迷宮城塞都市の怪物傭兵

@pennico

第1部 クラン抗争編

第1話 怪物の暗躍

 夜も更け、人通りの無くなった閑静な街中を大きな――人の倍以上の背丈はある二つの影が連立する建物を足場に縫うように飛び回る。

 両者は足場にした建物を踏み割り、傷を残しながら街中を移動していく。


 二つの影の内、小さな影……それでも人とは思えない大きさの影は、目算でも三Mメテル程の大きな身体を持った異形の姿。

 月明かりに照らされて確認できる姿は頭の先から足先まで灰色の長い体毛で覆われているが、腰から下は厚手のパンツを履いている。

 手足は丸太のように太く、長い体毛の上からでも分厚く引き締まった筋肉が見て取れ、痛々しく歪んで拉げた指先には触れるだけでスッパリと斬れてしまいそうな鋭利な爪が自身の血液に濡れ怪しく光を反射する。

 縦に長い特有の虹彩の瞳孔、顔から前方に伸びた大きなノズルからも鋭利な牙がズラリと並んだ背中に縞模様の入った人型の狼──獣人族の男は、無理矢理引き延ばされ千切れそうな程に伸びきった右腕を庇い、夥しい量の血液を垂れ流して息を荒げながらも喉を震わせて悪態をつく。


「クソッタレッ!! 何だってんだコイツはァ!!!」


 追跡者と会敵してから二時間。

 今なお追い回されている男は後方に目を向ける。


 そこにいるのは、一体の怪物。

 夜闇に紛れ一度もはっきりと姿を見せず。しかし、赤光する血走った無数の巨大な目で常にこちらの様子を窺い、一定の距離を保ちながら追い立てる異形。


 大きさは男よりも倍近い体躯の怪物はこの二時間、

 時に先回りし、反撃に出れば死なない程度の、されど苦痛の塗れた反撃を浴びせ、助けを呼ぼうと共鳴石デバイスを取り出せば拳ごと共鳴石を握り潰された。


 執拗に追い回す割には一度も致命的な攻撃をすることは無く、むしろ距離が詰まると露骨に速度を落とす様を見て、敵が自身をどこかへ追い込もうとする意志を男は感じていた。


 無論、距離が縮まって追跡者が立ち止まろうものならそれを逆手に取って動きを止めて交渉を試みた。

 しかし、返答は一度も無く、動く素振りを見せなければ人狼の身体を掴んで何度も地面に叩きつけ、嫌でも逃げ出さなければならない状況を作り出すのだ。


 片腕は握り潰され、反対の腕は振り回され地面に叩きつけ続けた時に千切れる寸前まで壊され、それまでにも痛め続けられた身体は至る所が裂け、砕け悲鳴を上げている。

 既に人狼は逃げることしかできない身体にされていた。


(クソッ! クソクソクソォ……ッ!! 何でこんなことに……!!)


 脳内でも悪態をつきながら、男はこの怪物が現れた時の事を思い出す。



 この怪物が現れたのは突然だった。


 獣人族の男――カストロは暗殺しごとを終えて上機嫌に、習慣の捕らえてある玩具で楽しもうとモンスターが蔓延る迷宮内ダンジョンに作った隠れ家のうちの一つに向かっていた。

理由は早朝に同僚であり本国にある組織を率いる女――"姉御"と慕う人物から送られてきた一枚の手紙だった。


 "『犬』共から女を攫ってきた。情報を吐かせる為に遊んでやれ。ただし、壊しすぎるなよ"


 見慣れた手紙の内容に期待を膨らませ、同封されていた写真を見る。

 容姿も肉付きも、此方を睨む若く美しい女の写真を報告と共に受け取ったカストロは楽しみに目を輝かせ、意気揚々と自分に任された仕事を終わらせに向かったのだ。


(姉御も粋なことしてくれるぜぇ……!上物、しかも鬱陶しい"犬"の勇士と来たもんだ!!)


