四つの木箱

古博かん

四つの木箱

 少々、寝苦しい夜だった。


 珍しく日付を跨ぐ前に泥のように深い眠りについたような気がするのだが、ふと目が覚めてみると薄暗い、だだっ広い平原のさなかにパジャマ姿のまま佇んでいた。


 足元には青々と生い茂る下草が視界の続く限り先まで広がっていて、その下草をさやさやと揺らす微風そよかぜが地表近くを吹いているようだ。そう思うのは、頬にはほとんど風の流れを感じないから。


 見上げた空は暗く、星明かりらしい星明かりもなく、おそらくは夜なんだろうと思うのだが、夜間のひんやりとする空気も熱帯夜の蒸し暑さも感じない、ただ暗いというだけの何とも不思議な空間の地平線上には、煌々と明るい大きな光の塊がゆっくりと横軸方向に回転している。

 太陽のような明るさだが、熱を感じないので巨大な月なのかもしれない。ただ、輪郭が見えるほど穏やかな明るさではないので、きっと月ではないはずだ。

 何か例えるものはないか、少し黙って考えてみたが、何となく銀河系の中心部分だけを抜き出したら、あんな感じに見えるかもしれない——と、自身勝手な結論を出した。


 とりあえず、明るい方へ数歩進んでみると、何もない平原の視界の四隅に唐突に四つの木箱が四角を形作るように置かれていた。

 ちょうど、平均的な折りたたみコンテナのようなサイズ感の、蓋の閉まった木箱が四つ。その一つの上には、何だかハンドボール大の光の塊が浮かんでいる。


「あら、きましたね」


 地平線上の横軸回転する光源ほどではないにせよ、十二分に明るいハンドボール大の光の塊が発した声は驚くほど明瞭だった。

 スピーカーを通すのとはまた違う、直接空気を震わせる生身の声にとても近い。男か女かも分からないが、やんわりとした穏やかな声だった。


「こんばんは」

「こんばんは」


 悪意や害意の類が微塵も感じられない、ただ不思議な感じがするだけの声を聞いて、ひとまず「私」は挨拶をすることにした。

 すると、同じように挨拶を返してくる光の塊。

 信心深い敬虔けいけんなクリスチャンである知人なら、きっとこの不思議を「神のみわざ」だとか「あめなる御使みつかい」だとかにでも例えるのだろうけれど、「私」にとっては物理的な光の塊にしか見えないので、百歩譲っても何らかのエネルギー体と認識するのが関の山だ。


「良い夜ですね」

「そうですね、良い夜です」


 光の塊は、のんびりとそう答える。

 蓋の閉まった四つの木箱のうちの一つの真上で、ふわふわと浮かんでいる不思議な光の塊。それが何らかの生命体であるとは到底思えないのだが、どうやら問題なく意思の疎通は可能らしい。


 挨拶こそしたものの特に続ける会話もなく、どうしようかと迷い始めた「私」は、うっすら覚える気まずさもあって、何となく木箱に視線を走らせる。

 すると、光の塊が「木箱の中身が気になりますか」と尋ねてきた。

 全く気にならないわけではないため、「少し」と短く答えると、それならそこの箱から一つずつ開けてみるといいと言う光の塊。


「いいんですか」

「ええ、どうぞ」


 促されるまま一つ目の木箱の蓋を開けてみると、そこには手が一つ納められていた。


「これは……手ですね」


「そうですね、手です。持ち主に、世界を救うには何が必要か尋ねてみたところ、それは全ての権力を掌握する手だと言うので、その人から手を一つ拝借しました」


 光の塊が何一つ動じることなく淡々と話して聞かせるものだから、こちらもついうっかり「へえ、そうなんですね」と平然と返してしまう。それくらい日常的な会話のあり方そのままなのだ。


 続いて二つ目の木箱の蓋を開けてみると、そこには一対の目玉が納められていた。


「これは……目玉ですね」


「そうですね、目玉です。持ち主に、世界を救うには何が必要か尋ねてみたところ、それは遠くの先々まで全てを見通す目だと言うので、その人から両眼を拝借しました」


 まるで作り物のように綺麗な状態で納められている二つの目玉と目が合ったような気がするけれど、不思議と恐怖を覚えるようなことはなく、ただの目玉と目が合うことが、さも当たり前のことのように思えた。


