インドで死にかけた話
子鹿なかば
インドで死にかけた話
「なんでこんなとこに来ちゃったんだろう……」
死への恐怖に怯えながら、私は異国の地で涙を流していた。
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いまから15年ほど前の7月、当時大学1年生だった私は長期の夏休みを前に焦っていた。
大学生になってはじめての夏休み。2ヶ月もある。しかし、何も予定がない。
友達もいないし、加入したサークルにも馴染めず行かなくなってしまった。
牛丼屋で週2〜3回バイトに行くぐらいしか予定がない。
一浪までして受かった念願の志望校。こんな大学生活でいいのか。
私はエネルギーを持て余していた。
バイト先にいる1つ年上の先輩に聞いてみた。
「夏休み暇すぎるんですよねー?」
「それなら海外いってバックパッカーやってくれば?」
2009年ごろは「自分探しの旅」とかいってバックパック一つで海外を旅することが若者の中である種の憧れとして受け入れられていた。
その先輩も大学1年の夏休みはアジア各国を旅したらしい。
「どこかおすすめありますか?」
「インドが最高だった。まじでおすすめ。人生観変わるよ」
「へーそうなんすねー。じゃあ行ってみようかな」
ちょっと前に『ガンジス河でバタフライ』というドラマが放送されてインド旅行が話題になっていたりもした。
私は軽い気持ちでインドに行くことを決めた。
後にこの決断を大きく後悔することになる。
それからはバイトをたくさん入れて、貯金に励む。
旅の資金として10万円を貯めた。
「夏休みは他に予定もないし、せっかくだから長めに行くか」
8月下旬から9月中旬まで3週間のチケットを購入した。
「お金あんまないけど、バイトの先輩いわく1日500円ぐらいで過ごせるらしいから大丈夫だろ」
こんな甘い考えをしていた私をぶっ飛ばしたくなる。
軍資金10万円の内、往復のチケット代に7万円、残りの3万円を現地に持っていくことにした。ちなみにクレジットカードは持っていない。
ちなみに海外旅行は家族旅行で韓国に一回いったことがあっただけ。奥手で人との会話も苦手だし、英語も受験勉強の知識しかない。けれど、当時の自分は、自分を変えたい、日常を変えたいという思いが背中を後押ししていたのだろう。
あまりにも無謀だった。
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出発日当日、成田空港。
「俺今からインドに行ってくるわ」
あまりの心細さに高校自体の友達に電話する。
「すげーな、そんなことするなんて意外だわ。生きて帰ってきてなー」
電話はすぐ終わる。不安が募っただけだった。
新品のバックパックを背負って、チェックインの手続きへ。
地獄の一人旅が幕を開けた。
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成田から10時間ほどのフライトを経てニューデリー空港に到着する。
緊張と興奮でほとんど寝られなかった。
フラフラの状態で荷物受取所に到着。
しかし、待てども待てども自分のバックパックが来ない。
他の乗客は先に進んでしまいぽつんと一人自分だけが残った。
なぜこない。
泣きそうだ。
バックパックはどこにいった?
誰かに助けを求めようとうろうろしているところ、あった。
私のバックパックは近くのベンチに無造作に置かれていた。
なんでここに?と疑問に思いながら近づいていみると、チャックがあいている。
急いで中身を確認するが、盗まれていそうなのはなかった。
金目のものは手荷物に入れていて、バックパックは洋服ばかりだったのが幸いだったのだろう。
こういった盗難被害はよくあるらしい。
早速、インドの洗礼を受ける。
泣きそうだ。
必死に涙をこらえながら、なんとか空港から出る。
いっきにムワッとした熱気が体中を包んだ。
そして大量のインド人が押し寄せてきた。
「タクシー」
「タクシー」
「タクシー」
「タクシー」
10人ぐらいのインド人が荷物を無理やり引っ張って自分のタクシーに載せようとしてきたのだ。
『地球の歩き方』に書いてあったやつだ!と思いながら、なんとかその場から逃げる。彼らはあとで高額な料金を請求してくるらしい。
公共機関のバスを使いたいのだが見つけられない。
ヘトヘトになりながらウロウロしていると、「大丈夫ですか?」とインドのおじさんが日本語で話しかけてくれた。
ホテルはまだ取っていないことを伝えると、おすすめのホテルまで連れて行ってくれるという。
なんて優しい人なのだろう。
安心しながらその人の車に乗った。
30分ぐらい車を走らせる。時刻は夕方で暗くなりつつある。
車が停止した。
周囲はボロボロのバラックが立ち並んでいた。見るからに貧困地域だった。
いきなり運転席のおじさんが怖い顔つきで携帯を見せてきた。
そこには日本語で「ここはインドでも有名な危険な地域だ。1万円払えばデリーまで連れて行く。払わなければここでおろす」と書いてあった。
全然優しくなかった。
泣きそうだ。
どうしてよいかわからずうろたえていると、おじさんは私の財布を奪い取る。
財布にはインドの空港で両替した3万円分のインドルピーが入っている。
無造作にお札をとりあげて、財布を投げ返してくる。
ずいぶん軽くなった財布。後で数えたらちゃんと1万円分取られていた。
ごきげんになった運転手は、鼻歌を歌いながらニューデリー市内まで運転してくれた。
タクシーからおろされて、到着したニューデリー。夜にもかかわらず喧騒にあふれている。沢山の人やバイク、牛、犬、ラクダ、ネズミ、リス。