 普段はダラダラと数日は掛ける仕事を半日で終わらせ、捕らえた女は既に自分の隠れ家の牢屋に放り込んでいると伝えられたカストロは股座を熱り立たせ、滾る自分を抑えながら街の影に潜みながら足早に隠れ家へ向かった。


 いつも自分の周りをコソコソと這い回る雑魚ばかりで目障りな聖人気取りの「月光蝶犬共」”。

 彼等のような正義面した弱者を好きなように辱め、痛ぶり、喰い、犯し、殺す――それがカストロの生き甲斐の一つだった。

 興奮のあまり涎を垂らし気配を消しながら迷宮を移動し、この都市へ訪れた時、迷宮六十層に作った隠れ家の入口が目前に迫った時――


 この怪物は突然、カストロの視界外……彼の頭上から地響きを立てて現れた。

 迷宮の天井にでも張り付いて待ち伏せしていたのか……地面には大きく歪な亀裂が蜘蛛の巣状に広がり、その中心でカストロを超える体躯を持ってこちらを見下ろす見たことの無い"モンスター"。


 今いる迷宮六十層は上級勇士以上でしか到達出来ない危険な深層。

 特にこの層は他の層とは違い光源生物が少なく、とにかく暗く視認性が悪いのだが、夜目が効くカストロでも何故かはっきりと全貌が見えず、姿を覆い隠すように体の周りを黒いモヤのようなものが覆っている。

 その靄の奥から赤光を放ちながらギョロリとこちらを見る無数の血走った大小様々の瞳全てがカストロを覗く。

 モンスターの背中から生えた先端がアームの様に三本に分かれた尾が宙をゆらゆらと揺らぎ、こちらを威嚇するようにカチカチと音を立てる。


 普段のカストロならば、気付いた時点ですぐに殺しに掛かっていただろう。

 この層のモンスターは、並みの上級勇士では徒党を組んで倒すレベルのものばかり――しかしカストロであればこの"程度"の層に出てくるモンスターなら瞬殺出来る力があった。

しかし、この時だけは不意に来た目の前の存在を前に身体が強張り、気付けば臨戦態勢を身体が勝手に取っていることに本人が遅れて気付いた。


「"魔女殺しの人狼ジェボーダン"カストロ・デル・デストロだな?」

(モンスターじゃねぇ――!? 何者だコイツ……!)

「――どこの勇士だテメェ!!! 月光蝶ルゥナ・シーかッ!?」


 一瞬呆けていた自分に地の底から響くような声で語りかけてきた怪物へ、返答代わりに自慢の爪を横凪ぎに相手の首へ振るう。


 数多の勇士の命を引き裂いてきた自慢の爪の一撃。

 首に迫る爪を、避けるどころか身体を動かす素振りすら見せない相手にカストロは心の中でほっと息をついた。


(ビビらせやがって……雑魚かよ)


 振るわれた腕を視認することすら出来ていないのだろう。

 カストロにとっては慣れた反応だ。

 敵の喉笛をズタズタに引き裂き、血を撒き散らすであろう姿が脳内に浮かびカストロは笑みを浮かべる。


 しかし――


「……ァグッ!?」


 直撃した相手の首元から一瞬火花が散り、金属を打ち合わせたような硬く澄んだ音が周囲に響き渡る。

 カストロの腕には肉を斬り裂く感触では無く、硬い身体に阻まれ、返ってきた強烈な衝撃が腕を痺れさせた。


(コイツ! なんて硬さしてんだ!!  このナリで巨人族なのか!?)


 多くの勇士を屠ってきたカストロだったが、これまで一度も自身の爪や牙が通じない相手など存在しなかった。

 カストロの爪は金属――それも頑丈さを追求した勇士達の武具に使用される特殊な合金すら容易く斬り裂く程の切れ味を持つ。


 誇っていた絶大な自信と「どんな敵でも防げない」という自負を覆されたカストロは爪から伝わった衝撃に顔を歪める。

 信じられないが、目の前の怪物は最強種族である巨人族に並ぶ強者である可能性が脳裏に過り、痺れる腕を押さえ、後退る。


(――コイツは全力で殺らねェとダメだッ!)


