スポットライト

大塚

第1話

 毎月毎週封切られる新作映画の出演者を確認していると、十にひとつはしんの名前を確認することができる。シリーズ物のゲストだったり、主演だったり、ひとつしか台詞がない脇役だったりと起用のされ方は色々だが、申は本当に仕事を選ばない。最近はテレビドラマで顔を見ることもあるが、映画に較べると然程多くはない。大抵はゲスト枠で、一クールに一度あるかないかというところだろうか。


「いや、俺って使い難いタイプだと思うんだよね、実際」


 八月。お盆。府中駅で申と待ち合わせをする。俺と申はこれから幾つかの墓地を回る。俺がクルマを出して、申が助手席でナビをする。


「使い難い? 誰にそんなこと言われたんだ? 来月封切りのなんとかいうのにも出てるだろ、ほら、あの、……主演の名前が思い出せねえ」

「月花ちゃん?」

「そうそう。月邑つきむら……なんだっけ?」

「花ちゃん。そのまんま。あ、次の信号左折だね〜」

「え? 次? どれ?」

「あーそこそこ! 青梅街道に入りまーす!」

「あのさあ俺ナビの声苦手だからおまえに頼んでるんだけど、この順路でほんとに間違いないのか?」

「たぶん!」

「たぶんかよ」


 助手席に深く腰を下ろし、シートベルトを締め、サンダルを脱いだ裸足の足をダッシュボードに乗せた申はヘラヘラと笑う。一見軽薄な笑み。でも本当は少しも冷たくない。申の心臓はとんでもなく熱い。それは俺がいちばん良く知っている。


「それよか砥我とがさん、花買ってきました? 俺あんまりいっぱいになるとアレだからって煙草しか買ってこなかったんだけど」

「酒しか買ってきてねえよ。花なんかほかの人がいっぱい供えてるだろ」

「それはそっすね〜」


 沈黙。紫煙を吐く申がじっと俺の横顔を見詰めているのが分かる。


「何?」

「いや別に」

「言いたいことがあるなら言えよ」

「……じゃ言うけど。なんか毎年墓増えるなって」


 ほら。冷たい心を持っている人間の口からはこんな台詞は出てこない。俺は少し笑って、「煙草くれ」と言う。申はわざわざ新しい煙草を取り出して、俺の口に突っ込んで火を点けてくれる。

 墓増える。ざっくりしているけれど申の言葉は正しい。俺と申はもう二〇年ぐらいの付き合いで、二〇年もあれば周りの人間も結構死んだりしたりするわけで。


「おわー。花すげー」


 ひとつめの墓地。俺のことを引っ張り上げてくれたプロデューサーの墓。俺以外にも色んな連中の映画をプロデュースしてたってこともあって、お盆ともなると映画関係者だけではなく、観客や、彼が出入りしていたバーや飲み屋の関係者も大勢花を持って訪れる。


「花じゃなくて正解、だろ?」

「確かに。いや〜懐かしいな赤馬あかばさん。元気ですかー。あの世で元気もクソもねえか。去年ゴールデン街のうつせみ閉店しちゃったんですよ〜。ママあの世でも開店してねえかな〜店」


 申はふにゃふにゃと笑いながら、俺が持ってきた清酒を墓石にぶっかけている。人に見られたらめちゃくちゃ怒られるやつだぞと思いながら、俺は申が持ってきた煙草に火を点けて、墓石の前にしゃがんで手を合わせる。


 赤馬さん。俺今全然だめです。本当に申し訳ない。


 クルマに戻り、次の墓地へ。助手席の申はナビそっちのけで赤馬さんとの思い出話をしている。そうそう、赤馬さんと初めて会った時おまえはまだ19歳だったよな。それなのに撮影中も打ち上げの席でも浴びるように酒を飲んでて、おまえの年齢を知った赤馬さんは真っ青になってた。


「赤馬さんが青馬さんになってた!」

「うまく言ったつもり?」

「うまくない?」

「自分で考えろ」

「会う度に酒の量調整しろって言われてたなぁ。俺もう大人だし嫁もガキもいるのに!」


 申の長女の名付け親は赤馬さんだ。申が自分で頼みに行った。


 ふたつめの墓地。俺と申と何度も一緒に仕事をしたベテラン俳優の墓。昭和の時代からずっと活躍してて、晩年体を悪くしても絶対に仕事を断ったりしなかった。どんな映画にでも出た。映画にだけ出た。でもCMの仕事だけは何があっても引き受けなかった。週刊誌に悪く書かれていたこともあった。それでも。