 さらに三つ目の木箱の蓋を開けてみると、そこには口が一つ納められていた。


「これは……口ですね」


「そうですね、口です。持ち主に、世界を救うには何が必要か尋ねてみたところ、それは人心にあまねく説得力をもつ演説をする口だと言うので、その人から口を拝借しました」


 きゅっと引き結ばれた上下の唇はみずみずしく、今にも言葉を発しそうに思えるけれど、実際のところ、ぴくりとも動かず静かに箱の中に納められている。


「最後はこの箱です」


 四つ目の木箱の蓋が開けられると、その箱だけは空っぽだった。


「空っぽですね」


「そうですね、空っぽです。そこで、あなたに尋ねます。あなたは、世界を救うには何が必要だと思いますか?」


 四つ目の木箱の上にのんびりと構えている光の塊が、至極当然の流れを汲んでそう問いかけてきた。「私」はにわかに押し黙り、そして改めてじっくりと熟考を重ねる。

 これまで見てきた箱の中身は確かに、言われてみればどれも世界を救うのに必要だと思えば、そうかもしれないものだった。だが、これだけでは何か足りない気がしてならない。はてさて、一体何が足りないのだろうか。


「あ、分かりました。なるべく多くの人の言葉を聞くために傾ける耳が必要ではないでしょうか」


 一方通行で発する行動力だけが全てを解決するのでは、些かバランスが悪いように思えた。発したら、発した分だけ吸収する何かが必要なんじゃないか、そう考えたら自然とたどり着いた答えが耳だった。


「なるほど。それでは、あなたからは耳を拝借することにしましょう」


 そう告げた光の塊から、二本の細長い光の線が伸びてきて「私」の両耳をそっと掴むと、みょいーんと引っ張り始める。

 不思議と痛みを感じることはなく、しかし、このまま両耳が顔からちぎり取られるかと思って肩をすくめて身構えていると、まるでおもちゃの栓が抜けるように、きゅっぽんと、どこか間の抜けた音がして、「私」の両耳はそのまま光の線に持っていかれた。


 そして、四つ目の木箱に納められて静かに蓋が閉じられた。


「さあ、これで準備は整いました。もういいですよ」


 ようやくこれで「私」は放免されるらしい。こくりと一つ頷いて、それからやっぱり気になって今度はこちらから尋ねてみる。


「世界を救う時なんて、本当に来るんでしょうか」


「さあ、どうでしょう。でも、きっとあなたには、これらの使が分かるんじゃないですか」


 光の塊が、のんびりとした調子でそう答えるものだから、もしかしたら、そうなのかもしれないと妙に納得してしまう。「私」は気が済んだので、「それじゃあ、また」と別れの挨拶をして、それからペコリと一度会釈をしてきびすを返す。

 どこへ向かうかは分からないけれど、なんとなく帰りはこちらのような気がして進む。そうやって数歩稼いだところで、唐突に目が覚めた。


 見慣れた天井。

 いつものカーテンの隙間から漏れる薄明かり。

 なんの変哲もない、いつもどおりの自分のベッド。


 ふと、枕元の目覚まし時計を手繰り寄せてみれば、午前四時四十四分を指していて、ここでもやっぱり縁のあった四。

 何とも不思議な夢を見たものだと思いながら、少々ぼんやりする頭を起こすために洗面室へ向かう。

 一度、顔でも洗ってスッキリすれば、気分も落ち着くだろうと思って覗き込んだ鏡に映る自分の顔を見て違和感を覚える。じっくりと眺めて、それからようやく何が違うのか気が付いた。


 両耳がない。


 まるでおもちゃの栓を抜いたように、きれいにすっぽりと抜け落ちた両耳の場所には、小さな穴だけが空いている。「私」の耳がどこに行ったのかなんて明白だ。あの不思議な空間の四つ目の木箱の中に納まっているに決まってる。


 耳のない自分の顔を見慣れるまで、少々時間を要するかもしれない。

 周囲の人間も「私」の耳がないことに、こぞってびっくりするかもしれない。


 また、いつ使うのかなんて「私」も含めてきっと誰にも分からないが、それでも、いつか自分の預けた両耳が、誰かの世界を救うのかもしれないのだから、それはそれで何となく悪い気はしない。


 ただ、不思議な感じがするだけだ。

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