 その可能性が脳内に過った時、久しく見なかった強者を前にカストロの殺戮者としてのスイッチが入る。

 そして、一切の油断を消したカストロが己が権能を発動させた。


「出ろ! 【夢現ファンタズマ!!】」


 声を発した途端、カストロの身体から"カストロの身体がもう一つ生え、二人、四人、八人とネズミ算に分離し増殖する。

 恐ろしい速度で増殖を繰り返すカストロは迷宮の通路や広場を埋め尽くして尚、増え続ける。

 僅かな時間で敵を取り囲んだ無数の自身のコピーの影に隠れるカストロだが、その表情には油断無く、命令を下す。


「やれ!」


 その一言で全方位から津波のように牙を剥いてカストロのコピー体が襲い掛かる。


 『夢現』は"万全な状態"の術者の完全なコピーを作り出す能力。

 完全なコピー、それはつまり、身体能力や身体強度が劣化しておらず、疲労も無い状態の自分を無数に作り出せる、カストロを大陸屈指の反勇士犯罪者まで一気に押し上げた巫山戯た力チート

 本体さえ死ななければどこまでも、いつまでもコピー可能な死を恐れない大軍を敵にぶつける自慢の力。

 自身は無敵だと、『宇内の始原中エルダー』以外であれば負けることは無いと――カストロはこの時までは思っていた。



 振るわれた拳が、尾が、脚が、コピー体にぶつかる度にその仮初の命が脆く消えていく。

 半身が吹き飛び、踏み潰され、真っ二つになったりと死因は様々だが、只の身体能力だけで無敵の軍団がモンスターの体に触れも出来ずに死んでいく。

 その様を見て、本体の顔が酷く青ざめる。

 あれが自分の未来だと、この怪物と出会ってから弱気になる自身の心が見せる不安が脳裏から離れないのだ。

 それでも、カストロにはまだ秘策があった。


「夢現は万全な、"全く同じ"俺のコピーを作り出す能力だ・・・。全く同じってことはよォ――こういうことも出来んだよ!!」


 口端が裂けたような笑みで牙を見せるカストロ達の背中の縞模様が仄かに薄緑色に光り、地下に暴風を生み出す。

 本体と無数のコピーから巻き起こされた指向性を持つ暴風が六十層中の階層をかき集め、さらに二人よりも大きなモンスター達を巻き上げながら一つの巨大な流れ竜巻を作りあげる。

 全員が気流を操り、地下空間に超巨大竜巻を作り上げたのだ。


「【嵐の王カーネイジ】!! 空気の刃を含ませた竜巻ツイスターだ!! 壁のシミになりやがれ糞袋ォ!!」


 【嵐の王】は風を生み出し操作する、コピー体と複数で発動すればそれこそ自然現象の風害をも引き起こす強力な能力。

 引き起こしたツイスターが迷宮中から大小様々なモンスターを次々と引き釣り込み、切り刻む中、眼前の敵はまるでそよ風の中を歩むようにこの天災の中でも平然と立ち、周囲のコピーに眼もくれず適格に本体へ歩み寄っていく。

 この暴風、この狂風の中、まるでそこだけが全く別の静かな場所が出来ているのかとカストロが錯覚するほどに眼前の怪物には影響を与えていなかった。


「――なんでぶっ飛ばねぇ!! なんでバラバラになって死なねぇ!!」

「なんだデブって言いたいのかこの野郎。単に踏ん張ってるだけだ」


 怪物が一歩、二歩、三歩進む度に地面に残る等間隔の爪痕、本人曰く踏ん張っている痕が刻まれる。

 死を届ける轍を引く怪物がカストロ本体の前に立ち塞がったコピー体を腕を振るって蹴散らし、漆黒の怪物が本体と直面する。

 その威圧感に出かけた罵倒を唾ごと飲み込み、最大限に警戒するカストロ。

 その視界の端にアームのような尾が宙をユラユラ漂うように振られ、一瞬何かが視界に映りそちらに思考が追いついた瞬間――空気が破裂したような乾いた大きな音と共にカストロの腹部を青い光と共に凄まじい衝撃が襲い、血反吐を撒き散らしながら吹き飛ぶ。


