第3話 対峙

**オフィスの一角、重い沈黙が二人を包んでいた。**


 斉藤智樹はデスクの前に座り、手元の書類に視線を落としていた。だが、書類の内容は頭に入らず、彼の心は重圧に押しつぶされそうになっていた。目の前には三島真紀、人事部長が冷静な表情で立っている。


「斉藤さん、少しお話をしてもいいですか?」


 三島の声は静かだったが、その内には確固たる意思が込められていた。斉藤は一瞬迷ったが、疲れ切った顔を上げ、三島を見た。


「はい、どうぞ」


 三島は彼の前に座り、慎重に言葉を選びながら話し始めた。


「最近、あなたの様子を見ていて少し心配しています。田村さんとの関係がうまくいっていないのではないかと感じています」


 斉藤は眉をひそめた。これ以上、仕事のストレスについて話す気力はなかったが、三島が話を続ける。


「私たちは、あなたがどれだけ貴重な存在か理解しています。会社も、あなたの努力を高く評価しています。でも、無理をしているのではないでしょうか?」


 斉藤は少しの間、言葉を失った。彼の胸には痛みが広がっていく。


「無理…ですか。そんなこと、考えたこともありません。自分が与えられた仕事をこなすだけです」


「それがどれだけのプレッシャーか、私は想像できます」三島は少し前かがみになり、斉藤の目を真っ直ぐに見つめた。「でも、あなたが倒れてしまっては、元も子もありません。最近、退職を考えたりはしていませんか?」


 斉藤はその言葉に驚き、動揺を隠せなかった。退職――それは、彼が夜な夜な考え、でも決して口に出せなかった言葉だった。


「退職…そんなこと、考えていません」斉藤は即座に否定したが、その声には自信がなかった。


 三島は一瞬の沈黙の後、静かに言った。「斉藤さん、もし本当にそう考えているなら、正直に言ってほしい。私たちはあなたを失いたくないし、何か手助けできることがあるなら、全力を尽くしたいと思っています」


 斉藤は目を閉じ、深呼吸をした。彼の頭の中には、これまでの努力や、家族のこと、そして田村の冷たい視線が浮かんでいた。退職は逃げだという思いが頭をよぎる。しかし、耐え難い疲労感がそれに反発するように体を蝕んでいく。


「…正直、もう限界なんです。」斉藤はついに本音を口にした。「毎日が…本当に辛いんです」


 三島はその言葉を聞いても、表情を変えずに彼を見つめていた。「その気持ち、私には理解できます。あなたが一人で抱え込むには重すぎる責任です。もし、少しでも負担を軽くする方法があるなら、一緒に考えませんか?」


 斉藤はしばらく黙って考えた。三島の提案に耳を傾けるべきか、あるいは自分の道を選ぶべきか。彼は自分の中で戦っていた。


「…考えてみます」斉藤はやっとの思いで言葉を絞り出した。「でも、今はただ、少し休みたいんです」


 三島はゆっくりと頷いた。「それでいいと思います。まずは自分を大切にしてください。私たちはいつでもサポートしますから」


 その言葉は、斉藤にとってわずかながらも救いとなった。彼は自分の中で揺れ動く感情を抑えながら、三島に感謝の言葉を伝えた。


 オフィスの外では、いつものように社員たちが忙しなく働いている。だが、斉藤にとっては、今この瞬間が何よりも重かった。そして、この決断が彼の未来をどう変えるのかは、まだ誰にもわからない。


#### **クライマックス**:

 退職計画は順調に進んでいるかに見えたが、突然、会社側が動き出した。斉藤の退職の噂が社内で広まり、上層部は彼を辞めさせないために様々な手段を講じ始める。社長の指示で、社内の厳しい監視が強化され、斉藤の行動やメールがすべてチェックされるようになった。結城のチームはこれに対抗するために、さらに高度なセキュリティ対策を講じるが、会社側も負けじと技術を駆使して反撃してくる。