「花だー! 何家の墓か分からん!」

清田きよた家の墓」

「そうだったー! 本名清田さん! 俺です申ですお久しぶりです! 毎回思うんだけど清田家の墓遠いすよね……ふらっと来れない……」

「ふらっと来れる距離なら普段来るのか?」

「あ、今の秋次しゅうじさんの真似? 似てねえ〜!」


 逸島いつしま秋次しゅうじさん。そう、秋次さんが眠っているこの墓地は電車でもクルマでもアクセスし難い場所にあって、俺も申も年に一度しか足を運べない。あんなにお世話になったのにな。いつでも俺の味方でいてくれた人なのに。本当だったら俺が、俺こそが、毎週、毎日でも頭を下げにくるべきなのに。


「秋次さん、俺ねえ最近CMの仕事ちょっと来るんだけど断ってるんですよ! 秋次さんの真似! そんですげー悪口言われる! 少し仕事が入るようになったからって調子乗んなってマネにすげえ怒られた! でも俺この先もたぶんCMには出ねえと思うなぁ。だってほら……俺も秋次さんみたいな映画俳優でやっていきたいし」


 申がテレビCMに出るようになったら、秋次さんはきっと笑うんじゃないだろうか。全然似合わないって。おまえが宣伝する商品なんて売れないに決まってるって。


 秋次さん。申はちゃんとやってますよ。


 ふたりで肩を並べて駐車場に戻る。次は埼玉方面に向かう。みっつめの墓地。よっつめの墓地。いつつめの墓地。むっつめの墓地。ななつめの墓地。俺たちより年下だったのに自分で死んでしまった俳優の墓。俺にシナリオの書き方を教えてくれた、先輩映画監督の墓。一代で築いた自主制作映画の配給会社を一代で片付けちまった社長の墓。命を削るみたいに劇伴を担当してくれた俺と同い年のミュージシャンの墓。申のお袋の墓。


「母ちゃん久しぶり! 久しぶりでごめん! でも見て、今年も砥我さん来てくれたよ!」

「別に俺が来たってお母さん喜ばないだろ」

「喜ぶよ! だってほら、砥我さんが俺のこと映画に出してくれなかったら……」

「ああ、いいからいいから」


 と、クルマの後部座席に置いていた花束を申に押し付ける。申は大きく目を見開いて、


「花ぁ!」

「お母さんの墓に酒かけるわけにいかないだろうが」

「母ちゃん酒も煙草もゴリゴリだったけどね」

「知ってる」

「……だから孫の顔も見ずにさぁ……」

「それも知ってる」


 墓石の前で、申は黙って目を閉じた。胸の前で手を合わせて、何かをぶつぶつと呟いている。申の横顔を、少し離れた場所からじっと見詰める。売れる俳優の横顔だと思う。今、申がじわじわと売れてきている理由も分かる気がする。俳優は顔が命だからな。顔を見れば分かるんだよ、俺にだって、だいたいのことは。


「砥我さん」

「終わったか?」

「お陰様で。あとは……」

「今日はもういいよ。おまえ明日も撮影だって言ってたじゃないか。どこまで送ればいい? 府中まで戻るか?」

「いや」


 俺よりも少しだけ背の高い、申がじっとこちらを見下ろしている。陽が傾き始めている。逆光を浴びて、申の彫りの深い顔が余計に濃く見える。砥我さん。申が呼ぶ。


「砥我さん、もう映画撮らないですか」

「……」


 撮らないよ。俺はもう二度と。


 俺が映画監督だったのは十年ぐらい前までの話で、本当に色々あって俺は業界から足を洗った。俺には商業映画が向いてなかったし、所謂自主制作作品で稼げるほどのカリスマ性もなかった。たった十年。されど十年。俺みたいなやつが映画監督でいられたのは奇跡だと思っている。


 俺のことを今も砥我と呼ぶ人間は、申ぐらいのものだ。


「砥我さん。辞める前にさ脚本書いてたじゃん最後のやつ。あれやろうよ。俺最近ちょっと仲良いプロデューサーいて、そいつが、」

「申」


 おまえは売れる俳優の顔をしている。これからもっと売れると思う。映画に出ろ。テレビにもできれば出ろ。CMはやりたくないならやらなくていい。

 光の当たる場所から降りた俺なんかに手を伸ばすな。


「帰るぞ」

「砥我さん」

「うるせえ。……また来年だな」

「今年はもっと飲もうよ。俺時間あるよ」

「俺よりはないだろ」


 俺を引き上げてくれた人、俺を守ってくれた人、俺に寄り添ってくれた人。もう生きていない人たちみたいに、俺は申を守れない。

 伸びかけの坊主頭をざらりと撫でた申の目尻で、涙が光ったように見えた。

 きっと気のせいだ。


 おしまい

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