 身体が吹き飛ぶと同時に青い光が尾の先から発せられ、迷宮に居たはずのカストロが地表に"戻される"。

 何度も硬い石床に叩き付けられ地面に爪を突き刺すことで五本の轍を残しながら吹き飛んだ身体を停止させる。

 吹き飛ばされた際に刻まれ、全身に幾つも傷を負ったカストロは堪らず、全身に走る激痛に蹲る。

 腹部を襲う激痛と不快感がこみ上がり、堪らず地面に向けて吐瀉物を吐き出す。

 巨体に見合った大量の吐瀉物が異臭を放つが、そんな些末な事に意識を向ける余裕が今のカストロには無かった。


(なっ……んだ今のは……イデェ……ッ!! 攻撃されたのか!?  殆ど見えなかったぞ――それに今の光は帰還石を砕いた時の……地表に戻されたのか――!!)


 痛みで鈍る頭を必死に動かし、涙と激痛に揺れる視界を吹き飛ばされた方向にカストロが目を向けると――


「――随分のんびりしてんなぁ」


 間近で投げ掛けられた声が鼓膜を響かせた瞬間、カストロは反射的に軋む身体を無理矢理に横へ転げ回す。


 いつの間にか目の前に居た怪物が言い終わるや否や、カストロの頭部があった場所に脚を真っ直ぐ振り下ろしていた。

 ストンピング――と言うには余りにも威力の籠もった一撃は、容易く石床を砕き、深々と吹き割った。

 破砕音と共にまき散らされた石破片がカストロの身体に散弾のように突き刺さる。

 普段なら掠り傷一つ負わないそれも、全身が裂けて傷に塗れた身体には更なる苦痛を伴わせた。


 カストロは転げ様に身体を翻しながら取り出した煙玉を石床に投げて視界を塞ぎ、プライドを金繰り捨てて逃走を図る。


(ヤバイ……ヤバイッ!!!! なんだ"アレ"は!!)


 これまでに数百人以上を、勇士だけでも百人以上を殺害し、誘拐、強姦、強盗、無差別テロ等の多くの罪を犯した国際指名手配犯として名を馳せたカストロは強い自己顕示欲と自尊心プライド、なによりも自分の実力に揺らぐことの無い自信を持っていた。

 実際に、カストロ程勇士を殺し続けた犯罪者は世界的に見てもそうはいない――まさに稀代の殺戮者。


 そんなカストロが反応もできずに、たったの一撃で深手を負った。


(初めの一撃……あれはたぶん、尻尾で俺の腹を弾きやがったんだ。クソッ! モーションが全く見えなかった……ただの一撃でこのダメージ、まさかどっかの"使徒"じゃねえだろうな!?)


 自身の体に色濃く刻まれたダメージ。

 少なくとも、これまで会ったことも無いレベルの化け物だとカストロは判断した。


 カストロはその実力に裏付けされた増長しきった自尊心を持つ。

 組織内でも「傲慢糞便野郎」と陰で揶揄される程の男だ。

 それでも国際指名手配犯になって五年。

 一度も捕まらなかった理由は自身が危機に瀕した際には、そういったものを瞬時にあっさりと捨てされる強靭な生に対する強い執着心を持っているからだった。


 背後から聞こえてくる重い足音で怪物が既に近くまで迫ってきていることを悟ったカストロは、脚を震わせながらも迷宮の入口のある方向に真っ直ぐ逃げる。


(畜生……ッ! 共鳴石デバイスで部下共を呼んで、組織に戻らねェと……逃げるには俺だけじゃダメだ、盾がもっといる――)


 ズボンに入れていた共鳴石デバイスを右手で取り出し、自身の生存への道に思考を偏らせたカストロを、今度は声と同時に激痛が襲った。


「――させるわけねぇだろ」

「――ガァア"ア"ア"ァ"!?!?」


 カストロの共鳴石を持った右手を、いつの間にか真横に着いていた怪物の巨大な手が覆い、硬い骨が砕ける音と共にそのまま握り潰す。

 血液が地面へ溢れ落ち、余りの痛みに視界が明滅する中、激痛から逃れる為に振るった左腕は虚しく空を裂いた。

 トンッと軽く後方に飛び引いた怪物はカストロが逃げていた方向に立ち塞がった。


「そら、逃げろ逃げろ。でないと次はお前の頭がそうなるぞ?」


 潰れたカストロの右腕を返り血塗れの手で指差し、何処か愉しそうに、嗤い煽る"化け物"。

 実際に楽しんでいるのだろう……黒霧の向こうで赤光する無数の目が愉しそう歪んでいる現実にグツグツとマグマの如き怒りが込み上げるが、カストロは組織の拠点への逃走を諦め、別の方向へ逃げて行く。


