勘違いのアルビレオ
十余一
(起) 三年次 秋
「今日の授業はここまで。わからないことや聞きたいことがあったら、遠慮なく来てください」
私は授業の最後にそう付け加えた。教壇から教室を見渡すと、いくつもの目がこちらを見ている。納得するような、称賛するような、あるいは見定めるような視線だ。
「はい。倉井さん、お疲れさまでした」
老齢の教授が
同年代の学生を相手に授業の練習をする〝模擬授業〟が終わったのだ。今回のためにしっかりと準備し、大きな失敗をすることもなく無事に終えられた。
そのまま教授といくつか問答をする。
「中学歴史、文明開化についての授業だったわけですが、なんといっても大判カラー資料が目を引きましたね。教科書や資料集には載っていないものですよね?」
「以前たまたま博物館で見かけたのを覚えていたんです。これなら生徒たちも楽しく学べると思い、授業に取り入れました」
「絵を使って古いものと新しいものを比較するのは良いアイディアだったと思います。板書も、とってもきれいに整理されていますね」
「ありがとうございます」
簡単に授業を振り返ったあと、教授の「では皆さん、相互評価表に記入してください」というひと声で同級生たちは机上のプリントに向かう。模擬授業では学生たちが互いに評価やアドバイスをし合うのだ。生徒の興味関心を引き出す工夫がされていたか、板書の内容や形式は適切かなど、項目は多岐にわたる。
私はペンを走らせる同級生たちに背を向け、チョークで書いた板書を消してゆく。きっちり板書計画を立て、空きコマに練習したこともあって完璧に整理整頓されている。それから、廊下側に設置された電子黒板に映した資料を閉じる。今回の授業で目玉にした資料は、文明開化期の新旧の日用品が擬人化され、それらが合戦する風刺画だ。これは指導してくださる教授だけでなく模擬授業を受けた学生たちにも好評だったと思う。授業で話す内容も、生徒への質問や想定される回答も、原稿を考え一言一句、隅々まで練習した。
大まかな流れだけを指導案に書き、それを元に授業をする学生も多い。私がそれだけに収まらないのは元々の気質もある。が、高校生のころ進学クラスに編入できなかったコンプレックスを今も引きずっているのかもしれない。人より劣っているのだから、ただひたすらに努力するべきなのだ。悔いを残さないように、やれることをすべて済ませてから臨むのだ。それに歴史は自分の専門分野だけあって、教材研究することも授業計画を考えることも苦にはならなかった。
教科書や指導案、念のため教卓に置いておいた板書計画や授業原稿を持って自分の席へと戻る。すると、隣に座っている
日本史専攻で第二外国語が中国語の私と、西洋史専攻で第二外国語がフランス語の彼女。専門分野こそ違えど、二人とも試験結果が模範解答として貼りだされるほどに優秀だ。模擬授業では、細々としたところまできっちり決める四角四面な私に反して、柑奈は指導案を元に柔軟で臨機応変な授業をする。元々の知識の豊富さや持ち合わせた愛嬌によって成せることなのだろう。私は彼女のそういうところを少しだけ羨ましく思う。それから、専門科目の教材研究や授業が得意な私と、道徳教育の研究や社会福祉施設での活動が高く評価されている彼女。
似ているようで少し違う、あるいは正反対な私たち。切磋琢磨する仲間と言ったら大げさすぎるけれど、友人として、ひとりの人間として素直に尊敬していた。
講義が終わると、私と柑奈を含めたいつもの五人が合流し、昼食を摂る。
食堂のテラス席。簡素な机に並ぶのは日替わり定食のトンカツ、かき揚げそば、デザート付きのオムライスセット、それからお弁当が二つ。爽やかな風と鮮やかなカエデ並木の景色とは裏腹に、食卓に秋らしいものは特にない。しいて言うなら、お弁当に入っているサツマイモの甘露煮くらいか。
咲かせる話の内容は、今日の日替わり定食がおいしそうだとか、新しく回転寿司屋でバイトを始めてみたとか、楽しみにしていた博物館の特別展がいよいよ週末に始まるだとか。そんな他愛もないことばかりだ。あとはイマイチな講義をする講師に対しての愚痴とか、ゼミの先生が相変わらず怖すぎるとか。
私はゼミのことをひとしきり話し終えると、そのあとは友人たちの話に耳を傾ける。お弁当に入っていた甘い卵焼きを
ちょうどそのとき友人の一人が、スライスされたレモンを絞った。両側から箸を一本ずつ刺し、そのままレモンを八の字に
「初めて見た! え、すご……効率的! すごくない!?」
「ええ……、そんな驚く……?」
「レモンでここまで騒ぐひと初めて見た」
「頭良いのにバカ! 残念な秀才!」
友人たちは口々に引いたり罵ったり。それまで静かに話を聞いていた柑奈も、私のはしゃぎように
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