 その中で、結城は斉藤に対して一度立ち止まり、退職の決断が本当に彼にとって最善の選択かどうかを改めて問いかける。斉藤は一瞬迷うが、結局、自分の健康と人生を守るためには退職が必要だと再確認する。この決意を胸に、斉藤は結城たちと共に最後の一手を打つことを決める。


 **オフィスの一角で、斉藤は深くため息をついた後、田村のデスクへと歩み寄った。**


 田村誠一は冷淡な瞳でモニターを見つめていたが、斉藤が近づくと顔を上げた。その目には何かを見透かすような冷ややかな光が宿っていた。


「斉藤さん、どうしたんですか?」田村の声には淡々とした調子があり、斉藤に対する興味もなければ、情も感じられなかった。


 斉藤は一瞬立ち止まり、胸の中で決意を固めた。三島との会話が頭をよぎり、彼の心の中に残ったのは、もはや背水の陣に追い込まれたような感覚だった。自分の未来を守るためには、田村の影響力を利用するしかない。


「少し話をしたいんだ、田村さん」斉藤は冷静を装い、言葉を選びながら口にした。


 田村は斉藤を一瞥し、つまらなさそうに腕を組んだ。「話? 今さら何を?」


 斉藤は彼の態度にいら立ちを覚えつつも、それを抑え込んだ。彼がこの場で感情に流されれば、田村に見透かされるだけだ。


「最近、仕事で行き詰まりを感じていてね…」斉藤は言葉を続けながら、田村の反応を窺った。「田村さんの助言が欲しいんです」


 田村は軽く鼻で笑った。「助言? 俺に?」


 斉藤は頷いた。「田村さんがどうやってこの会社で成功を収めたのか、その秘訣を知りたいんだ」


 その言葉に、田村の目が少しだけ鋭さを増した。彼は斉藤を見つめる視線を鋭くし、まるで何かを試すかのように言った。「…俺のやり方はお前には向かないかもしれない。ここでのし上がるには、それなりの覚悟が必要だからな」


「その覚悟があるからこそ、田村さんに聞いてるんだ」斉藤は一歩前に踏み出し、田村の目を真っ直ぐに見据えた。「俺は変わりたい。田村さんの力を借りて、もっと上に行きたいんだ」


 田村はしばらく斉藤を観察していたが、やがて微かに笑みを浮かべた。「面白いな…斉藤。お前がそんなことを言うとは思わなかった」


 斉藤は口を固く結び、田村の言葉を待った。この瞬間、彼の運命は田村の手に委ねられていると感じていた。


「じゃあ、取引をしよう」田村は斉藤に対して身を乗り出し、小さな声で言った。「お前が本気なら、俺はお前を引き上げてやる。ただし…」


 斉藤は緊張を隠せなかった。田村の条件が何であれ、今の自分には選択肢はない。


「俺のために働け。俺の意図を察して動けるようになったら、お前もこの会社で俺と同じくらいの力を持てるかもしれない」


 斉藤はその言葉に一瞬ためらったが、すぐに頷いた。「…わかった。俺は田村さんのために働く」


 田村は満足げに頷き、斉藤に手を差し出した。「いいだろう。これからは俺のやり方を教えてやる」


 斉藤はその手を握り返し、固い決意を感じた。これで良いのだと、自分に言い聞かせながら。彼が田村に従う道を選んだことが、どのような結末を迎えるかはまだわからない。しかし、今はただ、目の前にある現実に向き合うしかなかった。


 **夜の静かなバー、二人は向かい合って座っていた。**


 田村はグラスの中のウイスキーを軽く回し、微かに笑みを浮かべた。「お前、覚悟はできてるんだろうな?」


 斉藤はその問いかけに深く頷いた。「もう後戻りはしない」


 田村はその答えに満足したように微笑んだ。「いいだろう。じゃあ、俺たちの新しい関係を祝して、乾杯だ」


 グラスが軽く音を立て、斉藤の心に新たな緊張が走る。彼がどこまで田村に踏み込むことができるのか、そしてその先に何が待っているのか、斉藤はこれからその道を歩み出すのだった。