 向かう先は、にして近くにあるクラン「月光蝶ルゥナ・シー」。


 この城塞都市べーラトールの主、『霊王』に首を垂れて媚びを売り、正義の旗を掲げて秩序だ平和だのを体現させようと、どこにいても自分を追いかけてくる不愉快極まりない"犬"共。

 余りにも癪に障るが、それでも殺されるくらいなら、"犬"に捕まった方がずっとマシだ。死ぬくらいなら恥をかいて、腹を見せた方がずっとずっとマシだった。

 そんな考えで突き進むが、ある程度進むと怪物が進路を塞ぐ。


 逃げては塞がれ、立ち向かえば吹き飛ばされ、こちらから攻撃しようものなら手痛い反撃を加えられた――。


 そうして二時間経った今、カストロはどうしてか、見覚えも無い大きな朽ちた廃墟の中の一室に逃げ、身を縮こませて隠れていた。

 もはや、今のカストロには立ち向かう気力も蛮勇も消え失せ、恐怖に飲まれ怯えて震えることしかできないまでに追い詰められていた。


 いつ、またどこから現れて自分を痛めつけるのか分からない――不気味な静けさを内包したこの廃墟の中で時折どこかで発せられる小さな物音一つにびくりと大きな身体を震わせて周囲を窺うカストロだったが、この廃墟に逃げ延びて早十分……あれほど執拗に、悪辣に、自分を追い掛け甚振っていた怪物は忽然と姿を消していた。


 ほんの少し、落ち着いたカストロは恐怖で凝り固まった狼顔を無事な左手で解し、周囲を最大限に警戒しながら見渡す。

 拉げたベッド、ボロボロのカーテンが目に映る。


 廃墟になって何年も経っているのだろう。

 経年劣化で傷んでいるがそれでもその質の良さや内装からしてそれなりに大きなクランだったのがカストロには理解できた。

 そして、室内に残っている、固まりこびり付いた血痕と壁に刻まれた大きな、どうにも既視感を覚える五本の爪痕。

 この光景を見て一瞬何かを思い出しそうになりつつも、思い出せず頭を傾げたその時。


「――驚いた。ここを覚えていないのか?」


 頭上から聞こえてきた呆れたような、怒気を含んだような声にカストロはビクリッと身体を強く強張らせる。


「な、なんだよ……ッ! なんなんだよ……!?!? もう、止めてくれっ!」


 カタカタと震え非難の声を上げるカストロを他所に、一室の隅にぽっかりと空いた穴からズシリと重い音を立ててあの化け物が部屋に降り立つ。


「……この廃墟は『魔女の薬研ウィッチクラフト』と呼ばれていたクランだ。もう一度聞くぞ?  覚えてないのか?」

 

 カストロは自身を凝視する無数の血走った赤い眼を前に、蛇に睨まれた蛙の様に身体が固まってしまう。

 これまでのバカにした眼差しでは無い――羽虫を見るような無機質で冷淡な目がカストロの身体をその場に縫い付ける。


 『魔女の薬研ウィッチクラフト』――カストロはその名前に、微かにだが覚えがあった。

 魔女の薬研ウィッチクラフトの名前を聞いた直後、綺麗サッパリと忘れ去っていたこの光景を脳内で反芻するカストロを無数の眼で見下しながら化け物はこの場で起きた最悪の悲劇を口にしていく。



 今から五年前、カストロがまだ力を手に入れる前……只の人族だった頃。

 当時、仕事の都合でべーラトールに来ていたカストロは街外の森でモンスターに出会い、瀕死の重症患者として近くのとあるクランへと運び込まれた。

 その運び込まれたクランこそが「魔女の薬研ウィッチクラフト」だった。

 べーラトール内の数多あるクランでも規模は中堅程度、医療に特化した優しい患者思いの医者や回復能力を持つ勇士が多く所属するこのクランは当然、べーラトールに住む人々から愛されたクランだった。