多様性極まる雑多な雑踏な風景に驚きながらも、「助かった」と安堵していた。
ガイドブックを片手にやすいホテルを探して、なんとかチェックイン。
インドについて1日目。所持金は2万円ほど。
滞在日数は20日間。
私の貧乏旅行がはじまった。
「日本帰りたい……」
カビの生えたベットに横たわりながら私は涙を流していた。
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2日目以降はそれはまあ貧乏な生活を送っていた。
ご飯は一日1食に。宿泊は大部屋にベットが10個ぐらい並んだドミトリーに泊まった。同部屋の宿泊者はほとんどがインド人だった。
街中で日本人を見つけると、話しかけて食事を奢ってもらったりした。
この生活を続けて5日間ほど。
お金にじゃっかんの余裕がでてきたので、寝台列車でバラナシへと向かった。
バラナシはガンジス川のほとりにある街だ。ヒンドゥー教の聖地の一つで、ガンジス川に沐浴をしに多くの教徒がこの地を訪れる。
ここでもドミトリーに宿泊し、1週間ほど滞在した。
沐浴場となっている川のほとりは生活と宗教が混在していた。洗剤で衣類を洗っている人もいれば、その隣で頭まで川に浸かってお参りをしている人もいる。混沌としたインドらしい光景だった。
同年代の日本人2人と仲良くなり、お金を出し合ってボートを借りた。
ガンジス川をゆっくり流れながら、バラナシの街並みを眺める。
ほとりのいたるところで煙が出ていた。ヒンドゥー教では遺灰を聖なる川に流すのが良いこととされており、この地で多くの火葬が行われていたのだ。
この川には遺灰が流れているのかと濁った川を覗き込む。すると、小さな洋服がプカプカと流れてきた。よく見たら人の背中だった。
ヒンドゥー教では火葬が通常だが、赤ちゃんや葬式代を出せない貧しい人などは水葬としてそのまま川に死体を流してしまうそうだ。
私が目にしたのは小さい体だった。一緒にボートに乗った他の人は気づいていない。
驚きと恐怖で声が出ない。私は小さな背中に気づかないふりをして、遠くの景色を見つめていた。
死体を目にした衝撃は15年以上たった今でも深く心に刻まれている。
そんなバラナシを滞在しているとき、事件は起こった。
ある日、滞在していたドミトリーに帰る。
そのドミトリーのエントランスはいつも電気がついていなくて薄暗くなっている。
私は慣れた足取りで2階の自分の部屋まで進もうとしたところ、キャイン!という鳴き声とともに、足に強い痛みが走る。
ドミトリーには飼い犬がいた。その犬の尻尾を踏んでしまったようだ。
犬は怒り、私の右足首をがぶりと噛んできたのだった。
私は一気にパニックになる。
インドの旅行パンフレットには「狂犬病には気をつけろ」という文字がどの本にものっていた。狂犬病を発症すれば致死率はほぼ100%。
インドで一番避けなければならないのは犬に噛まれることだった。
急いで足首を水で流す。
大慌てでインド人の店主に報告する。
しかし、店主は噛まれたところを見ると「OKOK」と言うだけ。
OKなわけないだろ!救急車を読んでほしい!と必死に伝えるが、真面目にとりあってくれない。たかが犬に噛まれたぐらいでぎゃあぎゃあ騒ぐなといった反応だ。
病院に行きたいが場所がわからない。当時はスマホもなく、頼れるのはガイドブックの地図だけ。
病院に行ったとしてもお金がない。海外旅行の保険に入っていなかったし、クレジットカードも持っていない。
誰にも相談できず、どうすれば良いかもわからない。帰国まであと1週間。
途方にくれながらベットで涙を流した。
今考えればできることはたくさんあったはずだ。とにかく病院にいくべきだった。お金については、日本人旅行者に相談するなり、親に無理をしてきてもらうなり、日本大使館に相談してもよかったのかもしれない。
しかし、当時の自分は何も行動を起こせなかった。
自分はもう死ぬかもしれないと思いながらもどうして良いのかわからず、呆然とするのみだった。
ガンジス川を流れていた小さな背中が頭に浮かぶ。
早く帰国日が来てほしい。不安に押し潰れそうになりながら、時間が過ぎるのをただ待っていた。
それからも苦労な出来事はたくさんあった。
タクシーの運転手に絨毯を買わされそうになったり、
寝台電車でデリーに向かっていたら、靴を盗まれて裸足でデリーを歩きまわったり、
街中で裸のおじさんに追いかけられたり。
苦労話を上げればキリはない。しかし、死への恐怖に比べればどうってことなかった。
そんなこんなで悪魔の3週間がやっと過ぎた。ついに日本への帰国日だ。
財布はほぼ空っぽ。
あきらかに身体は痩せている。
出発日は交通機関のストとかで空港に行くのも苦労したが、なんとか飛行機に乗り、日本へと帰国できた。
空港につき検疫所で犬に噛まれたことを伝えた。注射をうつなどして色々と大変だったはずなのだが、帰ってこれたという安堵感で、この時期の記憶はほとんど残っていない。
狂犬病が発症すると「恐水症」といって水を怖がるようになるようなのだが、今でも症状は出ていない。噛んできた犬はウィルスを持っていなかったようだ。九死に一生を得た。
あの旅行から15年が経つが、未だに当時のことを思い出すと胸が締め付けられる。
絶望が蘇ってくる。
15年前私はインドで死にそうになった。
インドで味わった死の恐怖は、生涯忘れることができないだろう。
インドで死にかけた話 子鹿なかば @kojika-nakaba
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