声が重なり『オォオオォオォォ……――』と轟音を発しながら青い球体は森を東へ飛び去ってゆく。


 ひと時の静寂ののち、その球体を追うようにして、暗闇の中を疾走する影が一つ。

 影は、森を駆けるというよりは、木々の間を飛ぶようにして進み、その速さたるや尋常なものではなく、俊敏さも兼ねそろえ、さながら忍者の如しといったところであった。


 一際高い木の枝の上に飛び乗った影は、そこで亡霊の飛び去った方角を確認した。

 月明かりが立ち止まったその姿をあらわにする。

 それは、黒髪で和装の絶世の乙女であった。

 腰まで伸びた艶やかな髪、袴姿に漆黒のケープをまとい、小洒落たブーツを履いた十代後半とおぼしき美少女。


「やはりあちら側へ向かったか……」


 それが、吉事なのか凶事なのか、その表情からは何も読めなかった。

 不意にガサリと枝葉の揺れる音がした。

 少女は音のした方向に鋭い視線を向けたが、一足遅かった。

 既に少女の胴体ほどの大きさのハンマーが目の前に迫っていた。


「おや?」


 随分ととぼけた言葉を発して、少女はハンマーの直撃をくらい、周囲の木々をへし折りながら吹き飛ばされた。


「奇襲成功なのです」


 飛ばされた少女と入れ替わるように現れたのは、巨大なハンマーを背負った、こちらも同年代くらいの少女であった。

 しかし、ハンマーの重さに飛び乗った枝が耐えることができず、ハンマーごと地上に落下する。


「うっかりなのです。こいつの重さを忘れていたのです」


 誰にするでもない言い訳を呟きながら立ち上がり、かなり重量のありそうな金属製のハンマーを軽々と担ぎなおす少女であったが、その姿からは、とてもそのような腕力があると想像することができなかった。

 ゴシック・アンド・ロリータの黒いワンピースを着た、華奢で小柄で色白な北欧系の顔立ちの少女。ストロベリーブロンドのショートボブと愛らしい大きな目が特徴的だ。

 しかし、それを凌駕するほど目を引くのは二の腕や、膝、足首などに傍目でもハッキリとわかる縫目があることであった。

 痛々しいその縫目は、あたかもこの少女が作り物であると主張しているかのように思えた。


 ゴスロリ少女は、自身が吹き飛ばした和装少女の落下地点へ確認に向かう。とはいえ、あの一撃を直撃したのだ、最早、肉片と化しているだろう。

 だが、落下地点を見てゴスロリ少女は動揺する。

 ……何も無かった。肉片はおろか、着地の痕跡すらも。正確には、へし折られた木々の残骸のみがそこにあった。


 不意にゴスロリ少女の耳元に囁く声が、


「随分と酷いことをするじゃないか」


 慌ててゴスロリ少女は飛び跳ねるように距離を取る。

 そこには、無傷の和装少女が涼しげな顔で佇んでいた。


「見たことのないあやかしだね。名は何というのかな?」


 奇襲を受けたことを気にした様子もなく、和装少女は飄々とした態度だった。


「人に名を聞くときは、まずは自分から名乗るものなのです」


「なるほど、これは失礼。まさか不意打ちされた相手に礼儀を教わるとは」


 和装少女はおどけたようにクスクスと笑う。


「ワシはアヤという者だよ。短い付き合いになるだろうが、よろしく」


「ツナギなのです!!」


 ゴスロリ少女はツナギと名乗ると同時にハンマーを横殴りにする。

 ガインッ!!……鈍い金属音が鳴り、暴風のような一撃はアヤの手前で止められた。

 見ればアヤの着用するケープから「着物の帯」の形をした長い刃物が飛び出して受け止めていたのだ。


「ツナギか、知らない妖だな……ところで先ほどの亡霊を操っていたのも君だろう?」


 アヤは意に介した様子もなく会話を継続する。

 ツナギはその間も豪快にハンマーを振り回し、暴風のような連打を叩きつけるが、全てあの奇妙な刃物で防がれて、当のアヤは涼しい顔であった。


「だったらどうだと言うのです? 何なのです、その刃物。自動防御はズルいのです」


 ガィン、ギィンと鋼と鋼がぶつかり合う音が森の中で鳴り響く。


「ははは、自動防御ではないよ……全てワシの手動制御さ」


 ツナギは自分の攻撃をそよ風のように受け流すアヤに焦りを感じ始めていた。


「さて二つ目の質問だけどね。ここの結界もツナギくんが張っているのかな? もしそうであれば解除して欲しいのだよ。ワシはこの森を出なくてはならないのでね」


 ハンマーを振りかぶり、渾身の一撃を叩き込むが、それも軽く受け止められてしまう。

 弾くでも受け流すでもなく、受け止められて、びくともされないのである。

 アヤのケープから飛び出す刃をハンマーで押し込みながら、ツナギは考える。この着物女は強い、故にこの森に張った結界に閉じ込めておいた方が良い。

 長くは閉じ込めておけないだろうが、自分が与えられた命令を遂行するだけの時間があればよいだけ。魔術師から預かった傀儡を使い足止めして、自分は離脱する。


 このツナギのプランは、自らの失言によって失敗する。


「ボクが生きている限り、お前はこの森か……」


 ツナギの首がボトリと地面に落ちた。

 ヒュッという刃鳴りが後に続いた。

 次いで、二の腕、足首、脛、太ももと、ツナギの体の継目にそって次々と切り落とされボタボタと地面に落ちる。


 


 アヤの右手の付け根から、二枚目の刃が飛び出していた。無論、こちらも「着物の帯」をかたどった奇妙な刃だ。


「教えてくれてありがとう……先を急ぐのでね」


 驚愕の表情で目を見開いたツナギを一瞥いちべつすることもなく、アヤは亡霊の後を追った。

 ツナギは何かを言わんと唇を動かすが、間もなくしてその目から光が消えた。



 暗闇は人の心に恐怖を呼ぶ。ではあやかしにとってはどうか。

 暗闇とはあやかしにとって、生まれ出づる場所である。


 しかし、それでも闇は恐怖なり。

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