 それこそ、規模としては中堅ながら歴戦たるトップクラン達が「魔女の薬研ウィッチクラフト」と提携を結び、友好的な強力関係を示す程に親しまれたクランだったのだ。

 運び込まれたカストロの治療は長時間に及び難航したものの成功し、何とか命を取り留めた。


 そしてカストロが入院して数日が経った深夜のことだった。


 意識を取り戻すにはまだ時間が掛かるだろうと思われていたカストロがふと、深夜に目を覚ました直後、建物中に響き渡るような大声で苦しみ始めたのだ。

 痛みのあまり暴れ続けるカストロを止めようと医者や勇士が数人掛かりで押さえ付けようとしたが、

 満身創痍のはずのカストロの動きを止めるどころか逆に医者達を振るった腕で吹き飛ばし、壁に叩きつけるその様を見た他の患者が驚愕したその時、患者やクラン関係者の前で目覚めた力の影響を受けてカストロが"変異"したのだ。

 人族から人狼――獣人族の姿に変わったカストロは湧き上がり、留まることなく膨れ上がる高揚、全能感、そして子供の頃から膨らみ続けていた衝動を混乱する周囲の”肉玩具”を見下ろし、迷うことなく欲望のままに解放した。


 カストロは己の命を助けたクランハウス《拠点》内で、己の欲を満たした。

 自身に声を掛ける、近くに居た白い制服を着た肉玩具を引き裂いた時、カストロはその感触の虜になった。

 腕を振るえば肉が散る感触に身体が震え、周りの喧しい玩具でこれからする遊びが脳を駆け回り、嗜虐心をどうしようもなく逆立てた。

 カストロは手始めに獲物を逃がさない為、一ヵ所を除いた全ての出入り可能な入口を潰しながら強い気配のする勇士を不意打ちで闇に紛れ喰らい殺した。

 封鎖された建物内でカストロは嬲り、喰らい、女を犯して己の快楽を貪り続けた。


 特にボロボロに嬲り、ねぶった女子供をわざと逃がし、唯一の出口を見て希望に顔を輝かせた"肉"を上から踏み潰し新鮮な血肉を喰らった時は、それだけで絶頂する程の快感を味わえた。

 カストロの行いで、僅か数時間で廃墟内にいた五十人近くの命が失われた。

 夜遅く、連絡手段も失い、クランハウスという防音性の高い建造物が不運だったか、察知するのに遅れた他のクランが駆けつけた時には、運良く院外に非難できた極少数の人が肩身を寄せ合い震えて固まり、院内は血肉と汚された死体で溢れていた。


 そして、大勢で廃墟を囲んでいた他クランをあざ笑う様に建物の中から”大量のカストロ・デル・デストロ”が廃墟から溢れ出し、混乱した愚鈍な玩具共に嘲笑を向けながら姿を眩ませた。

 その脚で共にこの都市へ連れて来ていた弟を連れ、べーラトールから逃げ延びたカストロは姿を暗ませた。


「この大事件を皮切りにカストロ・デル・デストロは姿を表した大陸各国で凄惨な事件を起こし、凶悪な反勇士として指名手配され世界中を震撼させている――だったか?」


 自身が昔に起こした、今や記憶も朧気になっていた事件を説明が進むほどに、これまでとは比較にならない程増していく殺意を自身へと向ける”ソレ”を見上げながら青褪るカストロを尻目に”ソレ”は話を続ける。


「どんな気分だった? 嬲られて、玩具にされて、他人に嗤われるのは……」


 一歩、さらに一歩。

 ゆっくりとこちらに近付くソレはもはや形容もできない悍けと力が化け物の身体から赤雷が迸り――


「どんな気持ちだ? どう足掻いても逃げられず、許されず、惨たらしい末路が待ってるのは……」


 投げ掛けられた言葉には、満ち満ちた激情とほんの少しの愉悦が混ざり――


 向けられる視線に射抜かれる自身の身体はもはや生存を拒絶するように、まるで重力が牙を剥き、上から抑えつけられているように感じられるほどに全身に重いナニカがのしかかる。