 結城誠は、斉藤智樹を救うために「トリニティ・コンサルティング株式会社」に潜入することを決意した。彼は、この一流コンサルティングファームの表向きの顔とは異なる、裏の実態に迫る必要があると感じていた。結城はカウンセラーとしての知識と技術を駆使し、社内の精神的負荷のかかる環境が斉藤に与えた影響を徹底的に調査しようと考えたのだ。


 結城は、まず偽名を使ってトリニティ・コンサルティングの中途採用に応募した。彼の経歴は巧妙に偽装されており、カウンセリングや心理学のバックグラウンドは完全に隠されていた。代わりに、結城はビジネスコンサルティングに関する知識と経験を持つプロフェッショナルとして、自分を売り込んだ。


 採用面接では、結城の洗練されたビジネスマナーと豊富な知識が評価され、彼は短期間で入社を果たした。社内では、すぐにいくつかのプロジェクトにアサインされ、その中で社員たちとの関係を築いていった。結城は、同僚や上司との会話を通じて、トリニティ・コンサルティングの真の姿を少しずつ明らかにしていった。


 トリニティの社員たちは、表向きは優秀でエリート意識の高い人々だったが、その裏では多くの人が過剰なストレスに悩まされていた。厳しい業務スケジュール、終わりの見えないプロジェクト、そして常に高い成果を求められるプレッシャーが、社員たちの精神的な健康を蝕んでいた。しかし、誰もがそのことを口にすることはなく、むしろ自分の弱さを隠すために無理を重ねるばかりだった。


 結城は、この職場環境こそが、斉藤のトラウマを再び呼び覚まし、彼をさらに追い詰めている原因であると確信した。彼は、斉藤が抱える問題の核心に迫るため、さらなる調査を進めることを決意する。内部の様々な部署に足を運び、社員たちの声を聞き取りながら、結城はこの企業の隠された闇を暴き出そうとした。


 特に彼が注目したのは、トリニティの経営陣が行っている「メンタルヘルスサポート」の実態だった。会社は公式には社員のメンタルヘルスを重視し、カウンセリングサービスやメンタルトレーニングプログラムを提供しているとされていた。しかし、結城が調査を進めるにつれ、その実態は表向きのものとは大きく異なることが明らかになった。


 実際には、メンタルヘルスに問題を抱える社員は、早期退職や配置転換の対象となり、その後は会社内でのキャリアを続けることが困難な状況に追い込まれていたのだ。表向きのサポートは、あくまで企業イメージを保つためのものであり、実際には社員たちを切り捨てるシステムが構築されていた。


 この事実を知った結城は、斉藤が抱えている問題の根本的な原因を解明する手がかりを掴んだ。彼は斉藤に再度接触し、この事実を伝えるべきか、それとももう少し慎重に証拠を集めるべきか、思案した。結城の中で、斉藤を救うための最良の方法が何であるかが問われていた。


 結城誠が真実に迫る中で、トリニティ・コンサルティングの闇は次第にその姿を現していった。


#### **決戦**:


 結城たちは斉藤の退職を無事に成し遂げるため、最終作戦に突入する。チームの法律のエキスパートは、斉藤の退職に対する法的な保護を強化し、会社側が違法な手段を取った場合にはすぐに対応できるようにする。また、心理カウンセラーは斉藤のメンタルサポートを続け、プレッシャーに押しつぶされないよう支援する。IT専門家は会社の監視システムを無効化し、斉藤が無事に退職届を提出し、退職の意思を表明できるようサポートを行う。


 最後の瞬間、結城自身も会社に乗り込む。彼は斉藤の上司と直接対峙し、斉藤の退職を妨害しようとする彼らの計画を暴露する。結城の強い信念と鋭い交渉術によって、会社側はついに折れ、斉藤の退職が正式に承認される。


#### **結末**:

 斉藤は無事に会社を辞め、新たな人生を歩み始める。彼は結城に深い感謝を示し、自分自身のプライドを超えて新しい道を選ぶ勇気を持てたことに満足する。一方、結城は次の依頼に向けて、また新たな挑戦に臨む準備を整える。


 結城誠の「エスケーププラン」は、今日もまた一人の労働者を救い出し、彼の人生を新たに切り開いていくのであった。

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