 ふと、ソレの身体を覆うモヤが薄れ――消え失せた。


 五Mメテルを超える巨体に二足歩行の獣のような見た目、異様に腕が長く指先に向かうほど大きくなっている腕が膝近くまで伸び、指先には爪のようなものは見られず、指そのものが鋭く尖っている。

 全身が黒くツルリとしており、全身には大小様々な無数の赤く血走った目を持っているが、顔には二つ、仄かに黄色に光る別に丸い目のようなものが見られる。

 背中の肩甲骨辺りからしなやかさを感じさせる、鞭のような二本の尾。

 さらに腰からは物を持てそうな形で先がアームのように三つに分かれた大きく太い尻尾が生えたこの世のものとは思えない到底思えない異形。

 口を開けば、口に対し不相応に大きく見ているだけで切り裂かれそうな無数の牙が月光を浴びて怪しく光を反射する。


「―――――――ッ!?」


 漸く姿を表した”ソレ”にカストロはまるで身体の中に直接氷を詰められているような錯覚を覚えた。

 恐怖で呼吸は乱れ、目の前の”ソレ”は理解することすらできない存在であることを直感が告げる。

 このような生物バケモノをカストロは見たことが無かった。

 失意と絶望に沈み、只々子犬のように震えることしかできなくなった”肉玩具”は小刻みに呼吸を繰り返して――それでも本能に変わって理性が自身の生存への道を模索する。


「依頼を受けたんだ……この場所で家族と他の患者や医師の死体と血肉に埋もれていた御蔭で助かった――数少ない生き残りの一人だった子供から。家族の恨みを、自分達が味わった同じ苦しみを味わわせて欲しいってなぁ」


 依頼――その言葉で必死に頭を働かせていたカストロは眼前の男が殺し屋だと判断した。


(殺し屋が相手なら……!!)


 カストロの反応は早かった。殺し屋だと理解した瞬間には自身が意識していないのに口が勝手に動いていたほどだった。


「望んだ額を払うッ!! なんでもやる!! 最上級勇士だって殺って来た! 俺ならお前の仕事だっていくらでも手伝える!! だから、見逃してくれ!!」


 静かな廃墟にカストロの張り詰めた声が響き渡る。

 怯えと、期待を込めた瞳を向けられた化け物は呆れたように首を数度、左右に振って、下から縋り見上げるカストロに近づいていく。


 そして、本来なら反応出来たであろうゆったりとした動きで、がしりと力強くカストロの胴と両足を束ねて鷲掴み、カストロの激しい抵抗虚しく頭上に持ち上げ――そのまま真逆の方向に少しずつ力が込められていく。


「――やめっ」

「俺を殺し屋かなんかと勘違いしてないか?」


 これから先の、自分の"末路"を悟ったカストロが大声を上げて喚く。

 苦痛――恐怖――絶望。

 カストロの脳にいくつもの纏まらない考えが何度も何度も過ぎ去る。

 圧倒的な力の差を刻み込まれたカストロは涙を溢れさせた目を向けて化け物の顔に手を伸ばす。

 気付けば自分の身体から発せられていた激痛は消え去り、ぶつり――と感じたことの無い感触を認識した時には床に転がり怪物を見上げていることに気付く。

 こちらを見る赤光は先程見せた激情は鳴りを潜め、向けられる無機質な眼差しをぼんやりと認識する。

 それが、カストロが最後に見た光景だった。


 響く生々しい音――失った接続部分からどす黒く生暖かい体液と共に分かたれた身体が音を立てて床に落ちる。

 あっさりと、カストロと呼ばれた凶悪犯罪者の命はこうして失われたのだ。


「怨むんならくだらん真似をした自分を怨めよ馬鹿が……あの世で皆に詫びて来い。ハァ……胸糞悪いったら無いな」


 足元で横たわった物言わぬ苦痛に満ちた肉塊を氷のような冷たい目で見下ろしながら呟いた怪物は、静かに夜闇に消えて行った。

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